老後「わがままばかり言う人」「心穏やかな人」の決定的な違い
老後「わがままばかり言う人」「心穏やかな人」の決定的な違いとは?
42歳でパーキンソン病に侵された精神科医のエッセイが、韓国で売れに売れている。『もし私が人生をやり直せたら』という本だ。「自分をもっと褒めてあげようと思った」「人生に疲れ、温かいアドバイスが欲しいときに読みたい」「限られた時間を、もっと大切にしたい」と共感・絶賛の声が相次ぎ、35万部以上売れているという。
そんなベストセラーエッセイの邦訳が、ついに刊行される。男女問わず、多くの人から共感・絶賛を集める本書の内容とは、いったいどのようなものなのか? 本書の日本語版から抜粋する形で、「人生の限りある時間」の過ごし方について書かれた項目を紹介していく。
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老後「わがままばかり言う人」「心穏やかな人」の違いとは?
「私がママの患者だったらよかったのに!」
わが子どもたちが10代の頃、私に向かって吐いていた文句です。患者の話はきちんと聞くくせに、自分の子どもの話には耳を傾けてもくれないどころか小言ばかり言うと、私に当てつけての言葉です。
実際、人間というのは関係が遠い人ほど丁寧に扱う傾向があります。よく知らない人だからこそ相手の気持ちを優先し、自分の希望や意見を抑えられる。無駄な衝突を避けて円満に事を運びたいという気持ちがあるからです。
また、相手に対しての期待値も低いため、お互いの意見が食い違ったとしてもさほど気になりません。つまり、家族はお互いを良く知っているがゆえに深いダメージを与えることもでき、相手への期待が大きいからこそ失望も大きくなるのです。
こうした親しい間柄で争わずにすむ方法はないものでしょうか。関係を断つ? それは極論ですね。そうせずとも方法はあります。お互いに傷つけ合い、取り返しのつかないことになる前に、一定の心理的距離を置くことです。
距離を置くということは、相手への気持ちをしまい込み、関心をなくすことではありません。「相手と自分は別の人間であることを認める」ということなのです。具体的にどうすればいいか、詳しく解説します。
「自分の思い通りにならなくて当然」と考える
相手は自分とは違う人間ですから、自分の思い通りにならなくて当然。責めたり批判したりしないで、相手の決定を尊重すべきだということです。
相手との距離が縮まるということは、ふたりの人間がひとつになることではありません。愛情でも友情でも、ふたりが親密になるために必要なことは、相手が自分とは違う人間であるという事実を認めて尊重することです。
互いの距離が保てれば、相手の領域をむやみに犯すこともありません。それでこそ相手も心を開き、お互いの理解を深めようとするのです。したがって、親しき仲というのはゴールではなく道のりであり、親しき仲を維持するための努力もまた必要なのです。
関係が深まるにつれ、「私たちの仲なのに、こんなことまで気を遣わなきゃならないの?」と考えがちですが、親しき仲にも礼儀ありです。相手が何事も受け入れてくれると期待してはいけません。また、相手の弱点をつついたり、プライドを傷つけるような言葉も避け、お互いの信頼を第一にしましょう。42歳でパーキンソン病と診断され、65歳を過ぎた今、強くそう思います。
古くからの教えに、「家族とは、涙で歩む人生の道のりにおいて、もっとも長く、もっとも遠くまで、見送ってくれる人だ」というものがあります。家族に限らずとも、自分のことを信じて支えてくれる人たちの存在があれば、人は不安な人生でも一歩一歩、前に進む力を得られるのです。
(本原稿は『もし私が人生をやり直せたら』から一部抜粋、追加編集したものです)