「サリナさんは絶対見逃さない」“無敵モード”の古賀紗理那が仲間にも容赦なかった理由…パリ切符までの壮絶12試合「人生で一番必死な大会でした」
パリ五輪出場権が懸かった予選ラウンド全12試合を戦い抜いた古賀紗理那(28歳)。満身創痍だったが、笑顔で目標を達成した
ずっと険しかった表情が、ようやく緩んだ。
「やったぜー!」
試合後のコートインタビューに満面の笑みで応える古賀紗理那を見たのはいつぶりか。記憶をたどっても、なかなか思い浮かばない。ましてや「やったぜー!」など、記憶をたどる前から、そんなシーンはなかったと断言できるぐらい、古賀には珍しいシーンだった。
目標に掲げてきた五輪出場をようやく決めたのだから、喜びが溢れても当たり前。さぞ嬉しかったのだろうとミックスゾーンで問うと、古賀はいたずらっぽく笑う。
「(コートインタビューの順番が)最後だったし、みんな真面目なことを言ってるなぁ、って思ったから、なんか言おうかなって(笑)。でも本当に、正直ホッとしました。(前日の時点で)決まることを知らなかったので、知らされた時は嬉しかったです。トルコに勝ったり、中国に勝ったり。タフなゲームを獲れたのは、私たちの力だよねと思っています」
「古賀紗理那史上、一番必死な大会でした」
昨秋の五輪予選でトルコ、ブラジルに敗れ五輪出場を決めることはできず、ネーションズリーグはラストチャンスだった。世界ランク1位のトルコから始まる連戦を「大変だった」と振り返りながらも、それ以上に古賀は「楽しかった」と言い、こうも加える。
「古賀紗理那史上、一番必死な大会でした。一人で空回りしているんじゃないかっていうぐらい必死にやっていたので、その分きつかったですけど、でも必死な自分もめっちゃカッコいいやん、って思っていたし、2週目(の中国ラウンド)から無敵モードに入って。いやいや私、これだけ練習したし、走ったし、トレーニングも積んできたんだから、うまくいかんはずない、って思ってからは気持ちも楽になった。自分、成長しているな、って思えたから楽しかったです」
いかなる時も古賀に妥協はない。
特にパリ五輪の切符が懸かった今シーズンは、Ⅴリーグの期間中からチームとして優勝を目指すだけでなく、自らのレベルアップとスキルアップに努めてきた。
より高く跳ぶために、助走から一連の流れの中で身体をどう使うか。必要な筋肉にアプローチするためのトレーニングやダッシュを繰り返し、実際に「高さが増して、できることが増えた」と口にするのを何度も聞いた。
その成果は国内のリーグ戦のみならず、ネーションズリーグでもいかんなく発揮された。
古賀にトスが上がるのは、正確なパスが返った時よりも、ラリーが続いた場面やパスやセットが崩れた苦しいケースがほとんど。万全とは言い難い場面ばかりだが、それでも難しい状況であることなど感じさせない余裕を見せながら着実に決める。
ライトからのバックアタック
日本はネーションズリーグに向けて、コート中央からの攻撃に加えてライトからのバックアタックにも取り組んできた。前衛でミドルの移動攻撃が使えないシチュエーションでも、相手ブロックを分散させるべく古賀や石川真佑がライトへ走り、高さと速さを活かした攻撃を展開するのだが、これまではバックセンターから打つことはあってもライトからはほとんど打っていない。
にも関わらず、古賀は練習を重ねるうちにすぐ習得した。その姿に驚かされたと話すのは、ネーションズリーグで正セッターとして多くの試合に出場した岩崎こよみだ。
「打ったことがないはずなのに、やればすぐにできちゃうし、すぐ打てるようになっちゃう。すごいなぁと思うし、セッターとしてはあの攻撃があると(コート横幅の)9mがめいっぱい使える。トスに対しても何でもOKではなく、もっと高いところで打ちたいとか、ちゃんと言ってくれるのもすごくありがたいです」
自分がやるべきことはやる。同時に、周りに対してもやるべきことはやろうとアプローチする。言われる側からすれば、時にその強さに恐れをなすこともあるが、求められることは間違っていない。
中でも、事あるごとに古賀から指摘を受けてきたのが、同じNECレッドロケッツ所属のミドルブロッカー、山田二千華だ。
1つクリアしても、もっともっと、と求められる。たとえば攻撃に入る時も「もっと早く入れるよね」と言われ、安易なコースにスパイクを打ってしまうと「もっと別のコースにも打てたでしょ」と叱責される。一見すれば厳しくも感じるが、そんな古賀の“強さ”に「救われた」と山田は言う。
「コンディションが悪いし、何もかもうまくいかなくて、自分に納得がいかない。余計に中途半端なプレーをしてしまっていたんです。そうしたら紗理那さんから『その日のコンディションとか、セッターの兼ね合いもあるんだから、その日のベストを出せばいいんだよ』と。やらなきゃ、やらなきゃと切羽詰まっていたので、紗理那さんからの『その日のベストでいい』という言葉で力が抜けました。
正直に言うと、試合の中で疲れてきたりすると『今、ブロックに行かなくてもいいかな』と思ったりすることもあるんですけど、紗理那さんは絶対見逃さないから『行けたよね』って言われる(笑)。でも本当に、言われるまんま、その通りだよな、と思えるから、今できることに焦点を当てよう、と考えられるようになった。紗理那さんのような人がいてくれるのが、本当にすごく心強いです」
「完全に無意識。全然覚えていない」
6月16日、ネーションズリーグ最終日。日本は世界ランク5位のアメリカと対戦し、ストレートで敗れた。
古賀はアメリカの手堅いブロックとディフェンスの前に「相手の思い通りのところに打たれて、(自チームの攻撃も相手守備の思い通りに)打ってしまった。工夫が足りなかった」と課題を述べたが、コート内でも常に周りの選手に向けて声をかけていた。
それは「気持ちで勝とう」といった曖昧なものではなく、今何ができていなくて、何をすべきか。1つ1つを細かく紐解き、仲間たちに端的に伝える。同じNECのリベロ小島満菜美からは「紗理那の目が違う」と言われたが、古賀自身は特別なことをしたという意識どころか、そもそもどう振る舞っていたか記憶がないという。
「完全に無意識。試合中はめっちゃ必死だったから、全然覚えていない。それぐらい、とにかく必死でした」
福岡ラウンド開幕前、実は親不知の周囲が炎症を起こし、頬が腫れていた。パリ五輪出場がかかる大会に臨む、見えないプレッシャーとストレスで免疫力が低下していたからに他ならない。一時は「話すだけでも痛い」という状態だったが、最低限の治療を施して大事な4試合に臨んでいた。
その結果、五輪出場という目標を達成した。最終戦では世界の壁がまだ分厚いことを実感したことも収穫と捉えていい。
すぐにファイナルラウンドが始まることや予選ラウンド12試合をほぼ固定メンバーで戦い抜いたことも含め「過酷な大会だった」と振り返る。それでも、地元の九州で「家族にプレーする姿を見せられて幸せだった」と最後は微笑を浮かべた。
「その日調子が悪くても次の日は切り替える、ということができた大会で、成長もできた。もちろんプレッシャーもありましたけど、私自身は身体の変化もプレーの変化も感じながら過ごせていたので、楽しかったです」
「古賀紗理那史上、最高の大会」へ
古賀紗理那史上、一番必死な大会は間もなく始まるタイでのファイナルラウンドで閉幕する。そしてまたすぐ、パリ五輪が始まる。
おそらく「一番必死」が更新されるであろうパリの地での戦いが、「古賀紗理那史上、最高の大会」になりますように。
無敵モードを、いかんなく。最強の古賀紗理那、ここにあり。その姿を世界中に見せつけてほしい。