「ひろゆき君にお金を借りて」毒親から度重なる借金の無心…西村ゆかが救われた「ひろゆきの一言」とは?
Photo by Ryosuke Kamba
西村ゆかさんの著書『転んで起きて 毒親 夫婦 お金 仕事 夢 の答え』(徳間書店)が反響を呼んでいる。ギャンブル依存で借金漬けの両親、摂食障害の過去、そして夫・ひろゆきさんとの生活など、七転び八起きの半生を赤裸々に綴った自伝的エッセイだ。たびたび母親から借金の無心をされたという、ゆかさんに「毒親」との向き合い方を聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・ライフ編集部副編集長 神庭亮介)
借金を断る選択肢がなかった
――著書『転んで起きて』には、お母さんから借金の無心をされるエピソードが出てきますね。高校卒業後、仕事で使うパソコンを買うために頑張って貯めた60万円なのに「交際相手のお店が潰れそうだから」と言われて、貸してしまう。
貸しちゃいましたね。自分のなかに「断る」っていう選択肢がなかったんです。今だと「断っていいものだ」って普通に思えるんですけど、当時はなくて。
たぶん初めてお金を貸したのが、中学生くらい。もともと母からもらったお小遣いだったり、親戚からもらったお年玉だったりしたから「自分のお金」という感覚がなかった。
「家のことで必要だから貸して」って言われると、そうなのかなって思って貸しちゃっていた。その流れで、大人になっても断っちゃいけないもののように感じていたんですね。
あと、断るとめっちゃなじられるんですよ。「今までこんなに大変な思いをして面倒を見てあげたのに」「あなたの学費はこれだけかかるのに」って。ほかにも「習い事も習わせてあげた」「家の電話代はこれだけかかる」とか。
これは断っちゃいけないものなんじゃないかっていう思いが自分のなかにあって、ずっと貸し続けちゃったという。
「ひろゆき君にお金を借りてもらえないか」
Photo by Tamon Matsuzono
――大人になって自分で稼ぐようになっても、これまでの延長線上で貸してしまった?
そうですね。稼ぐようになると、やっぱり金額が増えていきますし。
ひろゆき君と付き合っていることがわかると、「ひろゆき君にお金を借りてもらえないか」とも言われました。
それがもう本当に嫌で……。「自分のお金じゃないから」「彼は関係ないし、別に結婚してる人でも何でもない。巻き込むのはやめて」って、それだけは断っていたんですけど。
――親にお金を払わなくていいと気づかせてくれたのも、ひろゆきさんだったとか。
まさに彼の一言で「あっ、払わなくていい、貸さなくていいんだ」って気付きました。
ひろゆきが語った一言とは
Photo by Tamon Matsuzono
「そのお金、貨したくないんだったら貸さなくていいんじゃない?」って言われたんです。
よく「人にお金を貸す時はもう返ってこないつもりで貸せ」って言いますよね。私はずっと、お金に余裕があるからそう思えるんだ、みたいに考えてたんですよ。
だから最初にひろゆき君に言われた時も「いや、お前はお金いっぱいあるからな」って思っていた。でも、彼は続けてこう言ったんですね。
「もし自分だったら、『返ってこなくてもしょうがないや』っていう割り切った気持ちで貸す。だけど、そのお金が返ってこないことで君が『裏切られた』とか『悲しい』って思うんだったら、貸す必要はない」
お金を貸して返ってこなくて困るというのも確かにあるんですけど、私にはそれだけじゃない思いがあって。
「必ず返すからお金貸して」「わかった」っていうのは約束じゃないですか。約束が破られるっていうのは、信頼関係が壊れること。それが繰り返されるのがすごく嫌で。
果たされない約束
Photo by Ryosuke Kamba
――金銭的なこと以上に、心理的なダメージがあると。
そうなんです。親にはいつも「その日に返すのが無理ならそれでいいから、お母さんが絶対に約束を守れる日を決めて教えて」って言ってたんですけど、返してもらったためしがなかった。
毎回毎回、約束を破られる度に裏切られた感じがして傷ついていました。
だから、ひろゆき君に「返してもらえなかった時に裏切られた、傷ついたって感じるのが嫌なら貸さなくていいんだよ」って言われた時に、「あっ、そうなんだ」とすごく思って。
至極当然な話なんですけど、それまでそういう風に考えたとこがなかったから。
母のがんとタイムリミット
――いわゆる「毒親」だと思うのですが、お母さんと絶縁することなく最後までの関係修復を模索したのはどうしてだったのでしょう。
母に関しては、がんになって余命がわかったことが一番大きいですね。母親が入院した時に、主治医の先生には「3年から長くて5年」って言われたんですよ。
それまでは、ダラダラと付かず離れずの距離をとった状態でいればいいやと思ってたんですけど、いきなり終わりが見えちゃった。タイムリミットができたから、この3年、5年がこの人との関係を修復する最後のチャンスだと。
それで、積極的に関係修復する方にかじを切った感じですね。何もなくて今も生きてたら、そういう風に思ってないかもしれないです。
ずっと大好きだった母
Photo by Ryosuke Kamba
――心のどこかで「好きでいたい」という気持ちがあった?
そうですね。もともと私は母のことが大好きで、小さい時も本当に「お母さん、お母さん」っていう感じでした。
父と母が離婚してからは、主におじいちゃん、おばあちゃんと一緒にいる時間の方が長かったんですけれども、それでもお母さんのことをずっと好きで。
学費のことが理由で、高校生の時に1年半だけ父親と一緒に暮らしたのですが、学費の問題がなかったら、母親と一緒に暮らしたかった。気持ちとしては好きだったんですよね。
ただ、お金の無心であったり、「私のせいで生活が大変だ」みたいなことを言われたり……。どんどん関係が悪くなって、信頼が失われてしまった。これ以上近くにいると、この人のことを嫌いになっちゃう。そうなりたくないから距離を置こう、みたいな。
1カ所だけ「ママ」と書いた
西村ゆか『 転んで起きて 毒親 夫婦 お金 仕事 夢 の答え 』(徳間書店)
――やはり複雑な心理があるんですね。『転んで起きて』では、基本的に「母」という言葉を使っていますが、一緒にバドミントンをした思い出を回想するシーンでは「お母さん」と呼んでいるのが印象的でした。
すごく楽しかった記憶、大切な記憶のひとつです。
文章はだいたい「母」で統一していたのですが、もう1カ所あえて「ママ」と書いたところがあります。亡くなる2日ほど前、母とお菓子を分けあう場面です。
◇◇◇
亡くなる2日前に病室を訪れたとき、「ゆか、これ食べて」と言って、母が半分残した焼き菓子を私に手渡してきた。
「どうしたの? おいしくなかったの?」と私が聞くと「ううん。これが一番おいしかったから、ゆかと一緒に食べようと思って残しておいたの」と言った。
私は母からもらったその焼き菓子を「おいしいね」と言って、にこにこしながら食べた。
そこにいたのは、私が小さいころに大好きだったママだった。
母と会ったのは、そのときが最期になった。
(『転んで起きて 毒親 夫婦 お金 仕事 夢 の答え』より)
毒親に苦しむ人に伝えたいこと
西村ゆか(にしむら・ゆか) 1978年、東京都生まれ。Webディレクター。インターキュー株式会社(現GMOインターネット株式会社)、ヤフー株式会社を経て独立。現在はフランス在住。著書に『転んで起きて 毒親 夫婦 お金 仕事 夢 の答え』や『だんな様はひろゆき』(原作・西村ゆか/漫画・wako)がある。
――「母」「お母さん」「ママ」という揺らぎも含めて、好き嫌いで割り切れない感情の多面性を感じました。ご自身の体験も踏まえて、毒親に苦しんでいる人たちに伝えたいことはありますか。
ウチの場合は、すごく激しいDVやネグレクトがあったわけではないんです。高校生の時に3日くらい帰ってこないことはありましたけど、もっと長い間放置されている子もいるじゃないですか。
それに比べたら、めちゃめちゃ緩いから……。
――緩くはないでしょう。結構ハードモードだと思いますよ。
でも実の親にレイプされてしまった人もいるわけで、いろんなシチュエーションがありますもんね。ウチはマシな方だったのかな、とは思います。
親のことを「受け入れられない」「許せない」「好きじゃない」と感じる。そういう風に考えてしまうことに対して、罪悪感を抱いていた時期もありました。
「お母さんなのに、そう思うのは間違ってるのかな?」「本当はこんな風に考えたくないのに……」って。
だけど、大人になって思うのは「いや、それはそうだよ!」ということ。そう感じたとしても大丈夫だし、普通のことなので。
――全然、罪の意識を感じなくていいと。
そこは伝えたいですね。
昔は「こんな小さな傷で痛いだなんて、生ぬるいな自分」という感じで、変にこじらせて考えてたんですけど。
転んですりむいた、痛い。当たり前じゃん!みたいな。そういうことだと思うんですよ。
ひろゆきさん&西村ゆかさんの結婚式の様子(本人提供)
ラブラブなツーショット(本人提供)