ついに千円札の発行量も減少に、キャッシュレス決済の普及やタンス預金の縮小で紙幣は本当になくなるのか?
いよいよ発行が始まる新紙幣(写真:Stanislav Kogiku/アフロ)
2024年7月3日に新しい紙幣(日本銀行券)が発行される。現在の紙幣の発行が開始されたのは2004年11月、その前は1984年11月であった。約20年ごとに新紙幣へ刷新する主な目的は、新しい印刷技術を用いた偽造防止だ。
巷間には、キャッシュレス決済が普及すれば紙幣は不要になる、今回が最後の紙幣刷新になる、といった見方も存在する。折しも、紙幣発行高は半年以上の減少継続となっており、これは約70年ぶりの事態だ。
キャッシュレス普及の影響が生じているほか、タンス預金も縮小しているとみられる。果たして、紙幣はなくなるのであろうか。
(宮前 耕也:SMBC日興証券 日本担当シニアエコノミスト)
【紙幣発行高は半年以上にわたり減少】
紙幣の発行高は、長らく増加傾向を辿ったが、このところ頭打ち、ないしは減少傾向へ転じている。発行高の前年同月比の推移をみると、2023年12月に▲0.4%と減少へ転じて以降、減少率は徐々に拡大し、2024年5月は▲1.3%だ。
これまで、比較対象となる前年に何らかの要因で大きく増加、その反動が生じて単月だけ減少するケースはしばしばあった。
例えば、2000年12月の紙幣発行高は前年同月比▲3.1%とやや大きく落ち込んだが、比較対象である1999年12月に、いわゆる「2000年問題」を控えて現金を手元に置く動きが増えたとみられる。
最近では、2012年3月に前年同月比▲0.1%と小幅ながら減少したが、比較対象である2011年3月に東日本大震災が発生、計画停電等に備えて現金を確保する動きが増えたとみられる。
だが、複数月にわたって減少を記録するのはやや珍しい現象であり、リーマンショック後の2009年10~12月以来となる。今回のような半年以上にわたる減少は、朝鮮戦争の特需後に景気が悪化した1954年以来、約70年ぶりの事態だ。
最も使われる千円札が減少している理由
【決済需要は膨らんでいるはずだが紙幣発行高減少】
現局面では、紙幣発行高の減少が続いているものの、リーマンショック後のように明確に景気が悪化しているわけではない。実質GDPはこのところ振れが大きく、実質個人消費は弱めで推移しているものの、物価上昇の影響により、名目ベースではGDP、個人消費とも緩やかながら増加傾向にある。
紙幣発行高の名目GDPや名目個人消費に対する比率をみると、コロナ禍後、特別給付金支給の影響でやや大きく上昇したものの、その後は低下傾向にある。
経済活動が正常化するとともに、特別給付金支給分(あるいはその相当分)が消化された影響が大きいとみられるが、足元の比率はコロナ禍前からのトレンド線を下回っている。
決済需要が膨らんでいるにもかかわらず、紙幣が使われなくなった影響も含まれているようだ。キャッシュレス決済が普及している影響、もしくはタンス預金が縮小している影響が考えられる。
紙幣の発行枚数の内訳動向をみると、キャッシュレス決済普及、そしてタンス預金縮小の両方が、発行高の減少に影響していると思われる。
【日常決済に頻用の千円札が減少傾向】
まず、日常決済に頻用される千円札がこのところ減少傾向にある点が目を引く。
千円札は、2010年代以降に概ね年率+1%台後半で安定的に増加してきたが、2023年にほぼ横ばい圏で推移し、2024年に減少傾向にある。前年同月比の推移をみると、足元では3月以降3カ月連続の減少だ。キャッシュレス決済普及の影響が大きいだろう。
キャッシュレス決済普及は、紙幣よりも先に硬貨に影響が及んでいた。
2000年代半ば以降、一円玉や五円玉、十円玉といった小額硬貨の発行枚数が減少基調へ転じた。2014年4月に消費税率が5%から8%へ引き上げられた際は、小額硬貨の決済需要が膨らむとの事前予想もあったが、実際には発行枚数は減少基調を辿った。電子マネーの普及が影響したとみられる。
ついに減り始めた一万円札とタンス預金
【ここ2年ほどキャッシュレス決済額の伸びが加速】
キャッシュレス決済が普及しても、千円札は長らく安定的な増加が続いたが、2024年に入り、ついに減少傾向へ転じた。コロナ禍の影響もあり、紙幣の使用を回避する動きが生じているのだろう。
特にここ2年ほど、キャッシュレス決済額の伸びが加速しており、個人消費に占める割合は4割弱に達した。クレジットカードの利用額が拡大しているほか、コード決済も急速に普及している。
【タンス預金縮小の影響】
紙幣発行枚数を算出すると、千円札のみならず一万円札もこのところ減少傾向にある。全体の紙幣発行高の減少は、金額としては当然ながら一万円札減少の影響が大きい。
一万円札の減少については、千円札と同様、決済需要の縮小も影響しているとみられるが、保蔵需要、いわゆるタンス預金の縮小も影響している可能性がある。
タンス預金の規模を試算すると、2024年1~3月期平均で65.8兆円程度あるとみられる。紙幣発行額全体の54%程度を占める。
タンス預金は長らく増加基調を辿ってきた。特に2000年代前半と2010年代後半に膨らんだ。2000年代前半にタンス預金が膨らんだのは、ペイオフ解禁が主因であろう。
一方、2010年代後半のタンス預金増加は、2015年の相続税税制改正、2016年のマイナンバー制度開始、そしてマイナス金利導入といった政策要因が重なったためと考えられる。
だが、タンス預金は2022年頃から伸びが鈍化しており、2023年10~12月期に前年比▲0.7%、2024年1~3月期に同▲0.3%と2期連続で減少している。前年比減少は2000年7~9月期以来、約23年ぶりのことだ。おそらく、家計が物価高騰に直面して、タンス預金を取り崩して決済に回す動きが生じた可能性が考えられる。
また、そもそも物価高騰により、タンス預金の実質的な価値、言い換えれば価値保蔵能力が落ちている影響もあろう。
「キャッシュレス決済が普及すれば紙幣は不要になる」は本当か?
【紙幣はなくなるのか?】
ここまで書いてきたように、物価上昇等を背景に、決済需要はどちらかといえば膨らんでいるにもかかわらず、紙幣の発行高が減少傾向にある。
その背景として挙げられるのは、コロナ禍の影響で紙幣の使用を回避する動きが生じ、特にここ2年ほどキャッシュレス決済の利用が加速していることだ。クレジットカードの利用額が拡大しているほか、コード決済も急速に普及している。
また、タンス預金は、長らく増加基調を辿ってきたが、このところ減少している。家計が物価高騰に直面して、タンス預金を取り崩して決済に回す動きが生じた可能性が考えられる。
巷間では、キャッシュレス決済が普及すれば紙幣は不要になる、紙幣刷新は今回が最後になるといった見方も存在する。確かに、先行きは紙幣発行高の減少が続く可能性が高そうだ。
キャッシュレス決済の利用は不可逆的に拡大する見込みであるほか、タンス預金は物価上昇に加え金利上昇により縮小が続くとみられる。物価上昇、金利上昇ともに、タンス預金の実質的な価値、すなわち価値保蔵能力を落とし、金融資産などへのシフトを促すと考えられる。
ただ、紙幣の需要がなくなる可能性は低いだろう。決済の匿名性を確保したい、あるいは資産を捕捉されたくないといったニーズは続く。紙幣刷新によりタンス預金が一掃されるとの見方があるが、新紙幣導入後も旧紙幣は通用する。2004年に紙幣が刷新された際も、タンス預金は減らなかった。
日本銀行は1年365日、1日24時間使える支払決済手段として銀行券を供給する責務がある。需要がある限りは紙幣発行が続こう。また、冒頭でも述べたように、新しい印刷技術を用いて偽造を防ぐため紙幣を定期的に刷新する必要がある。
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【宮前 耕也(みやまえ こうや)】
SMBC日興証券㈱日本担当シニアエコノミスト
1979年生まれ、大阪府出身。1997年に私立清風南海高等学校を卒業。2002年に東京大学経済学部を卒業後、大阪ガス㈱入社。2006年に財務省へ出向、大臣官房総合政策課調査員として日本経済、財政、エネルギー市場の分析に従事。2008年に野村證券㈱入社、債券アナリスト兼エコノミストとして日本経済、金融政策の分析に従事。2011年にSMBC日興証券㈱入社。エコノミスト、シニア財政アナリスト等を経て現職。
著書に、『アベノミクス2020-人口、財政、エネルギー』(エネルギーフォーラム社、単著)、『図説 日本の財政(平成18年度版)』および『図説 日本の財政(平成19年度版)』(東洋経済新報社、分担執筆)がある。