コンビニから「男性向け」スイーツが消えた納得の理由
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「男は辛党、女は甘党」が根付いていた昭和の戦後高度成長期。モーレツ社員は「菓子より酒」が絶対だった。今やコンビニのスイーツも「男性向け」さえ謳わなくなり、甘味もジェンダーフリーの時代となったが、意外にも「スイーツ男子」のルーツは江戸時代以前にさかのぼるという。本稿は、澁川祐子『味なニッポン戦後史』(集英社インターナショナル)の一部を抜粋・編集したものです。
「男の辛党、女の甘党」
という今は昔の固定観念
2008年(平成20)から2009年にかけ、「スイーツ男子」という言葉が広まった。
グルメ雑誌『料理通信』は、2007年2月号で「男のスイーツ 女のモルト」という特集を組んでいる。その冒頭で次のように問いかけた。
「スイーツ好きを堂々と名乗る男性は多くありません。聞けば『甘いもの、好きですよ』と答えるのに。まだまだ“女子供の食べるもの”というイメージが根強いのでしょうか?」
たしかにかつては甘いものを好きだと公言する男性は少なかったが、「スイーツ男子」という言葉を経た今は、甘いもの好きを自称する男性のタレントやスポーツ選手が増え、男性のスイーツ評論家やパフェ愛好家も現れた。昨今では、自分が食べた甘いものを男性がSNSに投稿するのは、もはや珍しいことでもなんでもない。
2000年(平成12)刊行の『食の文化フォーラム18 食とジェンダー』(竹井恵美子編、ドメス出版)で、栄養学を専門とする山本茂は「嗜好に生理的性差はあるか」と題する興味深い論考を発表している。
山本は、エネルギー必要量やタンパク質摂取量の性差など可能性を一つひとつ検討していく。そして最終的に、嗜好の性差は「本来の生物学的性差にもとづくものではない」との結論を導き出した。
それよりむしろ女性は甘いものが好きで、男性はアルコールが好きという社会的な期待を受け続けることによって、女性は甘いもの、男性はアルコールに接する機会が増え、結果的に「消化酵素やホルモンの分泌に差を生んだり、他の多くの生体の機能や形態までも変えているためであるように思われる」と述べている。
つまり、甘味に対する嗜好の男女差は後天的に獲得されたものである可能性が高いということだ。だとしたら、「男は辛党、女は甘党」という食の好みの性差は、日本でいつ頃から顕著になったのだろうか。
江戸時代は男子たるもの
菓子の知識も教養のひとつ
甘いものが女性と結びつけられるのは、日本に限ったことではない。デボラ・ラプトン著『食べることの社会学』(無藤隆・佐藤恵理子訳、新曜社、1999年)には「チョコレートと砂糖は伝統的に、女性の食べ物としてコード化されてきた」とある。ただ、日本と異なるのは、甘いものに対する“男性的”とされる食べものが西欧では「肉」であることだ。
日本では表向き肉食が禁止されてきた歴史が影響しているせいか、甘いものの反対の塩辛いもの、さらにその相棒としてのお酒が男性と紐づけられることが多い。
考えてみれば、甘いものとお酒は共通点が多い。どちらも摂取せずとも生きていける嗜好品であること。リラックス効果があること。さらにコミュニケーションの潤滑油になることだ。
その点からいうと、江戸時代まで甘いお菓子はお酒と同様、男性にとって重要なコミュニケーションツールだった。なんせ戦国武将の間で大流行した茶の湯に、菓子はつきものである。
1693年(元禄6)に刊行された啓蒙書『男重宝記』では「菓子類」の項目があり、約250種類もの和菓子の名前が簡単な説明とともに列挙されている。
苗村丈伯著『増補男重宝記』(吉野屋藤兵衛版、元禄15年版)より、 挿絵つきの菓子類の頁。(国立国会図書館蔵)
社交の場でもあった茶席で恥をかかないためには、男子たるもの、菓子の知識も教養の一つとして頭に入れておかねばならなかったのだ。
また、明治時代までは「嘉祥(嘉定)」という風習が行われていたが、これも菓子を通じたコミュニケーションの一形態と捉えることができる。
起源は平安時代、仁明天皇が御神託に基づき、6月16日に「16」の数字にちなむ菓子や餅などを神前に供えて疫病退散と健康招福を祈願し、「嘉祥」と改元したことに由来する。その後は武家社会に受け継がれ、江戸時代には幕府が大名や旗本を江戸城に集め、大々的に菓子を配ったほどだった。
ちなみに、現在では全国和菓子協会によって6月16日は「和菓子の日」に制定されている。
下級武士にしても、江戸勤番の日々を綴った幕末の和歌山藩士の日記『酒井伴四郎日記』を読むと、江戸に向かう中山道中や、滞在中の江戸でたびたび名物餅を食べている。江戸時代までは少なくとも、男性も気軽に甘いものを楽しんでいたのだ。
ならば変化したのは、民法によって家父長制が定められた明治時代以降ということか。しかし、そこからたどるとなると途方もないので、逆に「男は辛党、女は甘党」という縛りが薄らいだ現代からさかのぼって、転換点を探ってみたい。
「スイーツ男子はそこかしこに!」
オフィスグリコは気づいていた
スイーツ男子というネーミングが登場した端緒は、コラムニストの深澤真紀が2006年(平成18)に、恋愛に積極的でない男性を指して名づけた「草食男子」だ。そこから従来の“男らしさ”とは異なる行動を取る男性を「○○男子」と呼ぶのが流行り、会社に自作の弁当を持参する「弁当男子」や、手芸など乙女チックな趣味を好む「乙女男子」といった言葉も編み出された。
ただ、スイーツ男子という言葉が広まる10年ほど前から、甘党の男性がじつはけっこう存在することに世の中は気づき始めていた。
その一例が、1999年(平成11)に江崎グリコが大阪で試験的に発売を開始した「オフィスグリコ」の購買結果だ。
オフィスグリコは、会社の置き菓子販売サービスである。開始にあたって「利用者は女性を想定したが、実際は7割が男性だった」。オフィス人口は総数からいえば男性のほうが多いだろうから、単純に考えれば男性の利用者数のほうが多くなることが予想できそうなものである。
だが、それほど「男性はお菓子を食べない」と考えられていたということだろう。好評を博したオフィスグリコはその後、2002年(平成14)に首都圏へ展開し、現在では愛知や福岡などでもサービスが提供されている。
隠れた需要に気づいたコンビニも、男性向けスイーツを相次いで発売する。2006年(平成18)にローソンが20~30代男性をターゲットにした大きめの「Men’sパフェ」をリリース。翌年、ファミリーマートも大容量の「男のティラミス」「男のカフェラテ」「男の珈琲ゼリー」を投入した。そんな流れに乗って「スイーツ男子」は広まったのだ。
では、甘党の男性が顕在化されていった時期は、どんな時代だったのだろうか。
スイーツから「男性向け」表記は消え
ジェンダーフリーの時代が到来
1991年(平成3)から1993年にかけてバブルが崩壊し、景気が後退するなか、1990年代後半から企業の人員整理が進み、就職氷河期を迎え、男女ともに非正規雇用者が増加した。かつてのようなサラリーマンの夫と専業主婦の妻という戦後高度成長期の家族モデルが崩壊していった時代だったといえる。そうしたなか、従来の“男らしさ”にとらわれない男性が増えていったのだ。
『味なニッポン戦後史』 (集英社インターナショナル) 澁川祐子 著
ひるがえって、戦後高度成長期はサラリーマン社会と言われるように、郊外の住宅から満員電車に乗って出勤し、夜遅くまで残業し、休日は接待ゴルフにいそしむ。社員旅行や運動会もあり、会社とともに過ごす時間が圧倒的に多かった。そして、仕事の人間とのコミュニケーションに、お酒はついてまわった。
サラリーマン小説として名高い山口瞳の『江分利満氏の優雅生活』(文藝春秋新社、1963年)を読むと、甘いものは、妻と銀座にアイスクリームを食べに行ったとひと言あるぐらいで、大半はお酒の話で占められている。
また同氏の『礼儀作法入門』(祥伝社、1975年)は粋なサラリーマンのお手本として広く読まれた本だが、お酒の飲み方や酒場でのふるまいがこと細かに説かれる。年始の挨拶の手土産も甘い洋菓子などもってのほかで、酒が一番。酒を飲まずばサラリーマンにあらず、というほどの勢いだ。むろん当時から下戸の甘党はもちろん、上戸(上下の表現に、すでに価値観が入り込んでいる)でも甘いもの好きはいただろうが、おおっぴらに食べる場や時間がなかったのではないか。
事実、国民健康・栄養調査によれば、20代男性の一日当たりの菓子類平均摂取量は、1999年(平成11)に14.3グラムだったのが、最新の2019年(令和元)には21.5グラムと大幅に増えた。ちなみに20代女性は1999年が26.0グラム、2019年が22.2グラムと減っており、男女差がほとんどなくなっている。
出典:厚生労働省「国民健康・栄養調査2019」
和菓子類は女性のほうが、ケーキ・ペストリー類はむしろ男性のほうが多く食べている結果になっている。つまり、男性も女性に劣らず甘いものを食べているということだ。
「男は辛党、女は甘党」はかつての話。実態は性差で説明できなくなってきている。そういえばここ最近、コンビニで「男性向け」を謳うスイーツを見かけない。もはや声高にアピールせずともよくなったのだろう。甘味もジェンダーフリーの時代がやってきた。