「そこに女がいるからだ…」米国のバッタが繰り広げる“メス争奪戦”がまるで人間模様だった
『バッタを倒すぜ アフリカで』(光文社新書)より
野外研究の武者修行のため、文通相手の教授を頼ってアメリカに渡った「バッタ博士」。「ラバー(イースタン ラバー グラスホッパー)は湿地帯に浮かぶ小さな島を雌雄の出会いの場として使っている」という仮説を検証すべく、フィールドワークへと出かけた。観察や解剖を通して浮かび上がってきたラバーの繁殖行動とは――。本稿は、前野 ウルド 浩太郎『バッタを倒すぜ アフリカで』(光文社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
島はオスとメスの出会いの場
との仮説を検証
今回の仮説はこうだ。
湿地に囲まれた島では、産卵しにポツポツやってくるメスを多数のオスが待ち受けているはずだ。ダグ(編集部注/イリノイ州立大学のダグラス・ホイットマン教授)によると、ラバーのメスは約20日おきに産卵するため、一度に産卵できるのは20匹に1匹、すなわち理論上は全個体中5%のメスだけである。
島での性比はオスに偏り、ほとんどのメスはオスに交尾されているはず。一方、湿地の隣の道路沿いの陸続きの草に覆われたエリアでは雌雄の性比に偏りがなく、ほとんど交尾していないはず。
本当は湿地帯の真ん中で調査したかったが、データをとるのが難しいため、お手軽にデータがとれる場所をコントロール(比較対照になる群)として選んだ。
今回は、同じ場所で2時間おきに雌雄が何匹いるか、メスはシングルか交尾しているかを定期観察し、データ数を稼ぐことにした。モーリタニア(編集部注/筆者はサバクトビバッタの研究のため、2011年4月にモーリタニアに渡った。この研究活動が認められ、現地のミドルネーム「ウルド(○○の子孫の意)」を授かる)で自分なりに考えたデータのとり方が、実際のフィールドワーカーが考案したものに似ており、的外れなことをしていないことを知れてホッとした。
結果を簡単にまとめると、道路沿いではどの時間帯もオスがメスよりもわずかに多かったが、島では極端にオスに性比が偏っていた。最も性比が偏っていた時はメス1匹に対し、オスが85匹もいた。
また、道路沿いと島では、メスの交尾行動が異なることがわかった。島のメスはほぼ全てがオスにマウントされていた。一方、道路側ではほとんどがシングルであった。
ラバーのメスは産卵のため
島にやってくることが判明
仮説を支持するデータが得られつつあったが、ここでダグが画期的な提案をしてくれた。
「島で、オスが産卵しにやってくるメスを待ち受け、交尾が成立しているが、メスは成熟した卵を持ったときだけ上陸しているのかを確かめるために、解剖して卵巣の状態を調べるといいな」
なるほど、島で産卵しているメスはいるものの、別の用事で島にやってきたメスもいるかもしれない。
バッタ類の卵巣は、卵製造機である。
一対のクシ状の器官のひとつずつの歯にあたる卵巣小管は、1本ずつが数珠状になっており、できあがった卵を運ぶ輸卵管と呼ばれる1本の太い管状の器官に連結している。
輸卵管に連結している卵巣小管の数珠つなぎになっている一つ一つの数珠は卵母細胞と呼ばれ、一番根元の卵母細胞が大きくなると卵になり、輸卵管に移動し、根元から二番目の卵母細胞が次に発達して卵になる。このサイクルを繰り返し、産卵している。
つまり、輸卵管に卵があるか、卵母細胞の大きさによって、産卵直前の卵を持っているかどうか判断できるわけだ。外見から正確に判断することは難しく、解剖して卵巣を直接観るほうがよい。島にいたメスを宿泊先のロッジに持ち帰り、解剖して卵巣の状態を調査した。
結果は、島にいた交尾中のメスと交尾を終えたメスの輸卵管には、ほぼ全て卵があった。
まとめると、この島のほとんどのメスは輸卵管に卵を持ち、産卵の準備ができていた。あるいは産んだばかりだった。このことは、メスは産卵しに島にやってくることを示している。
今回、時間の都合で道路沿いのメスは解剖しなかったけど、とりあえず、産卵間近のメスだけが島にやってきていることはわかった。行動的なデータに加えて、生理学的なデータもあれば繁殖行動の理解が進む。サバクトビバッタを調査する際にも有効である。良きアイデアを頂戴した。
オスが島に集まる理由は明快
「そこにメスがいるからだ」
ふと疑問に思ったのだが、なぜオスはライバルひしめき合う島で、オス同士で競い合ってメスを待ち伏せしているのだろうか。どこか別の場所に行ってナンパしたほうが、抜け駆けできそうなものを。
おそらく、ただでさえノロマなオスである、湿地帯でメスを探し当てるのは下手くそなのだろう。待ち伏せしていたほうが、よりメスと出会える確率は高まるに違いない。
ダグの目撃情報によると、メスが島に到着すると、多くのオスがメスにマウントしようとし、時にはメスを真ん中にして、アプローチしてきたオスたちで球状になるほどのモテっぷりだという。
最終的に1匹のオスがマウンティングに成功し、メスとカップルになる。数時間交尾をした後、交尾器の結合を解くが、オスはメスの背中に乗ったまま、メスが卵を産むまで護衛をする。自分の精子が卵の受精に使われるように、オスは産卵までメスを見張る必要があるのだ。
オスがどのように産卵中のメスをガードしているのか観察することができた。他のライバルオスが近づくと、ガードしているオスは体を小刻みに揺らし、またカラフルな翅をばたつかせて威嚇し追い払う。私的には何一つ脅威を感じないが、バッタの世界では効果的なボディーガード術なのだろう。このようにして、オスは自分の精子だけが卵の受精に使われるようにしている。
ダグが今回の観察結果を喩えてくれた。
「ここで、1920年にアメリカで有名な銀行強盗、ウィリー・サットンが100軒の銀行を襲ったという笑い話を紹介しよう。
なぜ銀行を襲ったのかと聞かれたウィリー・サットンは、“そこに金があるからだ!”と答えた。なぜラバーのオスは丘に集まるのか?なぜならば、そこにメスがいるからだ!私たち人間も同じのはず。なぜ男はナイトクラブに行くのか?そこに女がいるからだ!」
調査中、砂利道にクマがいた。50メートルは離れていただろうか。私を見つめてきた。野生のクマを見るのは初めてだが、背中を見せると襲われると聞いたことがあり、たじろがずにビデオ撮影する。ブログのネタになるぞ、しめしめと、うまいこと撮影できた。
ダグと合流し、クマ(ベアー)がいたと伝えると、ここいらにはクマはいないから見間違いだと否定される。クマは英語でベアーであることは知っていたが、別の呼び方でもあるのだろうか。動画を見せると、やはりベアーであっており、大変驚かれた(日本に帰国後、クマが目撃されたことがニュースになったとダグから連絡があった。私はその第一の証拠を手に入れていたことになる)。
クマ、ワニと危険動物のオンパレード地帯での調査を無事に終え、イリノイへと戻った。
圧倒的に欠けていた「経験」を
フィールドワークで得られた
帰国直前、ダグの家で送別パーティーを開いてもらった。学生たちを招き、乾杯の前にはスーパーボウルが開催されることになった。
スーパーボウルとは、お祭りの屋台で見かける非常に弾力に富んだゴムボールのことではなく、アメリカンフットボールの最高の大会のことだ。アメリカ合衆国、最大のスポーツイベントが、今ここに。
さっそく2チームに分かれ、楕円形のボールを抱えて走ったり、仲間にパスしたりしてやいのやいの遊び始めた。リアルなアメフトは、強烈なタックルが繰り広げられる格闘技に近い激しさだが、お遊戯としてのアメフトのため、凶悪なタックルをするガチ勢はいなかった。
相手の陣地に向かって走り、後方から天高く放られたボールを胸で抱きしめるようにキャッチした。
「よくやったコータロー!アメリカではタッチダウンした者のみが大人になれるのだ。今、お前は大人になったのだ!」
ダグやみんなが握手を求めてきて、生まれて初めてのタッチダウンを祝福してもらった。
実は、フロリダ行きの飛行機代やら宿泊代やらを全てダグに出してもらっていた。
『バッタを倒すぜ アフリカで』 (光文社新書) 前野 ウルド 浩太郎 著
「私はあなたがお金に困っていることは知っている。フロリダ行きで使うはずだったお金は、私には返さなくていいから他のことに使って、自分の研究を進めてください。その代わり、何か面白いことがわかったら、また報告してください」
いくら教授がお金に困っていないとはいえ、見ず知らずのポスドクに飛行機代を奢ってくださるとはなんとかたじけない。お金を返すのは誰にでもできるけど、バッタに関する新発見でお返しできるのは私だけだ。
この貴重な経験を活かし、サバクトビバッタの繁殖行動の謎を解き明かし、恩返しとしてお伝えすることを約束し、日本へ帰国した。
念願のフィールドワークでの調査――私に圧倒的に欠けていた経験を手に入れることができた。