じつは、炭水化物と混ぜ合わせなければ「脂肪は燃えない」…! なんと、山頂ラーメンは「あなどれない山ごはん」だった
登山人口は年々増加の一途をたどり、いまや登山は老若男女を問わず楽しめる国民的スポーツになっています。いっぽう、登山人口の増加に比例して山岳事故も増えており、安全な登山技術の普及が喫緊の課題となっています。
運動生理学の見地から、安全で楽しい登山を解説した『登山と身体の科学 運動生理学から見た合理的な登山術』(ブルーバックス)から、特におすすめのトピックをご紹介していきます。
今回からは、登山と栄養の関係についての解説をご紹介していきます。
*本記事は、『登山と身体の科学 運動生理学から見た合理的な登山術』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
登山者にとっての「3大栄養素」
登山中でも、すべての栄養素を必要十分に摂取できれば、それにこしたことはありません。しかし、人里離れた山の中で運動や生活をするので、欠乏する可能性もありえます。そのような場合、直ちに疲労に結びついてくる栄養素は、水、炭水化物、塩分の3つです。この3つが登山者にとっての3大栄養素だと考えておくとよいでしょう。
ほかの栄養素については、数日以内の登山であれば、多少不足したとしても前記の3つほどの重大な影響はありません。したがって、これら3つの栄養の補給をまず満たしたうえで、余裕があれば考えていくとよいでしょう。
【写真】人里離れて活動する登山者は、水・炭水化物・塩分を十分に考慮するようにしたい
水分については、アメリカで発表された古典的な実験*をもとに、水分補給を積極的に行うことの重要性について『登山と身体の科学』で詳しく考察しておりますので、ご参考いただければと思います。
*38℃の実験室内で、1時間ごとの小休止で、6時間歩くという実験。水分補給については、まったく水を飲まない、自由に水を飲む、1時間ごとに発汗で失ったのと同じだけの水分と塩分を補給、という3条件で、身体への影響を調べた。
この記事では、エネルギー源を補給せずに運動をするとどうなるかについて、筆者たちが行った実験を紹介します。
炭水化物(エネルギー源)が足りないとガス欠になる
一人の距離スキー選手に、朝食を食べた日と食べない日とで、同じ強度の持久運動をしてもらい、運動能力がどのようにちがうかを見たものです。
自転車エルゴメーター(負荷をかけられる固定式の自転車)を使って、心拍数が登山と同程度となる強度に設定し、水分補給は十分に行いながら、2時間以上こぎ続けてもらいました。そして血糖値と主観強度を測定しました。血糖値とは、血液中に含まれるブドウ糖(炭水化物)の量を表します。自動車の燃料計のようなものだと考えてください。
図「朝食の有無と運動能力との関係 」はその結果で、これも一目瞭然です。朝食を食べた日には、2時間運動を続けても血糖値は変化せず、主観強度も「楽」から変化しなかったので、そこで運動を打ち切りました。いっぽうで朝食を食べない日には、運動を始める前から血糖値が低い値を示しています。正常値の範囲内にはあるものの、ガソリンがだいぶ減ったような状態です。
【グラフ】朝食の有無と運動能力との関係 (山本、2000)
運動を開始すると、1時間くらいまでは楽に遂行できました。しかし1時間半後には、血糖値が低下し、それと同期してきつさが増加し始めました。そのまま運動を続けていくと、さらにきつさが増し、2時間20分のところで運動ができなくなってしまいました。筋が動かないだけでなく、脳の働きも低下して、受け答えもはっきりできなくなり、まるで遭難者のような状態でした。
登山のときは「シャリバテ」厳禁
このあと、もう一つ印象深いことがありました。低血糖で疲労しきった選手に缶ジュースを1本飲んでもらうと、血糖値は急速に正常値に戻り、再び運動ができるようになったのです。自動車のエンジンは、ガソリンがなくなれば動かなくなり、ガソリンを入れれば再び動くようになります。人間の身体にも、これと同じことがあてはまるのです。
登山者の間では昔から、シャリバテという言葉がありました。シャリ(ご飯)とは、栄養素でいえば炭水化物に相当します。つまり、食事といっても特に重要なのは炭水化物で、これが不足するとバテてしまうという経験則を言っているのです。
【写真】昔から登山者の間では、炭水化物の重要性が重視されていた
登山者は、朝食で、炭水化物を十分に摂っておくことが必要です。そして行動中にも、炭水化物の定期的な補給が重要になるのです。
脂肪は、炭水化物と混ぜ合わせなければ燃えない
登山中の主なエネルギー源は、前述のように炭水化物と脂肪の2つです。そして、両者を混ぜ合わせて燃やし、エネルギーを生み出しています。図「エネルギー源としての炭水化物と脂肪の特性」は、その様子を概念図で示したものです。脂肪の貯蔵量は莫大なのに対し、炭水化物のそれはごくわずかしかありません。このため、両者を半々ずつ燃やしていくとすれば、炭水化物のほうが先になくなってしまいます。
【図】エネルギー源としての炭水化物と脂肪の特性
ここで注意していただきたいことは、脂肪は炭水化物と混ぜ合わせなければ燃えない、という性質があることです。このため、炭水化物が枯渇した時点で、脂肪はまだ大量に残っているのに、筋を動かせなくなってしまうのです。
この性質は、ロウソクにたとえるとわかりやすいでしょう。ロウソクは、中央に糸でできた芯(炭水化物)、まわりにはロウ(脂肪)があり、その協同作業によって長時間にわたり光や熱を出し続けることができます。しかし、芯だけを燃やせばたちまち燃え尽きてしまいますし、ロウだけでは火をつけても燃えません。
このような性質を考えると、行動中は何をおいても炭水化物の補給が重要だということがわかるでしょう。炭水化物は脂肪を燃やすための燃焼促進剤のようなもので、小刻みに補給することが疲労を防ぐ になるのです。反対に、適量の炭水化物を補給し続けてやれば、きわめて長時間の歩行も可能になります。
先の記事*では、登山は体脂肪の減量に効果的だと述べました。その場合、何も食べずに歩くほうがより効果が高そうに思えるかもしれません。しかしこの図を見れば、炭水化物を補給しなければ脂肪は燃えてくれず、疲労を招くだけだということが理解できるでしょう。
*〈なんと「減量」どころか、「老化による体力低下」まで防ぐ…運動生理学で露わになった月イチ軽め登山「驚愕の運動効果」〉をご参照ください
朝食や行動食に向きの食べ物・下山後のおすすめ食べ物
炭水化物を多く含む食物としては、デンプン質と呼ばれるご飯、パン、ビスケット、うどん、ラーメン、パスタなどが代表的です。朝食、行動食とも、自分が食べやすい食品を選び、後述のエネルギー計算もしたうえで、定期的に補給します。また糖分と呼ばれる、アメ、果汁グミ、チョコレートなどの甘いものも炭水化物の仲間です。これらは行動中の補給に適しています。
【写真】アメやチョコレートなどの甘いものも炭水化物として、行動食に適している
なお行動を終えた後には、炭水化物の補充はもちろんですが、タンパク質や脂肪の積極的な補給も心がけます。タンパク質は、登山によってダメージを受けた身体の組織を補修するためにも重要です。タンパク質を多く含む食品は、肉、魚、卵、乳製品、豆類などです。
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続いて、水分や炭水化物の補給が足りないと起こるトラブルを見てみましょう。
また、解説中に、炭水化物を含む食品の例として、昼食でも人気のラーメンやパスタを挙げましたが、昼休み時の食物の摂り方にもちょっとした注意点があります。行動中の食品は、どれだけ持っていけば良いのか、どのように摂取したら良いのか、その目安となる計算式とあわせて、ご紹介します。
*こちらの続きは、5月23日(木)の公開予定です。
登山と身体の科学 運動生理学から見た合理的な登山術