キダ・タローさんの曲はなぜ記憶に残るのか もず唱平さんが語った完璧メロディーの裏側
生前、インタビューに応じたキダ・タローさん。子供時代を振り返り「引っ込み思案な末っ子だった」と語った=令和2年3月、大阪府豊中市(南雲都撮影)
数多くのテレビ番組のテーマ曲やCMソングを手掛け、ウイットに富んだ語り口でも人気を呼んだ作曲家のキダ・タローさんが5月14日、93歳で亡くなった。親交の深かった作詞家のもず唱平さんが、追悼の言葉を贈った。(聞き手 藤井沙織)
不自然さがないメロディー
キダ先生とのお付き合いは、もう55年以上になります。「悪友の唄」や「虫けらの唄」といった歌謡曲に、CMソング、校歌に団体歌。2人でいったい何曲作ったか分かりません。
歌謡曲やCMソングは、言葉ありきのものです。キダ先生が詞につけるメロディーには、〝イントネーション音痴〟がなかった。大阪弁なら大阪弁、標準語なら標準語で、詞とイントネーションに矛盾がない。「かに道楽」のCMソングを思い浮かべてください。不自然さがないでしょう。一度聴いたら忘れられへんのは、そのためです。当たり前のことではありますが、あそこまで完璧にはなかなかできません。
作詞家のもず唱平さん
歌謡曲ならば、主人公が物語の中でどんな役割を持っているのかも確認されていました。僕の原稿を見て、「この人は何歳? 職業は? 女房はいくつくらい? 子供は?」と立て続けに聞かれたことがあります。ピアニストでもあったので、スタジオでは「こういうタッチの音を出して」と、奏者に具体的な指示を出していました。
われわれの世界で座っているだけで絵になる人は、まぁ他におりません。「作曲家です」って真面目な顔をせず、ちょっと斜に構えて、ときにはタレントでっせというような風采も見せる。作曲家、コメンテーター、お笑いよりのタレント。テレビ番組に出るときには、そこで求められている役割にパッとはまる。
ただ、確信をもって言えるのは、「自分は一番には作曲家である」という意識を、頑として持たれていたということです。
阪神になんの寄与もせんかったなぁ
昨年、リーグ優勝、日本一と盛り上がった阪神タイガースですが、大昔に2人で「タイガース音頭」という歌を作りました。熱烈な阪神ファンだった元朝日放送アナウンサーの中村鋭一さん(享年87)に頼まれて作ったのですが、これが見事に売れませんでした。
数年前、キダ先生と「阪神になんの寄与もせんかったなぁ」という話をしました。何とかこの歌を復活できないかと思っていたところ、僕の歌を歌っている浅田あつこが、秋に出すデビュー30周年のアルバムに入れてくれると言うんです。
このことを3月26日にキダ先生に電話で伝えたら、「わっはっはー」と笑って、「おもろいな」と喜んでくれました。古い歌なので「アレンジだけは新しい装いにしてほしい。誰かに考えてもろてんか」と。その電話が、お話しした最後になりました。
才能と磨かれたテクニックがあって、頭の回転が極めて速く、配慮があって人に優しい。本当に、尊敬すべき先輩でした。
ただこの何十年間ずっと不可思議だったのが、毎年春に僕にチューリップの寄せ植えを贈ってきたことです。キダ先生とチューリップ。連想ゲームをしてみても答えが出ない。花が好きだと言ったこともない。
今年は受け取る時期がずれたからか、サクラソウでした。僕に花をくれた男性はキダ先生だけ。理由を聞いておくべきやったかな。心残りはそれだけです。(談)