「この名前で生まれなきゃよかった」「両親に改名を相談して…」アナウンサー・金井憧れ(32)が名前で葛藤した過去
フリーアナウンサーとして活躍し、今年第二子を出産されたばかりの金井憧れさん(32)。新聞記者の父が名付けた「憧れ」という珍しい名前から、思春期は改名を考えるほど悩んだ過去もあると語ります。
そんな金井さんに、名付けの背景から過去の葛藤、そして、自身のお子さんにも送り仮名のある名前を付けた思いなどを聞きました。(全2回の1回目/ 続き を読む)
金井憧れさん
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大きくなるにつれて名前だけが目立つように
――自分の名前を意識しはじめたきっかけは?
金井憧れさん(以降、金井) 小学校中学年のときにはじめてクラス替えがあって、自己紹介をする機会が増えたときに周りがザワザワしだしたんです。「あれ?」と思いつつ、それと似たようなことが中学生くらいまで続いて、「自分の名前ってそんなに人と違うのかな」と思いだした気がします。
――それまでは名前を意識することはなかった?
金井 小さいときは持ち物も全部「かない あこがれ」とひらがな表記でしたし、生まれたときからこの名前だったので、変という感覚ももちろんなくて。周りからは、「あこちゃん」と呼ばれていました。
でも、大きくなるにつれて、「“憧れ”だってよ」みたいな感じで周りの子からからかわれるようになって。名簿なんかでも、自分の名前だけフワッと浮き立って目立ってみえるんですよね。
「憧れ」という名前の葛藤
――名前が出るシーンは苦手でしたか。
金井 「憧れ」みたいに、「漢字+ひらがな」の組み合わせの名前はまずないので、名前の一覧全体を眺めていてもすぐ目に付くんです。なので、「ん? これはどの子?」となって、他のクラスの子や上級生がわざわざ見に来るとか、とにかく学校中でいったん話題になってしまうんです。
――送り仮名つきの「憧れ」という名前の由来は?
金井 父がこの名前を考えてくれたのですが、りっしんべんにわらしべで、童心を大事にする、いろいろなものに対して憧れるような好奇心旺盛な子になってほしい、という意味で名付けたそうです。送り仮名についても強い思い入れがあったそうで、ぱっと見て「どう読むの?」というクエスチョンが出ない名前にしたかったと聞きました。
ただ、初対面の方はほぼ全員、「みんなから憧れられる存在」という意味でとらえてしまうので、思春期の頃は、「そういう存在にならなければ」という葛藤がずっとありました。
名前を褒められるのも抵抗があった
――周囲から「憧れられる存在」になるためにやったことはありますか。
金井 塾で貼り出しのある成績表で下の方になると悪目立ちすると思い、勉強を必死に頑張っていました。それ以外も、クラス委員をやったほうがいいのかなとか。でも、人をまとめられるようなキャラクターじゃないから、「得意なスポーツの方でなにかのリーダーをやったら少しイメージに近づけるのかな?」と思ったり。
――そんな努力の結果、筑波大付属中学・高校、そして慶應大学と、難関校に見事進学されています。
金井 でも、「どうしてもこの学校に行きたい」というより、高校選びも大学選びも、とにかく目立たないように心がけていたんです。悪い方向でも、いい方向でも目立ちたくなかったんですね。
――「名前どおりだね」と言われるのも抵抗があった?
金井 中高時代はそうでしたね。褒められたとしても名前をからかわれているようにしか思えなくて、「本当にそう思ってる?」と捉えてしまって。一番つらい時代でしたね。
改名を本気で考えたことも
――金井さんは小学生時代、海外で暮らしていたこともあるそうですが、そのときはまた違いましたか。
金井 小学校4年間、アメリカに住んでいて、みんなが「AKO」と呼んでくれたのですが、まったく名前が気にならなくなりました。なんて生きやすい世界なんだと感じて、ここでずっと生きていこう、と本気で思っていました。
――帰国は憂鬱だったのでは?
金井 仲のいい子に会いたいという思いはありましたが、正直、帰国したくなかったです。ただ、そのとき、「日本ではない場所でも生きていけるんだ」と強く思ったのは覚えています。名前で悩んでいた中学時代も、結局行きませんでしたが、「いつだって留学できる」と思っていました。
――改名を考えたことはありますか。
金井 あります。中学時代、名前が呼ばれるような環境に行かず、ひっそりと時間が過ぎるのを待つような一番つらい時期があって、そんなときに、「みんなからの憧れの存在じゃないのに」といういじられ方をしたんです。「この名前で生まれなきゃよかった」という思いが最高潮のところにきてしまって、母親に改名について本格的に相談しました。
大学入学後、「いい名前だね」と言われることが増加
――ご両親とはどんな話し合いを?
金井 その前から悩んで考えていたことも知っていたので、「ごめんね。だったら考えていこうか」と。結局、話し合いの中で、両親が本当に大切に思って付けてくれた名前なんだという思いが伝わってきて申し訳なく思ったのが、改名を踏みとどまった大きな理由です。
とはいえ、「オッケー、今日からしっかりこの名前で生きていくね!」という感じではもちろんなくて。次の日には「やっぱり変えたい」となってまた会議して思いとどまって。「この名前で良かった」という日もあったし、「やっぱり嫌!」という日もあり、それを繰り返して大きくなっていった感じでした。
――今でも、名前に対して思いが揺れることはありますか。
金井 大学に入ってからはだいぶなくなってきました。「いい名前だね」と言われることが増えましたし、すぐ名前を覚えてもらえることがどれほどラッキーなことなのかと、改めて感じました。これは、まさに話し合いの中で両親がよく言ってくれていたことで、そのとおりだったなと思います。
大学は人の数も全然違いましたし、本当にいろんな人たちがいて、それまで小さな世界で生きていたことで自分の名前が目立ってしまっただけなんだな、と思えたんです。
「男の子だったらどんな名前にしてた?」と父に聞いてみたら…
――その後、就職活動での反応はどうでしたか。
金井 大体、一次面接は名前のことだけで終わりでしたね。
――面接官と名前の話で盛り上がる?
金井 そうですね。ひとしきりそれで盛り上がって一次が終わってしまうので、「名前だけで終わっていいのか? 何も言ってないぞ、今日」みたいな(笑)。
「普通の名前だったらもっと他のことをアピールできたのに」と思ったこともありますが、でも、それよりもやっぱり、空気が和むんですよね。ファーストクエスチョンで空気がよくなって、じゃあ次、となることが圧倒的に多かったので、良かったと思います。
――金井さんは、ごきょうだいはいらっしゃるのでしょうか。
金井 まさに、自己紹介で名前について聞かれるときは大体、きょうだいのことも聞かれます。他のきょうだいはどんな名前なのか知りたくなるんでしょうね(笑)。
残念ながら私はひとりっ子なのですが、父に、「私が男の子だったらどんな名前にしてた?」と聞いたことがあって。
母になって分かった、「名付け」の重み
――気になります。
金井 「男の子だったら漢字の熟語で、『人生』とか『世界』、『宇宙』にしたかった」と言っていて。あ、男でもそっちだったのね、と(笑)。まあでも、それはそれで、もらった名前を大切にして生きていたんだろうなとも思います。
――お父さんに、並々ならぬこだわりを感じます。
金井 父は新聞社の記者をしていることもあり、言葉がとても好きな人なんです。私の名前も、「輝き」「詳らか(つまびらか)」「厳か(おごそか)」など、他にたくさん候補があったと聞きました。結局、考えすぎて収拾がつかなくなったそうで、最後は辞典をひっくり返して「あ」から読みはじめて、「憧れ」になったとか(笑)。
――金井さんもお母さんになったことで、「名付け」をする立場になりました。
金井 自分が母になってはじめて、「名付け」の重みがわかりました。特に母は、小さいときは日々、持ち物などに私の名前を書いていたでしょうし、学校では、「憧れの母です」と言っていたんだと気づきました。
親は子どもに名前の“付け逃げ”なんてできない
――名前を背負っていたのは金井さんお一人ではなかったと。
金井 母は最近亡くなってしまったのですが、笑い話でも、「私だって『憧れの母です』って言うのは恥ずかしいよ」みたいなことは一回も聞いたことがなくて。
当時は自分のことばっかりだったけど、きっと母も、「憧れの母」であるために頑張っていたんだと、今さら深く思います。
――改めて、「憧れ」というお名前に対する思いを聞かせてください。
金井 若いときはずっと、両親に名前を“付け逃げ”されたと思っていました。「親は、いい名前を付けられた。はい、終了」ってできていいよね、と考えてたんです。
でも、親になってはじめて、“付け逃げ”なんてできないのだと思い知りました。お母さんに今聞けるなら、「そんなことに今頃やっと気づけたんだけど、『憧れ』って名前を娘に付けてみてどうだった?」と、たずねてみたいですね。
写真=鈴木七絵/文藝春秋
〈 「名前ではないテロップが入っている」と視聴者から指摘も…改名に悩んだアナウンサー(32)が明かす、子どもに付けた意外な名前 〉へ続く
(小泉 なつみ)