「交流戦首位打者」日ハム・水谷瞬が恩師にようやく届けることができた心揺さぶる「言葉」
現役ドラフトでの移籍に対する本音
5月21日に1軍に再昇格すると、新庄剛志監督の「5番レフト」抜擢に応えて第1打席で放った2ベースヒットが号砲だった。
2打席目でも同点タイムリーを放って初のヒーローインタビューに呼ばれた日ハムの水谷瞬は「テレビでいつも見ていた景色なので、これがお立ち台かって」とおどけたが、その後も存在感を発揮して好調なチームの主役の1人となっている。
石見智翠館高校時代の恩師の末光章朗監督が現在の活躍ぶり、つい先週、本人から受けた待望の報告を明かす。(記録は6月14日現在)
写真 時事通信社
水谷の勢いが加速し続けている。交流戦に入ると、すべての試合で快音を響かせ、15試合連続ヒットを継続中だ。
末光監督も驚いていると話す。
「正直、ここまでの結果を残すとは思っていませんでした。今季は1軍で試合に出てくれたらいいかなくらいに考えていましたから。猛打賞とか、固め打ちするのも大事でしょうけど、 ずっとヒットを続けるというのも難しいことだと思います。
昨年12月の現役ドラフトでソフトバンクから日ハムに移籍することが決まったとき、すぐに電話をくれて『本当にチャンスだから、なんとかモノにしろよ。春のキャンプから全開で行けるように準備しておけよ』と伝えました。本人も前向きにとらえていたと思います。
ただ、私の中ではなにか爪痕を残せなければ今季で彼の野球人生が終わってしまうかもしれないという心配もありました。もちろん期待もしていたんですけど、不安の方が大きかった。ですが、今は後輩たちの励みになってくれていますし、私も毎試合、彼の結果を見るのが楽しみになっています」(以下、「」は末光監督)
例年以上の覚悟でオフを過ごした水谷だったが、春季キャンプは2軍スタート。しかし、4日目に行われた最初の紅白戦で右中間にアーチを架け、ハイタッチした新庄監督に猛アピール。開幕1軍は逃したが、2軍でホームランを連発するなど結果を残し、そのときを待っていた。
好調の秘訣は気負っていないこと
「ソフトバンクで教わったこと、ケガやいろいろな悔しいことも含めたこれまでの経験、積み上げてきた頑張りの成果が出ているんだと思います。高校のときから本当に真面目でしたからね」
4月9日に1軍登録されると11日にプロ6年目にして、ついに初出場を果たした。
怪我などもあり、目標の舞台にたどり着くのには時間がかかったが、水谷は地に足をつけて進んできたようだ。
「ドラフトでソフトバンクに指名していただいたときはすごく喜んでいましたが、浮かれてはいませんでした。選手層の厚いソフトバンクですし、私は入ってすぐに活躍することは想像できなかったので『入ることが目的じゃない。これからが勝負だぞ。3年頑張って、4年目ぐらいに1軍で出られるように、1年目からしっかり頑張れよ』と話すと、『ここから頑張ります』と本人もわかっているようでした」
土台がしっかりしているから、足元が揺らがない。わずか4試合の出場で一度は2軍に戻されたが、それを糧にできた。
「1軍と2軍ではピッチャーの力が全然違うと思うんですが、それも経験しないとわからないこと。その経験をちゃんと自分の中に落とし込んで活かせているのでしょう。
今は1打席、1打席、大事にしているように見えます。それが彼のいいところです。とにかく必死でしょうが、それでいてランナーがいるときと、いないときで雰囲気が変わっていない。チャンスだから打ってやろうとか、気負いは感じない。どの打席も同じ形で入れている。それもいい結果に繋がっていると思います」
末光監督は水谷の成功を祈りながらも、送り出した以上は過度に連絡を取ることはせずに見守るスタンスを貫いてきた。
「私がキャンプを見に行ったときなど、何回かは会っていますけど、こちらから連絡することはそれほどないですし、水谷からもそんなにないですよ。3年目とか4年目ぐらいにソフトバンクの本拠地が福岡で、水谷の実家は愛知なので『1回ぐらい学校に寄れよ』なんて話をしたこともあったんですが、『機会があったら』って、そんな感じでした」
それでは素っ気ない対応に見えてしまうし、実際、卒業後、水谷は母校には1度も足を運んでいないという。
しかし、それは覚悟の証だった。
水谷が胸に秘めてきた想い
「これは水谷のお母さんから聞いたんですが、水谷は『1軍に上がるまでは絶対に(母校に)帰らない』と話していたそうです。故郷に錦を飾るではないですけど、そんなふうに思ってくれているのも嬉しいです」
1軍で出場するどころか、恩師の想像の上を行くほどの活躍を見せているのだから、このオフには胸を張って堂々と凱旋できそうだ。
「もう連絡がありました。先週のマツダスタジアムでの広島との試合の後です。『今年の冬は帰ります』と。チームが変わったことも大きいでしょうが、技術的なことも含めて、変われたきっかけはどこにあるのかとか、聞きたいことは山ほどあります。その日が楽しみです」
プロの中でも目を引く身体能力の持ち主だけに、高校時代も早くから脚光を浴びていたかと思いきや、そうではなかったという。
次回記事『「交流戦全試合ヒット継続中」!...日ハム・水谷瞬の野球人生を変えた恩師の助言』では、末光監督が水谷の決して平たんではなかった道のり、転機を振り返る。