ヤクルト・奥川恭伸、号泣980日ぶり勝った 〝野球の神様〟は見放さなかった5回79球1失点、村上が!木沢が!オスナが!燕戦士みんなで背番号「18」支えた
奥川はヒーローインタビューで「この2年という期間の中で…」と話すと言葉に詰まり、涙を流した(撮影・渡辺大樹)
(日本生命セ・パ交流戦、オリックス3-5ヤクルト、1回戦、ヤクルト1勝、14日、京セラ)涙の復活勝利だ!!ヤクルト・奥川恭伸投手(23)が14日、「日本生命セ・パ交流戦」のオリックス1回戦(京セラ)で2022年3月29日の巨人戦(神宮)以来、808日ぶりの登板を果たし、5回79球を投げて7安打1失点。右肘など度重なるけがを乗り越え、レギュラーシーズンで21年10月8日の阪神戦(同)以来、980日ぶりの白星を飾った。
先発のヤクルト・奥川恭伸=京セラドーム大阪(撮影・渡辺大樹)
とめどなく流れ落ちる大粒の涙をユニホームで拭った。ヤクルトファンの大声援に包まれた敵地京セラドーム大阪でのヒーローインタビュー。長く苦しかった日々が脳裏をよぎり、ひと目をはばからずに泣いた。奥川がリハビリを乗り越え、復帰登板で2021年10月8日以来、980日ぶりの白星をつかんだ。
「ファンの皆さんに期待してもらっている中で、すごく長い時間、待たせてしまった。今日、勝つことができてうれしい。僕にとって、すごく大きな1勝になった」
『おかえり』と書かれたボードが掲げられる中で迎えた808日ぶりの1軍マウンド。序盤から走者を背負うなど苦しみながらも、5回を杉本のソロ本塁打による1失点にとどめた。
最速は151キロをマーク。79球で降板した後も仲間がリードを死守した。4-3の八回1死二塁では三塁線を抜けそうな打球を村上が好捕し、追加点を阻止。木沢も1死満塁を無失点で切り抜けた。4―3の九回はオスナのソロが効いた。
「内容はいいものではなかったけど、チームのみんなに助けられて勝利投手にしてもらった」
仲間に感謝した奥川は苦難の道を乗り越え、思い出の地で復活を遂げた。京セラドーム大阪は21年11月20日のオリックスとの日本シリーズ第1戦で山本由伸(現ドジャース)と投げ合った舞台。7回1失点と好投し日本一に貢献した。脚光を浴びたあの日から937日。奥川は栄光とは離れた暗闇を歩んできた。
「天から地に落ちた。落差が激しかった分、落ち込みもすごかった」
22年3月29日の巨人戦(神宮)で右肘の痛みが限界に達し、4回1失点で緊急降板。その後は複数の医療機関を訪ねた。手術を含むさまざまな治療の選択肢が挙がる中、自ら最善策を模索すべく、話を聞いて回った。「ドクターや治療の先生と常に連絡を取っていた」。眠れず、一晩中考える日もあった。
あらゆる意見を聞き、最後は「自分の感覚と一番、マッチする」と手術を受けない道を選んだ。週に1度、多いときには週に3度、自費で大阪の医療機関に行き、リハビリに励んだ。「(大阪に)行かせてくれた球団に感謝している。だからこそ、僕が決めた道で成功しないといけない」。強い覚悟とは対照的に、復帰への道は困難を極めた。
左足首の骨折、右足首の捻挫、右脇腹の負傷、腰痛…。右肘が良くなった後も、けがが重なり、1軍のマウンドが遠かった。「頑張れ」との声援に「頑張っているよ」と負の感情がわく。応援の言葉すらつらく感じた。
「もういいやって。野球が嫌いになったというか、自分からやめようと思ったこともあった」
支えになったのは、原樹理や近藤弘樹らリハビリ仲間との会話。近藤からは「俺の方がリハビリが長いぞ。なんで自信をなくしているんだ。お前が思っているよりもお前はすごい」と励まされた。「ネガティブなときに光をくれる人がいた。その人たちのためにも野球はやめられない」と奥川。けがをしないフォームや体づくりに注力し、ようやくつかんだ恩返しの1勝だった。
「(選んだ)道が間違いじゃなかったことを証明したいと思っていた。そういった意味で報われた。これからまた勝ちに向けて一生懸命、腕を振りたい」。一回り成長した背番号18が、再びマウンドで輝く。(武田千怜)