【祝・沢田研二76歳】「この10曲、コンサートで歌ってほしい」 直訴した記者にジュリーは…
1971年のソロ・デビュー以来、毎年のように新作アルバムを発表してきた沢田研二さん。ザ・タイガースやPYG時代の作品、近年のミニ・アルバム、シングルの曲などを加えると、持ち歌は500曲を超す。おなじみのヒット曲以外にも、〝隠れた名曲〟が山ほどある。「この曲、コンサートで歌ってほしい」――。ファンの末席を汚す若輩者(56)がジュリーへの嘆願書をつづる。
拝啓
沢田研二さま
6月25日の誕生日、おめでとうございます。76歳ですね。
4月に東京・渋谷の公演を観ました。前から9列目のド真ん中。ステージを動き回り、豊かな声量で歌い上げる姿を間近で拝見しました。
幕開けは「ストリッパー」。続けて、「TOKIO」「あなたに今夜はワインをふりかけ」「おまえにチェックイン」「カサブランカ・ダンディ」……。次々に繰り出されるヒット曲の勢いに圧倒されながら、かつて沢田さんから聞いた言葉を思い出しました。
■過去のものを武器にしたくない
「僕は現役だから、過去のものを武器にしたくないんです。今の僕がどういう曲を歌いたいのかを示したいし、聴いてもらいたい」
2001年1月10日、横浜市の山下公園を見下ろす「ザ ヨコハマホテル」(当時)のスイートルーム。朝日新聞社にいた私が、初めて沢田さんにインタビューしたときの言葉です。「公演では、あまりヒット曲を披露しませんね?」と尋ねた際、そう答えてくれました。
「コンサートに来てくれる人の多くは僕と同類なんです。過去のヒット曲をやっても、その反響は、僕と同じように『ああ、それね』くらいな感じ。とくに都市部のファンは、どの曲を演奏したって、ずっと僕についてきてくれる。その人たちの前で、ヒット曲を繰り返し歌う必要はないなと」
あれから20年余り。いろいろありました。
自主レーベルを設立(02年)、還暦記念公演で80曲を熱唱(08年)、ザ・タイガース再結成公演(13年)、さいたまスーパーアリーナでのドタキャン騒動(18年)、映画2本で主演(21、22年)……。そうこうしているうちに、気がつけば、もう何度目だか分からない人気絶頂期を迎え、今や全国各地でチケットの争奪戦が起きています。
公演会場では、常連のファンに加え、久々にジュリーを見たくなった人、新たに興味をもった若い人の姿も目立ちます。先のインタビューで、沢田さんは「ファンだけじゃ、新たなヒットは生まれない。浮動票を取り込まないとブレークしない」と言っていました。満席の会場を見渡すと、今まさに浮動票が集まっているように見受けられます。
きっと、そのせいでしょう。ステージでは、「追憶」「渚のラブレター」「明日は晴れる」……とシングル曲が続きました。選曲には、多様な客層に対するファン・サービスという側面もあろうかと拝察します。でも、ファンの中にはわがままな輩もいます。私がそうです(笑)。
■一生懸命つくった曲だし
大好きな「恋のバッド・チューニング」にときめきながらも、「あの曲もやってくれないかなー」と身勝手なことを念じていました。
ご記憶にないでしょうが、2010年2月19日、東京・武蔵野のスタジオでインタビューした際、こんなやりとりがありました。
――1971年のデビュー以来、毎年必ずアルバムを発表してきました。世界的にも稀有な偉業ですよ。
「でも、去年から(フルアルバムは作らずに)数曲入りのシングルにしたんです」
――どうしてですか?
「毎年つくっていると、使い捨ての曲が増えちゃう。公演で1回しか歌わない曲も出てくるわけですよ。それぞれ一生懸命つくった曲だし、人から書いてもらった曲もあるわけで。無駄にせず、できる限り歌っていきたいんです」
そこで私はすかさず、1枚の紙をお渡ししました。
「ライヴで聴きたい10曲」というリスト。私がステージで見たことのなかった曲から選び、紙に書いて持参していたのです。以下の10曲でした。
●美しい予感(1971年「JULIE II」収録)
●夕映えの海(1973年「JULIE VI ある青春」収録)
●夜の翼(同)
●お前は魔法使い(1974年「JEWEL JULIE 追憶」収録)
●流転(1975年「いくつかの場面」収録)
●ナイフをとれよ(1977年「思いきり気障な人生」収録)
●I Believe in Music(1977年「沢田研二大全集」収録)
●素肌に星を散りばめて」(1982年「A WONDERFUL TIME」収録)
●月の刃(1991年「パノラマ」収録)
●彼方の空へ(2004年「CROQUEMADAME & HOTCAKES」収録)
■好みで言うと……
沢田さんは、無表情でしばらくリストに見入っていました。「『夜の翼』なんて、ほとんどやってないですねえ」「『美しい予感』『流転』……これもやらないなあ」「『I Believe in Music』はもう照れくさいですね」。個人的にイチ押しの「夕映えの海」には触れず、「『素肌に~』はときどきやったかな」。そんな調子で、ちょっと困惑されているようにも見えました。
歌詞の内容、ほかの曲とのバランスなど、ステージでやらない理由はさまざまでしょう。よせばいいのに、私は無茶な質問を重ねました。
――どこかのメディアで、ザ・タイガース時代の一番好きな曲は「君だけに愛を」と答えていました。ソロになってからの曲で、一番好きなのは何ですか。
「『君をのせて』とか『あなたへの愛』かなあ。好みで言うと……」
――「君をのせて」は1971年のソロ・デビュー曲。「あなたへの愛」は73年のシングル。近年の公演では、太くのびやかな歌声で、レコードとは一味違ドラマチックな印象を受けます。いつ聴いても素敵な曲ですよね。そう考えると、何度でもステージで聴きたい曲っていうのもありますよね。河島英五さんが書き下ろした「いくつかの場面」とか。
「あの曲は、いくつになっても歌えますからね。河島さんが何をイメージして書いた詞なのか聞いたことはないけれど、僕は『野次と罵声の中で』というくだりで、PYGの日比谷野外音楽堂を思い出す。空き缶を投げられたり、引っ込めと言われたりしたからね。『怒りに顔をひきつらせ去っていったあいつ』では、かつみ(加橋かつみ=元ザ・タイガース)のことを思い出すわけです。河島さんにはありがとうという気持ちです」
■コンサートで阿久さんの歌ばかりやるとつかれる(笑)
――阿久悠さんの作品としては珍しく、「詞先」でなく「メロ先」で、作曲者の大野克夫さんの才能が最大限発揮されている「あなたに今夜はワインをふりかけ」(1977年)も、毎回、大きく盛り上がります。
「でもね、僕はどっちかというと、安井かずみさんの詞が好き。『ちゃらちゃらしていても、大丈夫よね』って感じで、物事をはっきり言い切らない。ところが阿久さんの詞は強いでしょ。『男は誰でも不幸なサムライ』とか、『女は誰でもスーパースター』とか。歌う立場からすれば、『え、そこまで言い切ります? 僕、困ります』って(笑)。観客や視聴者には『この歌、虚像ですよ、演じているだけですからね』と言いたくなる。それで勢い、海軍の短剣を手にしたり、ハーケンクロイツの腕章をつけたりして、派手に演じるしかなかった。『やっちゃえ、やっちゃえ』と。コンサートで阿久さんの歌ばっかりやるとね、歌う方も聴く方もつかれますよ。どの曲も濃いでしょ(笑)」
(元週刊朝日編集長 佐藤修史)
【後編】<【沢田研二・祝76歳】 終演後の楽屋でジュリーが笑顔で言った一言とは 渋谷公会堂の忘れがたい思い出>に続く。