殺害された保護司、「よそ行きの服がいるやろ」とジャケット…刑務所への手紙に「社会の門をくぐって来て」
大津市で保護司新庄博志さん(60)が自宅で殺害された事件を受け、新庄さんが担当保護司だった男性(27)が読売新聞の取材に応じ、やりきれない胸の内を明かした。「以前は社会でまっとうに生きることを諦めていたが、新庄さんが居場所を作ってくれた。恩返ししたかったのに、悔しい」と語った。
新庄さんの手紙を読み返す男性。紺色のジャケットは7年前に譲り受けたものだという
「今の生き方はしんどくないか」
新庄さんは同市内でレストランを営む傍ら、2006年に保護司になり、18年から保護司らでつくる「滋賀県更生保護事業協会」の事務局長を務めていた。
男性が新庄さんと出会ったのは18歳だった16年。保護観察処分を受け、担当保護司となったのが新庄さんだった。父親のいない家庭で育ち、家での食事はいつも一人。さみしさから非行に走った。当初は「更生への意欲を持てずに新庄さんを敵対視し、うそをついたこともあった」と振り返る。
だが、男性が保護観察中の同年に事件を起こして逮捕された際、新庄さんは「大人の言うことを聞いておくべきだっただろう」と語り、少年院まで足を運んだ。少年院を出て保護観察中だった18年に別の事件で逮捕され、刑務所に収容された後も面会に訪れ、「君の人生は君が決めればいいが、今の生き方はしんどくないか」と諭した。
21年、収容先の刑務所に届いた手紙では「保護観察期間中に再犯に至った事は私もいろいろ考える機会となりました。それも一度ではなく二度も」とし、「ダメな事はダメとしっかり伝えるべきだと思っています。社会の門を叩き、門をくぐって来てください」と記されていた。自分と真剣に向き合おうとする姿勢に、「この人の意見は聞いた方がいいし、何を話しても大丈夫」と思えた。
人間関係を相談…冷静になれた
男性は昨年8月に仮釈放され、今年2月までの保護観察中、新庄さんが担当保護司を務めた。男性は事業所で働き、月に2回、新庄さんの自宅などで面接を重ねた。人間関係の悩みを相談すると、「社会では譲歩せなあかんこともあるよ」「腹が立っても笑顔で向き合えば、人はそのうち認めてくれる。もう収めなさい」と話してくれた。
最後に話したのは今年4月。電話だったが、職場で注意されたことを明かすと、新庄さんは「みんな色んなやり方で乗り越えている。社会は甘くないって分かったやろう」と語り、男性は「冷静になってまた頑張ってみよう」と思えたという。
新庄さんが亡くなったと知人から聞いた時、ショックで受け入れられなかった。今月7日、新庄さん方の玄関に花を手向け、「こんなことになってすごく悲しいです。どうしようもできないけど、頑張って前に進んでいきます」と語りかけた。
男性は、「よそ行きの服がいるやろ」と新庄さんから7年前に譲り受けた紺色のジャケットを今も着続けている。「新庄さんは決して相手を否定せず、寄り添ってくれる父親のような存在だった。僕ができる生き方をして新庄さんに喜んでもらいたい」と話している。