雅子さまのオックスフォード留学生活は? 「勉強があるの!」と大急ぎで寮に、「皇后」を育てた努力の2年間
英国を訪問中の天皇陛下と皇后雅子さまが28日、それぞれ留学経験があるロンドン郊外のオックスフォード大学を訪ねた。若き日のおふたりの「青春」の日々だったとともに、雅子さまにとっては外務省の職員としての留学でもあった。世界レベルの大学での厳しい「学び」と外務省職員としての職務。「過酷」な日々がおふたりを育てたと、専門家は見る。
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当時、皇太子だった天皇陛下と雅子さまが暮らしていた、赤坂御用地にある東宮御所。
チュニジア大使として赴任する前、あいさつのためにおふたりを訪ねた多賀敏行・中京大学客員教授は、部屋や廊下の壁にかけられていた数枚の美しいエッチング(銅版画)を目にした。
描かれていたのは、オックスフォード大学やその周辺の、おそらく200年ほど前の静ひつな風景。
「皇太子さま(当時)と雅子さまのおふたりにとって、オックスフォードは大切な思い出でいらっしゃる。そう感じたのを覚えています」
天皇陛下の留学生活は、著書の『テムズとともに』で詳しく書き残されている。その一方で、雅子さまのオックスフォードでの留学生活の様子は、ほとんど知られていない。
それは、「皇太子のお妃候補」についての報道が過熱していた時期でもあった。
「小和田雅子さん」が外務省の職員としてオックスフォード大学ベイリオル・カレッジに留学したのは、「浩宮」さまがオックスフォードを旅立ってから3年後のこと。
米ハーバード大学経済学部を卒業したのち、東京大学を中退。外務省に入省して1988年から90年までの2年間、ベイリオル・カレッジで国際関係論を学んだ。
■女性ボート部でテムズ川に通う雅子さま
「お妃候補」としてメディアに注目されていた、留学中の雅子さま。
マスコミを避けながら、オックスフォード大への留学を検討していた友人に現地を案内して食事をとると、「勉強があるの!」と大急ぎで寮に戻っていったという。
そうした背景もあり、オックスフォード時代の雅子さまの様子については、詳しいことは知られていなかった。
それだけに、今回の英国訪問を前にした記者会見で陛下が紹介した、
「雅子からは早朝に起きてボートの練習に参加した話などを聞いたことがある」
といったボートのエピソード。女性ボート部に所属し、テムズ川に週に3回通っていたという報道もあったようで、雅子さまの貴重な横顔のひとつだ。
とはいえ、そもそも外務省の官僚の海外での留学生活は、目が回るほど忙しいのだという。
前出の多賀さんも、外務省に入省してまもなく、英ケンブリッジ大学で2年間の留学生活を経験している。
「外務省に入って本省で1年勤務すると、在外研修として海外の大学や大学院に2~3年間留学します。一方で在外公館に書記官として登録されており、昭和や平成の時代は、視察や会議のために日本から来た政治家の案内や通訳に駆り出されることもたびたびありました。まず若くて体力がある。加えて研修中なので細かな用事もいいつけやすく大使館としても重宝するわけです」
オックスフォード大やケンブリッジ大をはじめ、英国の大学で伝統的に取り入れられてきたのが、1人または多くて3~4名の学生に教授がついて指導するチュートリアル(個別指導)。学生と教授との距離は近い。
チュートリアルのために読まなければならない課題図書は毎週20~30冊あり、そのレポートを英文で書かされる。時期によっては朝から晩まで図書館にこもり、周囲の自然や風景を愛でる余裕もない生活を送るという。
外務省のウェブサイトには、在外研修の体験談が掲載されているが、令和の時代になっても勉強漬けの留学生活というのは変わらないようだ。
■世界的な研究者から手厚い指導
しかし、ケンブリッジ大やオックスフォード大には、ノーベル賞や若い数学者の業績を顕彰するフィールズ賞の受賞者など世界的な研究者が集まっており、そんな彼らから直接指導を受けることができる場所だ。世界各国から優秀な学生やロイヤル、富裕層の子弟が集まってくる理由もそこにあると、多賀さんは話す。
「天皇陛下も雅子さまもオックスフォードで2年間、論文の書き方やクィーンズ・イングリッシュを学ばれた。世界の大学ランキングで常に最上位グループに属する大学での留学生活は、歯を食いしばるような努力の連続であったと思います」
多賀さんも、大学で厳しく鍛えられたことが、外交官として国連関連の会議で他国の外交官と渡り合う際の強力な武器になったと振り返る。
オックスフォードでの生活は、おふたりにとって貴重な「青春」の日々だっただろう。そして、そこで学び、鍛えられた日々が今、世界各国の王室や元首らと渡り合うおふたりの支えになっている。
(AERA dot.編集部・永井貴子)