「絶対嫌だ!こんな歌嫌だ!」と大暴れ…中森明菜(58)が涙を流しながら“歌うのを拒否した”大ヒット曲の正体
「絶対嫌だ!こんな歌嫌だ!」「絶対歌わない!」――嫌いに嫌ったタイトルで大ブレイクするとは、なんたる皮肉。デビューまもない中森明菜が歌いたくなかった「のちの大ヒット曲」とはいったい? 80年代の音楽史に詳しい音楽評論家のスージー鈴木氏による新刊『 中森明菜の音楽 1982-1991 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
若かりし頃の中森明菜が歌うのを拒否した「大ヒット曲」とは?(写真:YouTubeチャンネル「AKINA NAKAMORI OFFICIAL」より)
「絶対嫌だ!こんな歌嫌だ!」
――「大爆発でした。『絶対嫌だ!こんな歌嫌だ!』と大暴れ。顔を真っ赤にして涙を流し鼻水を垂らして『絶対に歌わない!』と睨みつけてきた。」
『FLASH』(2022年11月29日・12月6日号)の記事、その名も「歌姫・中森明菜のリアリティ 大嫌いだった『少女A』」の中で初代ディレクター・島田雄三が語る、この曲の歌詞を見せられた瞬間の中森明菜の反応。
渡邉裕二『中森明菜の真実』(MdN新書)によれば、抵抗した理由は『少女A』の「A」が「AKINA」、つまり自分のことだと勘違いしたからだというのだが。
そんな中森明菜に対して島田氏は、「この曲を歌うんだよ!これで売れなかったら俺が責任を取って担当を降りる。だから、歌え!」と返したというから、到底穏やかではない。
しかし、こんな一触即発な雰囲気の中でレコーディングされた曲が、40年以上経った現在においても、中森明菜の代表曲であり続けるのだから、現実はまさに小説より奇なり。
ボーカルについては、先の『スローモーション』同様、のちの彼女のボーカルを考えると、まだまだ幼く、おぼつかない。それでも『スローモーション』よりも、ある種のパワーが声に宿っている感じがするのは、島田雄三との一触即発の空気のせいなのかもしれない。
ここでまた白状しなければならない。今回、この原稿を書くために、当時何度も聴いたこの曲を、あらためて何度も聴いたのだが、その度に――笑ってしまったのだ。「ギター、うるさ過ぎるだろ(笑)」と。
とにかく派手派手しいディストーションギター。それも何本も重ねられている。その上にまた、派手派手しいホーンが乗って、まさにギンギンに盛り上がるあたりを、少々滑稽に感じたのだ。こんなにけたたましいアイドルポップスが、かつてあっただろうか。ギタリストの名前は矢島賢。山口百恵や長渕剛の作品で名を轟かせたギタリスト。だからこの曲はさしずめ、「矢島賢 feat. 中森明菜」とでもクレジットしたくなるようなサウンドである。
そう、山口百恵――この曲の唐突な派手派手しさも「山口百恵テイスト」と捉えれば、それほど滑稽に感じずに飲み込むことができる。「80年代の山口百恵」を臆面もなく目指したサウンド、それが『少女A』だったのだ。
『ギター・マガジン』(リットーミュージック)の「恋する歌謡曲。」特集(2017年4月号)に紹介されている、矢島賢 × 山口百恵のコラボレーションによるヒット曲。
・『プレイバック part2』(78年)
・『絶体絶命』(78年)
・『ロックンロール・ウィドウ』(80年)
しかし、最高傑作といえば『曼殊沙華』(79年)にとどめを刺す。シングル『美・サイレント』のB面。この曲はもう「矢島賢 × 山口百恵」というより「山口百恵VS矢島賢」。引退1年前の山口百恵と矢島賢による異種格闘技戦の趣きがある。ぜひ一度聴かれたい。
そして編曲は、前回の船山基紀のライバル的存在=萩田光雄。この萩田も「チーム百恵」の一員で、先の3つのヒット曲に『横須賀ストーリー』(76年)も含めた全曲が「作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄」のトリオによるもの。
萩田光雄『ヒット曲の料理人』(リットーミュージック)によれば、矢島賢のギターは「すべて書き譜」としている。つまりは、あの派手派手しい・けたたましいサウンドは、すべて萩田の設計図通りということになる(ただし、細かい話だが、先の『ギター・マガジン』2017年4月号において、矢島賢は「『少女A』の間奏はアドリブです」と語っているので、多少は自由に弾いた部分もあるのだろう)。
『少女A』に隠された大きな物語
とにかく、矢島賢と萩田光雄という「チーム百恵」が、山口百恵のテイストを引き継ぎながら、ある意味「百恵よりも百恵らしい」サウンドを生み出し、『絶対歌わない!』とキレた中森明菜が、そのサウンドに必死に食らい付いた――これが、『少女A』に隠された大きな物語なのである。
対して、ソングライターチームは、「作詞:売野雅勇、作曲:芹澤廣明」という、当時まだ新進気鋭といっていいコンビ。ただ我々世代にとっては、この数年後に、チェッカーズの多くのヒット曲の作者として、何度も何度も目にした2人でもある。
と考えると『少女A』は、チェッカーズ最大のヒット曲『ジュリアに傷心』(84年)の前哨戦としてのマイナー・ロックンロールと位置付けられる。「山口百恵=中森明菜=チェッカーズ」という、一見何の関係もなさそうな星が一筆書きでつながれて、昭和50年代を彩る大きな星座が完成する。
作詞家・売野雅勇の最大の功績は「少女A」という秀逸かつ物騒なタイトルだろう。元コピーライターとしてのセンス全開。元々は、沢田研二に提供されながら没になった「ロリータ」という美少年ものの歌詞だったという。沢田研二の歌う「ロリータ」、ぜひ聴いてみたかった――。
さて。『少女A』を巡る人間物語はここまでとして、実はこの曲をデビュー曲にするという構想があったようなのだ。先の『中森明菜の真実』にある「当時を知るワーナーの営業担当者」の発言。
「ところが、制作スタッフの間から『少女A』がデビュー曲ではイメージがつき過ぎるという意見が出たようです。それに、この曲に対しては明菜本人も歌いたくないというか、どこかノリが悪かったようで、結果として『スローモーション』に決まったということです」
しかしややこしいのは、同『中森明菜の真実』によれば、デビュー曲『スローモーション』の次もまた、来生姉弟の作品でいくべきという意見もあったのだという(『月刊明星』84年3月号付録『YOUNG SONG』において、デビューアルバム収録『あなたのポートレート』を2弾目シングルにする構想があったという島田雄三の発言が掲載されている)。
これらの話は、現実(ファースト『スローモーション』→セカンド『少女A』)とは異なる下記2つのストーリーが選択された場合、歴史はどう動いただろうか、という妄想のきっかけを我々に与える。
(a)もし、デビュー曲が『少女A』だったら。
(b)もし、『スローモーション』に続くセカンドも来生姉弟作品(仮に『あなたのポートレート』)だったとしたら。
(a)(b)どちらの場合も、現実のような大ブレイクには結び付かなかった、それくらい現実の「ニューミュージック歌謡」→「80年代の山口百恵」の流れは見事だったと考えるのだが、個人的に強く興味をそそられるのは(b)である。
もし『スローモーション』→『あなたのポートレート』と、来生姉弟作品を続けたならば、もちろん現実のような大ブレイクには至らなかったであろうものの、もしかしたら大橋純子のような「ニューミュージック歌謡の歌姫」として、長く安定的な音楽活動を続けられたのかもしれない。逆にいえば、それくらい『少女A』は、中森明菜にとって、ある意味で重い十字架になったのかもしれない、と考えてしまうのだ。
嫌いなタイトルで大ブレイクする皮肉
この曲が最高位5位となった、82年10月18日付オリコン週間シングルランキング。
1位 近藤真彦『ホレたぜ乾杯!』
2位 一風堂『すみれ September Love』
3位 あみん『待つわ』
4位 中島みゆき『横恋慕』
5位 中森明菜『少女A』
「絶対嫌だ!こんな歌嫌だ!」「絶対歌わない!」という、少女・中森明菜の叫びに、スタッフが従順に耳を澄ましていたら……。そんな40数年後の妄想とは無関係に、「少女・明菜」は「少女A(KINA)」として一気に知られていくこととなる。嫌いに嫌ったタイトルで大ブレイクするとは、なんたる皮肉。
〈 ミニスカートとボディコン姿で当時の大学生たちをトリコに…評判がいいのに売れなかった中森明菜(58)『TATTOO』に“秘められたナゾ” 〉へ続く
(スージー鈴木/Webオリジナル(外部転載))