「なんで、なんで、なんで……」会社から「営業失格」の烙印を押された銀行員マンの悲嘆
「職系コース転換だ。キミには、預金担当課の管理者を目指して頑張ってもらう」
入行以来、20年も営業畑で働いてきた銀行マン。しかし愛すべき営業人生も、会社の方針で突然の終わりを迎えてしまう。人は大切な拠り所を失ったあと、どう生きればいいのか? 現役行員の目黒冬弥氏による『 メガバンク銀行員ぐだぐだ日記 このたびの件、深くお詫び申しあげます 』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
写真はイメージ ©getty
◆◆◆
営業人生の終わり
「職系コース転換だ。キミには、預金担当課の管理者を目指して頑張ってもらう」
堂島支店長から呼び出され、そう告げられた。頭が真っ白になった。
職系コース転換とは、営業職から事務職へ移ることを示す。預金担当課というのは支店の預金窓口の担当ということだ。事務職は営業成績というわかりやすい物差しがないため、評価されにくい。出世してもせいぜい副支店長どまりで支店長まで昇進することはまずない。明文化された人事ルールがあるわけではないのだが、事務職の者が支店長に昇進した例は私の知る限りたったひとつもない。
40代前半の私はすでに出世コースから大きく道を逸れていたが、営業職で実績を上げれば、再びそのレーンに舞い戻ることができる。ギラギラした出世欲はすでになくなっていたが、それでも銀行員としてのレースを走っている気分ではいた。
営業職では、自分自身が納得できるチームを作り、仲間たちと同じ目標に向かって邁進する醍醐味がある。融資先から感謝されたり、ビジネスマッチングした企業から喜ばれたりと、自分の仕事がお客のためになっていると実感できるシーンがある。苦労やプレッシャーもあったが、私は営業職が大好きだった。
入行以来20年にわたって突き進んできたその営業の道がここで途絶えたのだ。
「なんで、なんで、なんで……」
考えはまとまらず、ぼんやりとした問いが頭の中をぐるぐると駆けめぐっていた。
その日は期末日で夕方から打ち上げが行なわれる。いつもなら参加するのだが、一言も口をきくことができず、そのまま帰途についた。
うちに帰ると妻が驚いた。
「今日、期末の日でしょ? なんでこんなに早く帰ってくるの?」
「転勤になったよ」
その言葉に妻はさらに驚き、心配そうに尋ねる。
「どこに行くの?」
「事務推進部だって。まず管理者養成研修に参加して、その後はどこかの支店の預金担当課に行くんだそうだ。つまり営業はもう終わり」
妻はすべてを察したように、それ以上何も言わなかった。
「今日は何も食べたくない。ごめん」
そのまま部屋にこもり、布団に入る。布団で横になっているとこれまでの銀行員生活のさまざまなシーンが思い起こされ、自然と涙がこぼれてきた。
引き継ぎ最終日、有志が送別会を開いてくれた。ふつうなら自分の課の部下に囲まれ、思い出話、苦労話で盛り上がるところだが、私の部下は誰も同じテーブルにいなかった。彼らはみんな、私が「営業失格」の烙印を押されたことを知っている。だから、腫れ物に触るように遠ざかる。
「俺たちが課長の人生変えちゃったのかな」
途中でトイレに立った。用を足してトイレから出ようとすると、前の廊下で部下2人が立ち話をしていた。
「なんか俺たちが課長の人生変えちゃったのかな」
「でも銀行員なんだから、そんなもんだろ。銀行員の宿命ってやつだろ」
悔しい気分もあったが、すでにいろいろなことを受け入れ始めていた。
彼らが言っていたとおり、これは宿命なんだ。
八潮支店での私の成績は、飛び抜けていいとはいえなかった。それでも与えられた営業目標はなんとか達成していた。当初はよそよそしかった2課の部下たちとも少しずつ関係性を築いていた。課全体で営業目標に向かって突き進む“チーム”を作りあげつつあった。少なくとも私はそう実感していた。
堂島支店長が私を異動させた理由は、今でもまったくわからない。明確な説明は何もなかった。ただ言い訳するように「目黒君は女子ウケがいいから大丈夫だな」と言われたことを覚えている。
営業人生に関わる異動なら、理由は本人にきちんと説明すべきだろう。
2022年現在では、栄転であれ、そうではない異動であれ、支店長が本人に次の支店での活躍を期待する旨などを直接伝えるようになってきている。
念願の「取引先課課長」人生はこうして失意のうちに終演した。
〈 給料は3分の1に下落、お客から「バカかよ。死ねよ」と言われたことも…会社から「営業失格」の烙印を押された“銀行員マンのその後” 〉へ続く
(目黒 冬弥/Webオリジナル(外部転載))