「貧富の格差」はもはや必然、キリストも認めた理不尽を乗り越える方法
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イエス・キリストは、持つ者はさらに豊かになり、持たざる者はますます貧しくなると説いた。このような現象はマタイ効果と呼ばれる。現在では、世界的に貧富の格差が開き、その差はもはや埋まりそうもない。世の真理であるマタイ効果を是正し、乗り越えていくにはどうすればよいのだろうか。※本稿は、橋本努『「人生の地図」のつくり方――悔いなく賢く生きるための38の方法』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。
複利の仕組みで富める者は富み
貧しい人はますます貧しくなる
かつてイエス・キリストは、次のように述べた。
だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ。(1:マタイによる福音書、25:29(新日本聖書刊行会訳『聖書:新改訳2017』いのちの言葉社、2017))
富んだ人は、ますます豊かになるが、貧しい人は、ますます貧しくなる。社会学者のロバート・マートンは、このような現象を、イエスの言葉を含んだ聖書のマタイ書にちなんで、「マタイ効果」と名づけた。(2:Metron(1968))
同書より
マタイ効果とは、放っておけば貧富の格差が拡大するという、社会の一般則である。
いま、銀行にお金を預けた場合の利子率が、年10%であるとしよう。すると1000ドルを預けた人は、複利だと10年後に2594ドルを手にするだろう(図のA)。これに対して100ドルを預けた人は、10年後に259ドルを手にするだろう(同、B)。初期の段階で多額の資金にめぐまれた人は、ますます富んでいく。これに対して少額の資金しかもたない人は、あまり富むことがない。このように利子率は、富んだ人をいっそう豊かにする効果がある。
反対に、銀行からお金を借りる人は、利子率の分も返済しなければならない。いま借金する際の利子率が10%であるとして、1000ドルを借りた人は、10年後に2594ドルの返済を迫られる(同、C)。生活はますます苦しくなるだろう。
利子率はこのように、私たちの資産格差を拡大させる。これは経済の基本現象であるから、これを「マタイ効果」と呼ぶのはいささか大げさであるかもしれない。社会哲学者のヤン・エルスター(3:Elster(1990:34))によれば、マタイ効果というのは、言葉の選び方がよかっただけで、そこには何も驚くべき洞察はないという。
しかしマタイ効果には、倫理的に検討すべき点がある。多額の資金をもっている人が、利子率のおかげでますます富んでいくというのは、倫理的に望ましいだろうか。「富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる」というのは、社会的に抑制すべき傾向ではないか。例えば、株式投資などで得た不労所得に対する課税を強化するとか、多額の借金を抱えた人に手を差し伸べるなどの政策によって、マタイ効果を抑制すべきではないだろうか。
格差を生む「マタイ効果」を
是正するさまざまな対処法
経済以外にも、マタイ効果が当てはまる現象がある。例えば、平均よりも少し声が通る人は、人々の関心をたくさん集めることができるだろう。あるいは、平均よりも少し観察力のある人は、しばしば得をするだろう。このように、小さな差異が大きな損得になって現れる。このようなマタイ効果を抑えるために、私たちはどのような知恵を発揮すべきだろうか。
マタイ効果にはさまざまな対処法がある(表を参照)。
同書より転載
マタイ効果には、正の連鎖(勢力の拡大)と負の連鎖(勢力の縮小)がある。正の連鎖で許容しえない可能性のあるマタイ効果は、例えば独占である。市場社会のルールの下で、自然に独占企業が生まれる場合、これを否定することはなかなか難しい。けれども英語で「ウィナー・テイクス・オール」という言葉がある。勝者がすべてを獲得する現象である。モノポリーのようなゲームでは、勝者がすべてを獲得する。そのような現象が実際にあるとすれば、その帰結を変更する余地があるのではないか。私たちはそもそも、市場社会のゲームのルールに最初から納得して参加したわけではない。
あるいは、正の連鎖で許容しえないマタイ効果でも、その帰結を変更するのではなく、市場のルールを変えればよいこともある。例えば、独占禁止法を強化するとか、所得税の累進性を高めることによって、マタイ効果を抑制することができるだろう。
困ったケースもある。例えば、ノーベル賞を受賞した研究者たちの研究は、実力以上に評価されることがある。ノーベル賞受賞という名声が、その人の業績に対する人々の関心を高めるためである。反対に、受賞しなかった研究者は、実力に見合った評価を得ることができない。そこには、評価の優劣の拡大というマタイ効果が働く。
では、このような格差をなくすために、ノーベル賞を廃止すべきだろうか。ノーベル賞が廃止されれば、今度は別の賞が現れて、類似のマタイ効果を生み出すかもしれない。ある賞を廃止しても、公式/非公式に別の賞が生まれるのであれば、賞を廃止することによる効果はあまりない。ノーベル賞は、名声に対するマタイ効果をもつとはいえ、人類の英知を広めるという点では、許容できる制度であるのかもしれない。このような場合、私たちは科学者たちに対する評価について、できるだけマタイ効果が生じないように知恵を絞るべきだろう。
現世は不条理だらけだが
死ねば救済される?
『「人生の地図」のつくり方――悔いなく賢く生きるための38の方法』 (筑摩書房) 橋本努 著
研究者たちの成果をめぐるマタイ効果について、面白い研究がある。研究者たちの論文の生産性は、研究の初期段階で、どれだけの数の論文を書いたかによる、という実証研究である。(4:山崎(1982))研究者たちの生産性は、初期の段階で大きく決まってしまう。ではどのような環境条件のもとで、研究者たちは最も実り豊かな研究成果を上げるのか。その条件をうまくデザインできたなら、最大限の成果を引き出すことができるだろう。
他方で、マタイ効果には、許容しえない負の連鎖もある。例えば、借金を重ねて自己破産に追い込まれるようなケースである。この場合、政府は自己破産した人を、自己責任だと突き放さずに救済すべきではないか。あるいは、借金をする際のルールを変更することで、負のマタイ効果を抑制することもできるだろう。例えば、多重債務の禁止といったルールを導入すれば、自己破産する人を減らすことができるだろう。それとは逆に、許容しうる負のマタイ効果もある。例えば、働く人が減って経済が停滞する場合、そこに生まれる負の連鎖は、ある程度までは仕方のないことかもしれない。
マタイ効果には、いろいろな対処法がある。けれども、制度的にはどうにもならないマタイ効果もある。例えばキリスト教では、「(霊や魂において)貧しき者こそ幸い」であると言われる。というのも貧しい人は、富んだ人よりも、自分の魂が救済される可能性を手にしているからである。世の中には、許容しえないマタイ効果があるといっても、宗教の視点でみれば、大切なのは死後の世界であり、死後の魂の救済である。マタイ効果から私たちが学ぶべきは、この世の不条理である。この不条理のもとで、私たちは自分の魂が救われることを、いかにして確信することができるのか。それが本来、問われるべきかもしれない。