1日4万回叩く…行平(ゆきひら)鍋の「国宝級職人」が大阪にいはった!
煮物や天ぷら、出汁(だし)を取ったりと、幅広い用途に使われるアルミ製の行平(ゆきひら)鍋。市販品の多くは機械でプレスされた量産品だが、日本料理の名だたるプロから料理好きのアマチュアに至るまで、絶大な評価と信頼を得ている手打ちの行平鍋がある。この鍋を作っている鎚起(ついき)職人、姫野寿一(ひめの・ひさかず)さんに会うため、大阪・八尾市の工房を訪ねた。
注文は数ヶ月待ち
有限会社姫野作.の姫野寿一さん。アルミの円盤を木槌で叩き、鍋を打ち出すところ
カンカンと、リズミカルな音が聞こえてくる。大阪府八尾市太田(おおた)、小型航空機やヘリコプターなどの発着場として利用されている八尾空港の近く、住宅街や工場が点在する一角に、「有限会社姫野作.」がある。
笑顔で出迎えてくれたのは、姫野寿一さん。金属板を鎚(つち)で叩いて成形し、鍛錬と装飾を施す鎚起職人さんで、今や日本に数えるほどしかいてはれへんのやそう。
「わざわざお越しいただいて、すんませんな。さ、入ってください」。職人さんというと無口で気難しいイメージやけど、姫野さんは大阪の気さくなオッチャンという感じ。
けれど、姫野さんが作るお鍋は、注文から数ヶ月待ち。蓋(ふた)なしでも熱が全体に伝わり、煮物がふっくら美味しくできると評判だ。八尾が、大阪が、いや日本が誇る、最高のお鍋を作る方なんです。
実用性と装飾性を兼ね備えた叩き締め
風格漂う姫野作.の行平鍋
昔はどの家庭にも、一つはあったアルミ製の行平鍋。持ち手と注ぎ口がついていて、出汁を取ったりお味噌汁を作ったり、煮物にきんぴら、天ぷらと、万能鍋として大活躍する鍋だ。
その特徴は、軽さと熱伝導性のよさ。アルミの重さは、鉄やステンレスの約3分の1。熱伝導率は鉄の3倍、ステンレスの10倍以上。軽くて柔らかいアルミは耐久性に欠けるという欠点があるが、純度の高いアルミを鎚でしっかり叩き締めることで内部の隙間を潰してアルミの粒子を細かくし、硬化が進むんやそう。地面を整地する際、重いハンマーなどで叩くと地面が硬くなるのと同じ原理だ。また、そのウロコのような鎚目(つちめ)によって鍋の表面積が広がり、熱の周りをよくする効果もあるという。
金属を叩くという手法によって、鍋を丈夫に、そして熱伝導性を高める上に装飾性も持たせるなんて、一体誰が考えはったんやろう。昔の人はエラすぎる。
一目一打、叩き直しなしの真剣勝負
金属を硬くするんやったら、同じところを何回も叩けばいいんちゃうのん、と思った私。ところが、そうではないらしい。
「それはあかんのです。同じところを2度打ったらアルミが延びてしまうから、串カツの2度浸けちゃうけど、2度打ちは厳禁です。大きい槌目も小さい槌目も1目1打。1周を同じ大きさ、同じ角度、同じ力で叩かんとあかん。だから作業の途中で電話が鳴っても取りません。リズムが変わってしまうから。行平鍋ひとつでだいたい400~500回叩くねんけど、100点満点パーフェクトで打てたことは、まだないですね。もう、ずっと修行です」
ウロコのような模様は、ひとつひとつ金槌で叩いた跡。「この槌目をどれだけ綺麗に並べられるか、それだけを考えています」 (姫野寿一さん)
形ができた6寸(直径18センチ)の行平鍋を、姫野さんは11~12分で打ち上げる。左手で少しずつ鍋を回しながら、内底の中心から外に向かって渦を描くように金槌で叩いていく。続いて中の側面から外底、外の側面を叩き、最後に底と銅の境目を、角度と鎚目の大きさを変えながら4周叩く。この境目が一番大事なんやそう。
「鍋の側面に熱を伝える場所やし、五徳にも当たるから耐久性も必要。ここをしっかり叩かんとあかんのです。機械では、叩けません」
確かに姫野作.の行平鍋は、鍋の表面はもちろんのこと、底と銅の境目、縁の厚みの部分まで綺麗に槌目が入っている。鍋底あたりの槌目は大きく、縁回りにいけば段々小さくなっていて、本当に美しい。一打一打、人の手で打っているので、微妙な揺らぎや柔らか味、優しさがあって、このお鍋で魚とか炊いたら魚もさぞかし喜ぶんちゃうかと思うほど。
一般的な行平鍋は厚さが2ミリメートルだが、姫野さんのは3ミリ。この1ミリで耐久性や保温性が増し、熱の当たりも優しくなるそう。機械で量産された鍋が20~30年持つとしたら、うちの鍋はその倍、50~60年持つと言われる。見れば見るほど、私も欲しい~!
継ぐ気がなかった家業を継いで
姫野さんは鍋を作って三代目。1924(大正13)年、祖父が大阪・上汐町(うえしおまち)で鍋工場を創業した。後に、音を気にせず作業することができる八尾に移転。家と仕事場が隣接していたのでうるさいし、一日中、鎚で叩く仕事なんか無理やと思い、高校卒業後は化粧品会社へ就職した。10年ほど営業職を経験したが、28歳のとき、家業を継ぐことになった。30年以上前のことである。
「職人さんが腰痛い、肩痛い言うてる、工場回ってへんみたいやで、ってお袋から聞かされて。それでアルバイトみたいな感覚でやり始めたら、お得意さんから『おっ、店継ぐんか!ようやくやる気になったんか』とか言われてね。箸持つみたいに『金槌、これ使う?』って職人さんからも言われるし(笑)。いやいや、ちょっと待ってって。でも今思うたら、この仕事やるのが自然やったんかもしれません」
鍋を作るなんてすぐできると思っていたけど、やってみると想像以上に難しかった。父親とケンカして、何度も家を出たこともある。
「親父はすぐ『下手くそや』って言うんですよ。そんなすぐ、上手くなりませんわ。血が繋がってるから遠慮がないし、そんな言い方せんでもって、腹立ちますよね。ほんなら出ていったるわ、って言って出ていくけど、次の日には帰ってきて何もなかったように鍋叩いてる。そんなんの繰り返しでしたわ。
僕にいろいろ教えてくれたんは、職人の伊東さん。その人はほんまにすごい人でね、親父もやったことないって言うてたのに、何回かミスなしで鍋が打てたって言うてました。伊東さんがおらんかったら、今の僕はないですね」
姫野作.の「.」に込められた思い
会社名のお尻につく「.」についても、聞いてみた。
「親父の代まで『姫野工作所』やったんですけど、僕の代で名前を変えました。親父が亡くなって一人になって、どうしよかと思うてた時です。ある人と話しして、会社の名前の画数大事やで、と言われたんです。それで見てもらいました。今から12~13年前のことです。
画数をよくするためだけにつけた「.」ですけど、法務局へ行ったら『何て読むんですか。これもちゃんと読んで下さい。読まんと登録しません』って言われてね。だから会社名を正式に読むと『ひめのさくてん』。登録もそうなってます。
「.」を入れたら絶対伸びる、成功するイメージを持ちなさいとも言われました。でも最初はごねてましてね。「成功って何やねん」って。名前が売れるとか、海外に出るとか、いくら売れるとか。でも、そういうことやないなぁと。僕が思ったんは、まあまあ赤字やなく、ちゃんと仕事ができて、断るぐらい仕事があればいいなと。おかげさまで、今はまぁそんな感じになってます」
作業台。鍋を支える金床が磨きをかけたように光っている。こうした木槌の他に、数十本の金槌・木槌を使い分けている
後を継いでくれる人に出逢えるよう“良縁祈願”
姫野作.では、アルミの行平鍋の他に段付鍋、プロが使うやっとこ鍋や銅鍋、フライパン、お酒の燗(かん)つけ器である燗銅壺(かんどうこ)やキャンプ用品、珍しいところでは、楽器のドラムの胴体なども作っている。求められるものを作るのが姫野作.の心意気。手作りだからこそ、細かな注文にも応えることができるのが強みだ。
現在、工房には3人のお弟子さんがいるが、鍋を叩くことができるのは姫野さんだけ。「息子はいるけど、向き不向きがあるからなぁ」とおっしゃる。確かに誰もができる仕事ではないけれど、この類い希なる技術を何とか継承してほしいと思うのは、私だけではないよねぇ。
「この仕事が好きな人に来てほしい。性別は関係ないです。金槌って力が要るように思えますけど、重さを利用した反発力で頭が上がってくるのをコントロールするだけなんです。朝の9時から5時まで、1日に叩く回数が4万回を超えますから、むしろ力を入れたら叩けません。肩や腕を痛めてしまいます」
呼びかけても気が付かんくらい集中して仕事する、そういう人が真剣にやってくれたら、5年くらいで何とかなるんちゃうかな、という姫野さん。一人前になったかどうかがわかるのは、音なんやそう。金槌、鍋、金床、この3つがしっかり当たる、いわゆる「芯にあたる場所」は1センチくらいしかなく、数ミリずれたら変な音がする。その音に気づくようになるまでに数年、そこから製品が作れるようになるにはさらに2~3年かかるという。
「こればっかりは“縁”なので。今はどこの神社へ行っても、後を継いでくれる人と出会えるよう“良縁祈願”をお願いしています」
姫野さんの技術を受け継いでくださる方と一日も早く出逢えますよう、日本中におわします八百万の神様(若者)に私からもお願いしたい。和食文化を支える本物の行平鍋が作られなくなってしまうのは、あまりに、あまりに忍びないから。
作業と作業の合間には、金床と金槌の頭を布で磨いている。「道具は何よりも大事です。材料は注文したらいいけど、道具はひとつしかないからね」
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有限会社 姫野作.
〒581-0037
大阪府八尾市太田1-11
電話 072-949-5174
https://himenosaku.net/