森鴎外を祖父に持つ腕利きの外科医が訪問診療医へ 709人の看取りから見えた現代医療への疑問
AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。
訪問診療医として700人以上の看取りに関わってきた著者の小堀鴎一郎さんが、名もなき一人一人の物語から、在宅死をめぐる現実やコロナ禍での変化、介護業界の現状、さらに「生への医療」から「死への医療」への転換を描き出す。高齢化社会へ突き進む誰もに向けた導きの書となった『死を生きる 訪問診療医がみた709人の生老病死』。小堀さんに同書にかける思いを聞いた。
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その道は暗く厳しげでしかし力強く、その先にある光を感じさせる──この印象的な装丁画は小堀四郎氏によるものだ。画壇に属さず名声に背を向け、画業に専念した孤高の画家。そんな父の背中がいまの自分につながっていると小堀鴎一郎さん(86)は笑う。
「最近、人に指摘されてそう思うようになったんです。父は変わり者として社会から見下されても、自分を貫いた強い人だった。振り返れば僕にも権力に対する尋常でない反抗心があり、弱者に妙に肩入れするようなところがあった。それは父の生きざまと結びつくかもしれないなと」
森鴎外を祖父に、小堀四郎を父に持つ小堀さんは腕利きの外科医として食道がん手術に邁進してきた。67歳で一転、在宅で医療を受ける人々を診る訪問診療医になる。その活動はドキュメンタリー映画「人生をしまう時間(とき)」にも詳しい。執筆のきっかけは現場で人々の物語と出合ったことだ。
「家族にも知られず亡くなっていく人、死を知っても関心を示されない人があまりに多い。そんな一人一人の事例は僕が書かなきゃ誰も知らない、書き伝えるべきだと若い同僚に言われて書き始めたんです」
中学時代の同級生に触発されて医師を目指し、しかし試験に苦労した日々も明かされる。定年後「生活を維持する収入確保のため」市井の病院に勤めるも67歳で手術に限界を感じ、在宅医療に転じた。
「最初は衝撃でしたね。1日に6回おばあちゃんに呼び出されて、最終的には『電気がつかない』って用事で呼ばれる(笑)。いったいこれは医者のやる仕事なのか?と」
まだ介護保険制度もヘルパー介入も十分ではなく、訪問先はゴミ屋敷もざら。玄関先に寝ている患者を飛び越えて持参の椅子でカルテを書いた。
「のみ、しらみ、疥癬全部かかりました。でもこの仕事が面白くなってしまったんです」
戦前に映画女優として活躍した98歳の女性は自室を自身の全盛期のブロマイドで飾っていた。86歳のある女性は友人女性の病死後に後妻になることを決意した。市井の人々の人生を書き残すこと。それは名前も顔もない人々に顔と声を与える作業だ。さらに「生かすこと」が前提の現代医療への疑問や、高齢化社会に向けての提言もなされる。
「胃がん末期の76歳の男性は酒を自由に飲みたいと、食事もとれない状態から自宅に帰ることを希望した。翌日から彼の枕元にはチューブにつながれたウイスキーボトルがありました。患者のカルミネーション(=最期の望み)について私も模索する日々です」
自分はどんなふうに生き、どんな最期を迎えたいのか。自分を振り返り、家族で話し合う一助になり得る一冊だ。
「有名無名に関わらず人間は誰もが等しく、その人生は素晴らしい。特に介護に携わる人たちに『病人のわがまま』と済まさずその言葉に耳を傾け、誰の尊厳も大事にしてもらえればと願います」
(フリーランス記者・中村千晶)
※AERA 2024年6月17日号