日本の競争力がヤバい水準まで低下、企業のビジネスを棄損する「昭和な謎ルール」の元凶とは
「こんなのあり得ない」そう思うほど日本企業のビジネスの効率性は低下している。その元凶は?(写真はイメージです) Photo:PIXTA
世界競争力ランキングで過去最低
日本の「ビジネスの効率性」は深刻に低い
「こんなに朝から晩まで働いて、会社からかなりシビアに利益や成果も求められているのに、順位が下がるなんてあり得ない。こんなランキング、どうせ日本下げのインチキだろ」
先日、知識と教養と名刺を武器に組織で頑張るサラリーマンの怒りが爆発するような、理不尽な調査結果が報道された。
スイスの歴史あるビジネススクール「国際経営開発研究所」(IMD)が毎年、世界競争力ランキングを発表しているのだが、その2024年版で日本は、67カ国中38位と昨年から3つ順位を下げて過去最低となったである。
ちなみに同じ東アジアの中国は14位、韓国は20位。昨年はこれらの国と14ランク、7ランクしか離れていなかったのが、今年になって大きく差が開けられてしまった形だ。では、なぜこんなに日本だけが「地盤沈下」しているのかというと、「効率の悪さ」が足を引っ張っている。
《「ビジネスの効率性」に関する項目が軒並み低評価だったことが全体を押し下げました。なかでも「起業家精神」や「企業の機敏性」については、最下位でした。また、IMD世界競争力センターは、歴史的な円安が、日本の順位低下に影響したとしたうえで、「国内で年金受給者の購買力低下や財政の不均衡といった問題を生み出している」と指摘しています。》(テレ朝news 6月18日)
円安については、「円安上等。1ドル300円でも誰も文句言うはずない」と主張する有名経済学者もいるほどなので、意見が分かれるところだろうが、日本の「ビジネスの効率性」が世界的に見てもかなりヤバい状況にあるというIMDの分析に異論を挟む人はいないのではないか。
ムダに長い労働時間、何も決めず感想を言い合うだけの会議、会議のための資料づくりで残業、社内決済をとるための根回し、その根回しのための部内調整などなど……。日本の企業の中で何か仕事を進めようとすると、膨大な「ブルシット・ジョブ」(クソどうでもいい仕事)がつきものというのは、社会人経験のある人ならば多かれ少なかれ思い当たるはずだ。
では、なぜ日本はこんなにもビジネスの効率が悪いのか。いろいろな考え方があるだろうが、筆者は日本でこれまで常識とされてきた「ルールで縛る」という昭和のマネジメントの弊害だと考えている。
よく言われることだが、日本人は異常なほどルールに厳しい。
転職・求人情報サイトを運営するヒューマングローバルタレント株式会社と、海外ITエンジニア派遣を展開するヒューマンリソシア株式会社が、株式会社エイムソウルと共同で48カ国、1407名を対象に行った「職場における仕事観・倫理観に関する国際比較調査」というものがある。
これによれば、アメリカ、フィリピン、インドネシア、ミャンマー、韓国、中国と比べて、日本は最も「規範」が強いことがわかった。「ルールの不遵守」や「誤字脱字の数」「早期離職」などが他の6カ国と比べて最も許容できないという結果になった。
「これって意味あんの?」
謎ルールで縛る日本企業
「素晴らしいじゃないか!このような規律正しさが日本企業の強さにつながっているのだ!」と思う方も多いことだろう。実際、日本企業はこういう日本人労働者の気質を組織マネジメントにフル活用をしてきた。
部署内や現場で仕事を円滑に進めるための暗黙のルールをつくり、トラブルが起きれば社内ルールをつくり、会社が大きくなって新入りが増えれば仲間意識を高めるようなルールをつくり……というように「ルールで縛る」ことで、組織のガバナンスを強化して、チームの結束力も高めていったのだ。
ただ、物事には何でも良い面と悪い面がある。ルールで縛って人を動かしていくうちに、「なぜこのルールが必要か」と考えることなく、「ルールで縛る」ということが目的化してしまう。その成れの果てが、「これって意味あんの?」と首を傾げるような「職場の謎ルール」があふれかえる今の状況だ。
「朝礼では毎回、会長がつくった謎のフィロソフィーを独唱させられる」「女性は職場でメガネ禁止」「上司より先に退社してはいけない」「忘年会・新年会の幹事と隠し芸は若手の登竜門」などなど、みなさんの会社や業界にも、謎ルールや時代錯誤な慣習が一つや二つはあるはずだ。
実はこの「職場の謎ルール」が増えたのは、「異常なほどルールに厳しい」という日本人の気質のせいでもある。ルールをしっかり守る人は「ルール」と聞くと思考停止状態でそれに従い、否定することができないからだ。
そういう同調圧力がある組織は、新入社員が入るとわかる。もし新人が「あの朝礼で叫んでいるの、仕事になんか意味あんですか?」とか「上司がいても、仕事が終わったらさっさと帰った方が疲れも取れてパフォーマンス上がるんじゃないですか?」と職場の謎ルールにダメ出しをしたらどうだろう。
世界トップレベルで
「ルール破り」を許せない文化
「なるほど、いいこと言うね」と謎ルールが撤廃される企業もあるかもしれないが、ほとんどの会社はこの新人に「社会人失格」「協調性ゼロ」「面倒くさいヤツ」といった烙印を押してしまうのではないか。
先ほどの「職場における仕事観・倫理観に関する国際比較調査」でも明らかになったように、日本人は世界トップレベルで「ルール違反」を許容できない民族だ。だから、どんな理不尽な謎ルールであっても、それを守らない者は許せない。どんなに有能であろうとも、どんなにビジネスの効率性向上に貢献しようとも、組織には「不要」と判断されるのが日本企業なのだ。
このカルチャーを象徴するのが、日本のサラリーマンを揶揄する「社畜」という言葉だ。日本のビジネスシーンは、どんな理不尽でも、どんな不合理でも「組織のルールに大人しく従う者」こそが「正義」なのだ。
こんなコチコチに硬直した「ルールに縛られた組織」に「ビジネスの効率性」があるわけがない。「企業の機敏性」が67カ国中最下位となってしまうのは、実は日本企業の多くが「自分たちでつくったルールで自縄自縛になっている」という感じで、自由を奪われていることが大きいのだ。
さて、そこで次に気になるのは、なぜ日本人はこんなにもルールでがんじがらめになってしまうのかということだろう。
ネットやSNSでの議論を見ていると、「ムラ社会」とか「家父長制」とか「島国根性」というワードが飛び交うことが多い。確かに、日本人の「横並び」を尊ぶカルチャーや、出る杭を寄ってたかってへし折る陰湿さには、そのような要素も影響しているような気がする。
ただ、「村」も「家」も「島」も日本特有のものではない。海外でも多かれ少なかれムラ社会や家父長制は存在するし、島国根性もある。日本人だけがここまでルールに固執する根拠としてはやや弱い。
ルールへのこだわりを生む
人格形成まで踏み込んだ学校教育
日本人がここまで突出して「ルールを守る」ということにこだわるようになってしまったのは、やはり日本人に特有の要因があったと考えるべきだ。
実は、その条件にピッタリと合うものがある。「学校教育」である。
ご存じの方も多いだろうが、日本の学校教育は世界的に見てもかなりユニークだ。いろいろな特異性があるが、最も顕著なのが「ルールを守るのが人として正しい道」という人格形成に過度に注力している点だ。
世界では、基本的に学校は学びの場なので、教師も勉強を教えるだけで、子どもの「人格形成」などは親や周囲の大人たちの役目、という考え方の国も少なくない。
だから、日本ほど生活態度や服装にうるさくない。教室の掃除もしないし、髪型のチェックや、靴下や下着の色を教師が確認するような風習は珍しい。
何かしらのルールを設定する場合も、学校や教師が一方的に従わせるというよりも、子どもたちと話し合って決めることも少なくない。
なぜかというと、「ルール」(rule)には「ruler」(支配者)という言葉があるように、「人を権力で一律に支配する」といったネガティブなイメージがあるからだ。要するに、個人が自主的に従うものではなく、イヤイヤ従うのが「ルール」なので、子どもの教育にそぐわないという考え方もあるのだ。
だが、日本の教育現場はまったく逆で、「ルール」は人がこの社会で生きていくためには必要不可欠なものとされる。だから、教育現場でもホームルーム、部活動、合唱コンクール、大縄跳び競争、運動会での人間ピラミッドなどで、「ルールに従うことの重要さ」を徹底的に叩き込む。その中でももっとも効果的に子どもたちにルールを破ることの恐ろしさを体でわからせるのが、「校則」だ。
「ブラック校則」「学校の謎ルール」などが話題になっているように、子ども側はルールに疑問を持つことは許されない。どんなに理不尽なルールを定められてしても素直に従う者が「いい子」とされて、ルールを破ったり、口答えをしたりする子どもは「問題児」として排除をされる。
子どもは優秀な「社畜」予備軍?
学校教育法に見るルールの呪縛
「ん? ちょっと前に似た話を聞いたな」と思う人も多いだろう。そう、日本の学校教育で行われていることは、ビジネスの効率性がない会社が社員たちに「謎ルール」を押しつけているのとまったく同じではないか。
ここまで言えばおわかりだろう。日本企業が「ルールで縛る」という組織マネジメントに力を入れているのは、日本人がもの心がついた時から受けている学校教育がそうなっているからだ。
そう聞くと、「なぜ日本の学校教育は、そんなにルールを大事にするのか」と不思議に思う人もいるだろう。その答えはシンプルであり、そういうルールだからだ。学校教育法の「義務教育」の中にはちゃんとこう明記されている。
「学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」(第二十一条)
しかも、この規範意識を養う教育は「三つ子の魂」ではないが、小学校入学前から行われることが定められている。
「集団生活を通じて、喜んでこれに参加する態度を養うとともに家族や身近な人への信頼感を深め、自主、自律及び協同の精神並びに規範意識の芽生えを養うこと」(幼稚園の目標 第二十三条二)
このような規範教育を受けた子どもがどんな大人になるだろうか。マジメに学校に通っていた子どもほど、会社からの理不尽な命令にも喜んで従う「社畜」になるのではないか。誤解を恐れずに言えば、日本の学校教育というのは「優秀な社畜」の大量生産システムなのだ。
人口が増えて経済も好調な時はこのシステムはプラスに働いた。しかし人口が減って経済も冷え込むと逆回転していく。社畜があふれるような組織は、与えられたルールに従うだけで、新しい付加価値を創出することもできないし、イノベーションも生まれないからだ。
だから、日本のビジネスの効率性を上げていくには、まずはここを変えていくしかない。日本の「規範意識教育」を変えて、「ルールで縛る」という昭和のマネジメントから脱却をしなくてはいけないのだ。
「教育が悪い」というと、「左翼」などと叩かれてほとんど話を聞いてもらえないのだが、私は企業危機管理の仕事をやっていて、社長などの経営陣と打ち合わせをすると、びっくりするほど「学校教育」を引きずっていることに気づく。つまり、「どんなに理不尽なことであっても、組織が一度決めたルールに従うのが当然だ」という考えに縛られている。
昭和的な教育を受けた経営者や管理職が
「ルール縛り」を繰り返す負の連鎖
また、部下などにパワハラや暴力をふるうような管理職と話をすると、「会社のルールを守らないあいつが悪い」「みんなに迷惑をかけたから、これくらいやられるのは当然」などと学校のイジメっ子のようなことを平気で言う。さらに話を深く聞くと、学生時代に教師や部活の顧問に殴られて育った人も多い。
人は知らず知らずのうちに、自分が受けた教育を次世代に繰り返す。パワハラを受けて一人前になった人は、管理職になれば下にパワハラをしてしまう。それと同じで、子どものときから「理不尽なルールに従う」ということを強いられていた人は、経営者やマネジメント層になると、組織全体を理不尽なルールで縛ろうとする。
そういう「負の連鎖」を断ち切らない限りは、日本の競争力はどんどん低下していく一方ではないかだろうか。
(ノンフィクションライター 窪田順生)