新潟地震60年で鶴岡市立京田小で追悼式 校内で園児3人が犠牲
式典会場の祭壇に、児童らが持ち寄った花を供えた=2024年6月14日、山形県鶴岡市
1964年6月16日に起きた新潟地震から60年となるのを前に、山形県鶴岡市立京田小学校で14日、追悼式典があった。
新潟地震で亡くなった園児3人を追悼し、黙禱(もくとう)する児童ら=2024年6月14日、山形県鶴岡市
新潟地震は庄内で震度5を記録し、県内で9人が亡くなった。同小では旧校舎に併設されていた京田幼児園(当時、現・ほなみ保育園)の建物が倒壊し、園児3人が犠牲に。この教訓を忘れまいと、翌年から追悼式と避難訓練を毎年行ってきた。
60回目の今回は保護者や住民、園児、遺族を招いて追悼式を開催。訓練は別の日に行った。
式典で、6年生の佐藤柚希さんは「いつもの生活を守れるように、時々は家族と防災について話し、災害に備えたい」などと誓った。
弟を亡くした吉田仁さん(68)は参列後に取材に応じ、「地震で校庭に出たら、幼児園がつぶれていた。16日が近づくとあの日を思い出す。60年間も追悼式をしていただき、感謝しています。弟も喜んでいると思う」と語った。(清水康志)