「子どもがうるさくして、すみません」より効果的…躾への"お叱り"を穏便にすませる「魔法のひとこと」
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子どもには厳しく躾をしたほうがいいのか。脳科学者の黒川伊保子さんは「世間様に迷惑をかけないよう、お行儀が良い子に育てるというのは昭和の考え方。祖父母世代が、自分の子育ての方針を押し付けてはいけない」という――。(第1回/全3回)
※本稿は、黒川伊保子『孫のトリセツ』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
子どもの躾にはマイナス面もある
躾は、世間と子どもを対峙させ、子どもの脳を緊張させる行為だ。世間は厳しい、ちゃんとしないと大変なことになる、と。
よく躾けられた子はお行儀が良く成績もいい。大人になればエレガントで、周囲に信頼もされるし出世もする。たしかに、躾けられることには大事な一面もある。
それに、兄弟姉妹が多かったり、両親共に仕事があって核家族だったりしたら、子どもたちをある程度躾けておかないと、日々の暮らしを回してはいけない。聞き分けのいい長子がいて、やっと回っているおうちだってあるはず。
公共の場では、身を守るために守らなきゃいけないルールもある。道路に飛び出していいわけじゃなし、砂場で、他人のおもちゃをいきなりつかんだり、ほかの子に砂をかけたりするのは、もちろん止めなきゃならない。
だから、躾が全面的に悪いことだなんて、私は思わない。ただ、躾のマイナス面も知っておいたほうがいい。
世間体を気にしすぎる親に育てられると、子どもの脳は「この世の主体は世間であって、自分はその一部分にしかすぎない」と感じる。このため「いい子でないと存在価値がない」と思い込む。
「世間様に迷惑をかけない」は時代遅れ
でもね、本当は、脳の主人公は自分。この星は、誰にとっても、「自分のためにある」ものなのである。本来、そう感じるように、脳は作られている。
子どもたちだけじゃない。すべての人に、無邪気な時間を過ごしてほしいと私は思う(生活時間のすべてでなくていいから)。心に浮かんだことをそのまま肯定できる、そんな時間を。心に浮かんだことをそのまま言動に移しても、きっと周囲が受け止めてくれると信じられる、そんな時間を。そういう時間を確保されている人にとっては、人生は自分のものになる。
この星も、自分のものになる。
私たちの世代は、躾けることで子どもを育てた。それが20世紀に必要とされた子育てだったからだ。その過去を悔いる必要はないけど、自分の子育ての方針を、孫にそのまま使うつもりでいると、孫にとっても、その親たちにとっても酷(こく)なのである。
昭和生まれと、昭和生まれに育てられた人たちの心の中にある、「世間様に迷惑をかけないように、自分と子どもを律するのは美しいこと。せめてそういう姿勢を見せないと恥ずかしい」という気持ちを、この際、捨ててください。
祖父母が少し図々しくなってあげよう
祖母たちは、母たちより、少しだけ図々しくなれる。これを利用して、世間体を気にする親たちの緊張を少しほどいてあげたらどうかしら。
我が家の2歳児は、斜め前のおうちの玄関先に置いてある乗用おもちゃ(ミニーちゃんの飛行機)がいたくお気に入りで、散歩のたびに触りたくて、触りたくてしょうがない。彼の母(およめちゃん)は、当然、「他人のおもちゃを無断で触るなんて言語道断」と厳しく遠ざけていた。
私としては、その家の家族と交流もあるし、「外に出してあるおもちゃをほかの子が多少触っても、きっと気にしないだろうなぁ。うちだってぜんぜん気にしないもん」と思っていたので、ちょっと乗るくらいは許していたが、さすがに道路に乗り出していくことは止めていたのだった。
ところがある日、その家の向かいのおうち(我が家の隣家)のマダムが、「大丈夫よ〜、乗ってっちゃいなさい。私が言っといてあげるから」と満面の笑顔で声をかけてくれたのである。
ちょうどそのとき、持ち主のママが、郵便を取りに出てきた。ガチャっと玄関が開く音がしたら、孫は跳びあがるように乗用おもちゃを降りて、すたこらさっさと逃げていく。彼の母親の緊張感が、ここまで孫に伝搬しているとは……。
世間とは厳しいものではなく、優しいもの
これじゃ、世間は厳しいものと思い込んじゃうよなぁと感じたその瞬間、隣家のマダムが「貸してあげてもいいわよねぇ」とすかさず華やかな声をかけてくれた。持ち主のママも即座に笑顔になって「もちろんです〜、いつでも、どうぞ」と言ってくださった。隣家のマダムは、高校生の孫がいて、私より先輩おばあちゃん。さすが、いちだん肝が太い(微笑)。
で、その話をおよめちゃんにするのだけど、およめちゃんは「そうは言っても」とドン引き。そこで私が「ちょっとした駄菓子をお礼にポストに入れたらどう?」と提案。それで、やっと彼女が笑顔になった。
以来、孫がミニーちゃんの飛行機を借りたときには、孫も大好きなお菓子に「ミニーちゃんお借りしました、ありがとうございます」と書いた付箋紙を貼って、ポストに入れさせていただいている。孫は2回ほど借りたら気が済んだらしく、最近は、ミニーちゃんに手を振って楽しそうに通り過ぎる。
躾も大事だけど、必要以上に世間を怖がらせることもない。もしも、母親が神経質になっているようなら、ときには祖母がちょっと図々しくなって、孫に「世間とは優しいものである」ことを知らせてあげよう。
魔法のことば「お気に障ったら、すみません」
小さな子を連れているとき、周りから白い目で見られるときがある。ときには、きつい一言を言われることも。そんなときの対処法を知っていると、子育ても少し楽になる。
あるとき、バリバリのワーキング・ママから、こんな質問を受けた。
「先日、2歳の息子の具合が悪かったので、小児科に行って、帰りに調剤薬局に寄ったんです。子どもの薬は調剤に時間がかかるので、通常はいったん家に帰って取りに戻るのですが、その日は、午後から会議があって急いでいたので、椅子に座って待つことに……。そうしたら、よほどだるかったのか息子が急に抱きついてきました。そのとき、向かいのソファに座っていた年配の女性が、『靴、履いたまま!』と吐き捨てるように言ったんです。
たしかに私たちが悪いので、『すみません』と謝ったのですが、靴がソファに当たっていたわけでもないし、隣席に人がいたわけでもない。実害というより、躾という意味でおっしゃったんでしょうけれど、この状況で、そこまで言われる? と感じて、気持ちがふさいでしまって。今も、思い出すとどうにも気持ちがもやもやして、子育てがつらく感じてしまいます。このもやもや、どう処理すればいいですか?」
私はこう答えた。「なぜ、もやもやしているかというと、あなたが守ってあげたかったのは、息子さんの気持ちだからよ。病気の息子に、肩身の狭い思いをさせたのが悲しかったのよね。こういうとき、彼に肩身の狭い思いをさせない魔法のことばがある。『お気に障ったら、すみません』――これ、けっこう便利よ。
目は申し訳なさそうに、口元はやや微笑みながら『お気に障ったら、すみません』と謝ると、なぜか向こうも険のある顔が緩んで、子育て経験のあるマダムなら『いいのよ、まだ小さいものね』なんて言ってくれる。子どもの行動に謝るんじゃなくて、相手の気持ちに謝るだけだから、こっちももやもやしないで済むしね」
子どもが肩身の狭い思いをしない謝り方
私は、自分自身の育児中、息子に世間を信じてほしいと思っていた。彼が無邪気に生きられるように。理由は、彼がAI時代を生き抜く第一世代になることを30年前から知っていたから。
幼子にとって、この地球の出来事はなんだって新鮮だ。大人がうんざりするほど見慣れている山手線一つにだって、2歳の息子は嬉しそうな顔で歓声を上げた。騒ぎすぎるようなら、私も遠慮して電車を降りたけど、昼間のすいた車両で、「うわぁ、長いお椅子〜」と第一声を上げるくらい、大目に見てもいいじゃない? たしかに電車内の静寂は破られるけど、ここまで静かなのは東京の電車だけだよ。
でも、にこりともせず「しっ、静かに」というマダムがいたのである。30年前には、戦前派がおばあちゃん世代だったからね。けっこう、こういう目に遭った。
こういうとき、「うるさくして、すみません」と謝ると、息子に肩身の狭い思いをさせる。そこで、私が編み出したのが「お気に障ったら、すみません」だったのである。息子の言動には謝らず、相手の気持ちにだけ謝る。彼の脳の、無邪気な出力を祝福してやりたかったから。
けれど、彼の興奮が冷めやらず、本当にうるさいときは、「電車で騒ぐ男はカッコ悪い。ママはカッコ悪い男は嫌いなの」と言って、ぴしゃりとやめさせた。世間に遠慮してイラついた母親に叱られたからではなく、「過剰なのはカッコ悪い」からやめる。やめさせられることは一緒でも、母親にとっても子どもにとっても、納得度がまるで違う。
子どもの無邪気は○、親の無神経は×
そんなことを私がパーソナリティを務めるラジオ番組で語ったら、「そうは言っても、混んだ電車に、子どもに靴を履かせたまま抱いて入ってくる親とか、電車の椅子に土足のまま立たせる親とかいるんだよな」という投稿が飛び込んできた。
私は、子どもの無邪気は守ってあげたいけど、親の無神経は許しているわけじゃない。たしかに、こうやって迷惑をかけると、「お気に障ったら、すみません」じゃ済まない。「気だけじゃなくて、私の、お高い白いコートに泥靴が触ってるんですけど?」ってことだもんね。
公共交通機関で必須のシューズカバー
「お気に障ったら、すみません」が効くのは、実害がないときだけ。というわけで、私は、孫を連れて、ベビーカーなしで公共交通機関を使うときは、シューズカバーを持っていくつもり(我が家では、靴を履いた孫を連れて、ベビーカーなしで公共交通機関を使ったことがないので、まだ未遂だけど)。
シューズカバーは、息子の子育てのときに重宝した。バッグに入れておいて、抱っこするときに、彼の靴にかぶせるだけ。脱がすよりずっと簡単で、靴を持たないでいいので始末がいい。
それをラジオで言ったら、シューズカバーを知らない人が多くてびっくりしたので、ここで言っておこうと思う。シューズカバーは公共交通機関を使うときの必需品である。いつもは車移動という方も、新幹線や飛行機に乗るとき、旅先でバスに乗るにも、とても重宝なので、ぜひ旅のお供に。
ネットで「ベビーシューズカバー」と入れると千円程度でいくらでもあるけど、楕円の布のふちを縫ってゴムを通せばいいだけなので、裁縫のできるおばあちゃんなら、端切れで作れるのでは? なんなら、使い捨てのシャワーキャップと輪ゴムでも代用できる。
シューズカバーは、他人様の洋服や公共の椅子を守るためのマナーだけど、孫の無邪気力を守るためのマナーでもある。
孫の無邪気力を守るために、親たちの無神経には予防策を講じる。21世紀祖父母の心得の一つである。
---------- 黒川 伊保子(くろかわ・いほこ) 脳科学・AI研究者 1959年、長野県生まれ。人工知能研究者、脳科学コメンテイター、感性アナリスト、随筆家。奈良女子大学理学部物理学科卒業。コンピュータメーカーでAI(人工知能)開発に携わり、脳とことばの研究を始める。1991年に全国の原子力発電所で稼働した、“世界初”と言われた日本語対話型コンピュータを開発。また、AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である「サブリミナル・インプレッション導出法」を開発し、マーケティングの世界に新境地を開拓した感性分析の第一人者。近著に『共感障害』(新潮社)、『人間のトリセツ~人工知能への手紙』(ちくま新書)、『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』(講談社)など多数。 ----------