「言語化の鬼」サッカー解説者の林陵平が東大サッカー部の監督をしてわかったこと
7月24日に開幕する予定のパリ五輪。初日開催のスポーツのひとつがサッカーだ。ワールドカップアジア2次予選、最終戦のシリアに5-0で快勝し、全勝で幕を下ろした森保ジャパンの活躍も期待される。
そんなサッカーで「解説の言語化がすごい」と話題なのが林陵平さんだ。
ではその「言語化」はどのように培われたのか。
ジャーナリストの島沢優子さんが林さんにインタビュー。多くのアスリートの「ノート」についても取材をしてきた島沢さんが感じたことは。
「家長バンク」がSNSで拡散
昨年のサッカー天皇杯決勝。解説を務めた元Jリーガーの林陵平さんは、川崎フロンターレの家長昭博選手が抜群のボールキープを見せると「ボールを預けても決して失わない。まるで大銀行のよう」と表現。即座に「家長バンク」と言って見せた。これがSNSで拡散され話題になった。
2023年12月9日天皇杯決勝。家長昭博選手のプレーをして「家長バンク」と表現したそのわかりやすさに賞賛が! Photo by Getty Images
東京ヴェルディユースから明治大学。卒業後はヴェルディを皮切りに2020年まで現役だった。月間100試合以上を観戦し、DAZNやWOWWOWなどで欧州リーグなど幅広く解説する。2024年2月に出版した『林陵平のサッカー観戦術』(平凡新書)は6月15日現在で4刷4万部を超える大ヒット。そのわかりやすい解説と絶妙な表現力から「言語化の鬼」の異名をもつ林さんは、小学生時代からサッカーノートを上記の著書で紹介している。
実は当方、自らを勝手に「ノート研究家」と呼んでいる。アスリートのノートや指導者のフィードバックを紹介し、それらを脳科学的に分析した『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』(カンゼン)を2019年に出版したこともある。今回、林さんのノート活用術や、彼がどのようにして言語化に磨きをかけたのかをインタビューした。
9歳からつけ始めたノートは20冊ほど。それとは別に、大学時代からはあることをきっかけに日々何をした、どう感じたか、考えたかといった生活記録もつけている。
林「大学時代の練習でめちゃくちゃきついトレーニングを経験したんです。いやもう死にそうになった(笑)。それがきっかけで、一日一日何か書いてみようと思ってから、今でもずっと続けています。今日あったことを一日の終わりに書く。たまに溜まっちゃうときもありますが、基本的には寝る前とかに書いたりします。サッカーもそうなんですけど、書くことによって何か自分のことを振り返るというか整理できます」
写真提供/カンゼン
「ノートに書く」ことによって思い出す
見せてもらったが、生活記録は備忘録のようになっている。その日あったことを書きながら自分の姿も思い浮かべる。つまりリフレクションするわけだ。人間、己を振り返ることほど難しいものはない。人としても、解説者としても、ノートで自分を省みながら成長してきたのだ。
林「自分が何年前にどういう考えを持っていたとか、やってきたことって意外と覚えてなかったりしません? でも、ノートに書いたことによって、それを思い出すこともできます。特に解説業はしゃべる仕事なので、その試合を見て何を感じたかなど書いておくと、次につながります」
備忘録とサッカーノートの二つを活用する。サッカーノートには例えばその試合でどういうことが起こっていたか、どんな狙いがあったかを記録しておけば、同じチームもしくは似た展開になった際に「先日の○○戦では……」と重ね合わせて説明できる。その試合のみで観てしまうと解説できることは限られてくるが、実際に自分が観た試合を参考資料にすれば解説内容の厚みは増す。
林「前の試合を理解しておくことによって『この選手は、こないだこうでしたが、今日はこんなふうに変えてきた』と言えるし、視聴者も個人やチームを継続的に理解できます。海外リーグでもJリーグでも、ファンは自分が好きなチームを1年間ずっと追ってるわけです。そのチームの勝敗も、調子の良し悪しも、選手個人の特徴とかを理解しているわけです。そこに解説者が負けてたら駄目だと思っています。観ている人に『こんなに知ってるの? うちのファンじゃない?』って思われるぐらいの熱量を感じてほしい。解説業にもノートは欠かせませんね」
ジュニアユース時代のノートを読み返すと…
選手時代は戦術や技術的なことも記録したが、こころに残っているのは「そのときどんなメンタリティだったのか」だと言う。Jリーガーになったものの、林さんのサッカーキャリアは実は順風満帆ではなかった。例えば、ヴェルディのジュニアユース(中学生年代)時代は1年から3年までほとんど公式戦に出場できなかった。
林「そのときのノートを読み返すと、苦しかった思い出とともに自分がこんなふうに考えてやってたんだなっていうのを思い出せます。メンタル面とかも書いておくことってすごく重要だと感じますね。どういうふうにそれを乗り越えてきたかとか、そのときはどういう考えだったかとか、書き留めていなければ忘れてしまったであろうことが文字で残っているわけです」
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つまり、過去の自分が自分の参考書になるわけだ。ノートは誰かに見せるために書いていたわけではないので、本音がさらけ出されている。ノートを書くことで、選手としての欠点や自分自身と素直に向き合える利点もありそうだ。
林「うまくいかなかった時期にそういったことを書いておいて、自分が成功しているときにそこを読み返しました。すると『まだまだ自分は勘違いしちゃいけない、満足しちゃだめだ』って思えました。逆に試合に出られなかったり状態が良くないときにも、良かったときのノートを見ました。そうすると『俺、もっと自信持ってプレーしてたな』となって。結構どん底だったけど乗り越えたなって自信を取り戻せましたね」
悔しかったこと、悲しかったこそ、そこから一体自分はどう考え、何をしたのか。そんな「その時の本音」をまとめたノートは、未来の自分の参考書になる Photo by iStock
ケガをしたときこそ、ノートを書いた方がいい
チャンスでも、ピンチでも、ノートは効く。いいときは天狗にならずに謙虚になれる。悪いときは、以前ピンチを乗り越えた経験を思い出せる。ピンチのときは、成長するチャンスでもある。林さんは過去のノートをいつも身近に置いて、ことあるごとに読み返した。
林「サッカーって、技術戦術も大事だけれど、やっぱりメンタルのスポーツなんです。小さい頃からプロになるまで、成長していくなかでずっと順風満帆な人なんていないはず。試合に出られないとか、結果が出ないとか、いろいろある。そこを切り抜けるにはメンタルが重要です」
そのときの気持ちの揺れやあがいた時間を詳細に記録し続けたノートは、未来の自分へのプレゼントになる。その意味で、ケガをしたときこそノートを書いたほうがいいと言う。サッカーをしている小中学生の中には、サッカーノートを練習記録だととらえケガをすると書かない子がいると聞くがそれは違うようだ。
林「アスリートにとってケガはつきものです。どんな考えを持ってリハビリに臨んでいたとか書き残したほうがいい。それにケガ治療やリハビリ中は、落ち着いて自分を見つめられる時間でもあります。逆算して、練習に復帰したらこんなことに取り組もうとかイメージできます。もっといえば、自分が何年後に何をしているのか。5年後、10年後じゃ遠すぎるので、例えば1ヵ月後に何を目標にするとか、半年後はこうなりたいといったことを細かく設定して取り組むといいと思います」
「練習した内容」をノートに書くのではない。様々な「本音」「できごと」を書くことで、あとからも見返してわかることがある Photo by iStock
東大サッカー部の監督を務めて得たもの
拙書『世界を獲るノート』には「目標ではなく企画書を持とう」という言説が登場する。なりたい自分になるために何をやるのか。どの順序でどの程度の時間とエネルギーを割くのか。目標を企画書と置き換えただけで、達成までのプロセスの解像度がぐっと上がる。
伊藤美誠選手、早田ひな選手、朝比奈沙羅選手といった一流選手や、女子バスケットボールのヘッドコーチとなった恩塚亨さんなど、多くのアスリートや指導者の「ノート」を取材している
林「ノートにこうなりたいとかも書きましたね。もちろん書いたことって結構うまくいかないことのほうが多いんで、別に途中で修正していい。ただ、目標がないと成長できないでしょうね。自分が何に向かっているのかわからなくなります。こうなりたいというイメージを持ち、それをノートに書いておくと、どんなときでも『自分はここを目指しているから、ここに向かうために今苦しい時間なんだ』っていうのがわかります」
加えて、東大サッカー部監督を務めた3年間が、サッカーを体系的に理解する時間になった。
林「まず、僕自身が東大で監督を務めたことがきっかけで戦術的なことを学べました。選手時代はどちらかというと、その局面局面で足元の技術がうまいなとか、パスセンスがすごいなとか、そういう見方だったんです。それが、チーム戦術としてサッカーをとらえるようになったというか。見られるようになりました。観る視点が個人からチームというかグループに変わり、グループからその『構造』に変わったような感覚です」
東大の選手たちが使う言葉はすごく難しく、最初は驚いた。その彼らに適切に理解してもらえるよう、的確に言葉を選んで説明する必要があった。その努力が実を結び、抜きん出て戦術を伝えられる解説者のひとりになった。
林「東大の子たち、つまり頭のいい子たちに納得してもらうためには、言語化できないとダメなんです。彼らは理論から入りますから(笑)。ただ、理論はすごく重要です。稚拙な表現では逆に理解してもらえない。言葉をブラッシュアップする機会を与えてもらったと感謝しています」