めちゃイケレギュラーだった三中元克、過酷ロケ挑戦も当時のギャラは“素人”と同等だった
18年3月に放送終了したフジテレビ系バラエティー番組「めちゃ×2イケてるッ!」のレギュラーメンバーだったお笑いタレント、三中元克(33)が、23日までに、お笑いコンビ・ニューヨークのYouTubeチャンネルに出演。当時のギャラや待遇などを明かした。
三中は10年10月、同番組のオーディションで、素人ながら新メンバーに選ばれ、青色のジャージー姿と「三ちゃん」の愛称で親しまれ、人気を博した。当時、高校卒業後に芸人を目指して上京。養成所に入るための入学金をためるためにアルバイトをしていた中でオーディションに参加し、一躍時の人となった。
しかし当時は芸能事務所などには所属しておらず、身分としては「“フジテレビ預かり”みたいな感じなので、『めちゃイケ』の人たちが『この仕事だったらやっていい』って言ったものしかできない」ため、他局の番組などに出ることはほぼなかったという。番組の報酬はフリーのため自身に直接振り込まれていたが、金額については「大学の初任給ぐらいですかね」と、番組での立ち位置同様、ギャラも“素人”と同等だったことを告白した。
一方、番組では東名高速道路・足柄サービスエリアの総支配人として住み込みをしながら1年間接客をしたり、「みちのくプロレス」の練習生としてプロレスラーを目指す、といった過酷な企画を任されていた。みちのくプロレス企画中はトレーニング以外にも合宿所の掃除や、雪国のため雪かきなどをこなしていたが、「『めちゃイケ』から給料はなかったです。東京の家賃だけ払ってもらっていた。飯は、練習生って月に1万円もらえるんですよ。それで近くのスーパーに行って、ちゃんこの材料買ってきて、プロレスラーみんなが食べる分のちゃんこを作らなきゃいけなかった。向こうでの楽しみは一切なかった」と振り返った。
あまりの過酷さに「どうやったら(東京に)帰れるんだろうってずっと考えていて、外にランニング行ったときに、通っている車とかにちょっとぶつかれば、帰れるんじゃなかって、本当に飛び出そうと思った」という。ある時には山道をランニング中に倒れ「『ヤバい、起きな』と思ったんですけど、『なんかもういいや、このまま死ぬんだったら死んでいいや』って思った。途中でやっぱり立とうと思ったら、体が震えて立てなかった。雪も結構、積もっちゃってて、本当にヤバいってなったときに、たまたまみちのくプロレスの人が通りかかって『どうしたー!』みたいな感じで…もうちょっと遅かったら本当に死んでたかもしれない」と笑って話した。
その後も三中は、番組降板の経緯や、その後の扱われ方などについて話し、聞いていたニューヨークの2人も“ドン引き”していた。
三中元克(2016年撮影)