元恋人メイ・パンが語る、ジョン・レノンの「ある愛の物語」…「失われた週末」巡るドキュメンタリー
「ジョン・レノン 失われた週末」から。ジョン・レノン(左)とメイ・パン=(C)2021 Lost Weekend, LLC All Rights Reserved
ビートルズ瓦解後のジョン・レノン(1940~80年)の人生には、「失われた週末」と呼ばれる時期がある。1973年9月から75年2月までの18か月間のことだ。妻オノ・ヨーコと別居していたその1年半は、酒に溺れた迷走期だと一般的にはとらえられてきた。だが、当時、ジョンと一緒だった女性メイ・パンが明かす歴史は、通説と様相を異にする。ドキュメンタリー映画「ジョン・レノン 失われた週末」(5月10日から全国順次公開)で、ジョンとヨーコの神話の陰に隠れてきた「私の物語」を語ったメイ・パンにインタビューした。(編集委員 恩田泰子)
■「これは私自身の物語」
<私の名前はメイ・パン。これは私自身の物語だ>という言葉とともに映画は始まる。監督とプロデュースはイヴ・ブランドスタインとリチャード・カウフマン、スチュアート・サミュエルズが共同で手がけた。
メイは中国系移民の両親のもとニューヨークで生まれ育ち、1970年、19歳の時に音楽業界に飛び込んだ。職場はビートルズと関係のあったアブコ・レコード。翌年、ジョンとヨーコによる前衛映画制作を手伝ったのを機に、2人のパーソナルアシスタントに指名された。そして73年、10歳年上のジョンと恋に落ちる。ジョンはニューヨークの自宅ダコタハウスを離れ、メイと2人でロサンゼルスに旅立ち、1年半をともにした。
のちのインタビューでジョンは、この時期について「18か月間の『失われた週末』」と語っている。酒に溺れる作家を描いた映画「失われた週末」(ビリー・ワイルダー監督)になぞらえたらしい。実際、この時期のジョンはやんちゃな夜遊びでメディアに派手な話題を提供していたが、同時に、もっとも多作で商業的に成功した時期でもあった。エルトン・ジョンをゲストに迎えた「真夜中を突っ走れ」でソロ活動では初めての全米シングルチャート1位を獲得。ほかにもアーティストたちとの交遊を作品に結実させていた。
本作は、その日々の始まりから本当の終わりに至るまで何があったのか、メイはどのような思いをジョンに注いでいたのか、彼女が語る言葉を軸に描き出していく。2人一緒の日々がいかに濃密であったかを物語るのは、彼女が撮影した写真だ。ビートルズ解散後のポールとのツーショットなど音楽史的に貴重な瞬間をとらえたものも多いが、何より心に残るのは、飾らぬ笑顔のジョンを撮ったくさんの写真……。その豊穣な日々の母体として、愛情深いメイとのラブストーリーがあったことが浮かび上がる。ジョンと、最初の妻シンシアとの間に生まれた長男ジュリアンとの再会を手助けしたのも、メイだった。
■「世の中に出回っているのは神話」
それから半世紀を経て、なぜメイは改めて映画で「失われた週末」について語ったのだろう。オンラインでの取材に応じたメイは、すべての質問に明朗に答えた。
「私は現実に起きたことをすべて知っていますが、世の中に出回っているのは『神話』であって、真実ではありませんでした。でも、その神話、そのうそが繰り返し語られれば、真実とすりかわってしまう。私は、そろそろ実際通りに正す時期が来たと思いました」
「世の中には(ビートルズのことに)精通しているハードコアなビートルファンもいて、そうした人たちが私に会うと言うのです。『あなたが語ってくれるのをずっと待っていた。その(時期の)一部については知っているけれど、あなた自身から聞きたい』と」
「ジョンが『失われた週末』と言ったのは、その通り。みんなが『あなたはいつも酔っ払っていたね』と言い続けたので、彼は『ああ、失われた週末みたいなものだ』と答えたわけです。後にジョンは私に言いました。『マスコミは(失われた週末を)失われた時間というかもしれないけれど、そうじゃない』と。そこにいなかった人は口を出すべきではない。そして、私の物語、真実の物語を取り戻す時がきたのです」
きっかけは、監督のひとり、イヴ・ブランドスタインとの会話だった。彼女は約4半世紀前、メイのジョンとの日々の映画化を持ちかけた。それは成立しなかったが、2人は友人になった。
「最初にイヴが考えていたのは、私の本の映画化権の取得でした。でもそれから25年後、友だちとしておしゃべりをしていた時にドキュメンタリーのアイデアが出て、それこそ私が求めていたものだと伝えました」
メイは、1983年に自伝「Loving John」、2008年には彼女の写真と文でジョンとの日々を振り返る「Instamatic Karma」(日本語版の当初の書名は『ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド』、改題・新装版は『ジョン・レノン 失われた週末』=ともに河出書房新社)を発表している。
「かつての本に関しては、私がそれを書いたことすら知らない人もいました。今回のドキュメンタリーを見て『本を書いたらいいんじゃないですか』という人たちがいっぱい出てきたのだけれど、『書いたわよ!』って。ふふ。おかしいでしょう。なぜ知られなかったのか、本当のことはわからないけれど」
神話の陰に隠れてしまったもの。それが一人の女性の声であったことが、世の中の仕組み、メディアの構造、そして歴史はいかにして作られていくかということについても考えさせる作品でもある。
「かつてジョンは私にこう言っていました。『真実は明らかになる』と。この物語を語るのに50年もかかるとは思ってはいませんでしたけどね」
「今、私たちは、より視覚的、映像的な時代を生きている。日常的にビデオ通話を使ったり、TikTokやインスタグラムで発信したり。それと映画は少し違うけれど、テクノロジーの進化によって今は人々に物事が伝えやすくなったと思う」
「私の人生、私の物語」を伝えようとする姿は共感も集めた。
「たくさんの女性、若い女性から、私は彼女たちの『ヒーロー』で『尊敬している』という声をもらいました。そんなふうに言ってもらえるなんて! とても誇りに思います。そして彼女たちにはこういうふうに言うことにしています。『いいかな、真実を手放さないようにすれば、その真実はあなたを導いてくれる』って」
■「これが私の知っていたジョン」
映画そのものの作り手は3人の監督たち。口出しはしなかったという。
「イヴがまずリチャードを連れてきて、彼が撮影部分を担当。スチュアートはストーリーラインを全部把握した(資料映像担当の)アーキビスト。話し合った上で私は3人にまかせることにしました。あれこれ口出しして、『これがいい』とか『これはいや』と言うような人間にはなりたくなかったから。彼らをコントロールせず、自由にやってほしかった。そして完成した映画を見た時、これがまさしく私が求めていたものだと感動しました」
映画の柱は「メイの物語」だが、写真や彼女以外の人々の証言、当時の映像、さらにはジョンが残したイラストつきのメモなどがそれを支えている。ジュリアン・レノンも重要な証言者の一人だ。メイはジュリアンの母シンシアと強い友情で結ばれていた。
とりわけ強く印象に残るのは、数々の写真に映るジョンのリラックスした表情。メイのカメラの前の彼には構えたところがない。この映画に加え、メイは写真展も開いている。
「これらの写真は、私が撮った、私のもの。見て楽しむだけに撮ったもので、気取らぬ家族写真に近いものです。長い間、私のベッドの下の収納スペースにずっと保管していました。それらの写真の中のジョンを見て、みなさん、とても驚きます。彼が笑っているのを初めて見たという人もいます。ポーズを取るどころか、まるでカメラを意識していない写真もあります」
「これが私の知っていたジョン。私たちはそんなふうに(写真に写っているように)暮らしていました」
「もちろん世間一般のボーイフレンド、ガールフレンド同様、浮き沈みはありました。でも、全体としては建設的なものでした。たくさんの人々が周囲にいて、たくさんの友人に会いました。そして私は重要な出来事が起きた時、いつも一緒にいました。ジョージ(・ハリスン)と再会した時はうれしかった。ジョンがポールやリンゴと話している時もうれしかった。彼らはビートルズというグループではなくなっても、ずっと『兄弟』でした。いろいろなことを一緒にやってきて、その後もずっと互いを大切にしていた」
■「またポールと曲を書くべきかな」とジョンは言った
ジョンがメイに贈った2人の未来予想図のようなイラストなど、見ていて胸が詰まるような思いにさせられる瞬間もあるが、メイ自身の語りは終始明快だ。
「私の言葉は心からのもの。やっと胸の中にあるものを解放することができて、人々に見てもらうのと同時に聴いてもらえる。だから大丈夫でした」
音楽的に豊かな日々であったことも、「もちろん」伝えたかったという。
「私はずっと彼の表現と創作のサポーターでした。彼が曲を書きたいと言ったら、いつでもそれを優先しました」
「私たちが別れる直前、彼は私に『またポールと曲を書くべきかな』と尋ねてきました。私は思いきり勧めました。『もちろん書いたほうがいい。あなたがたのソロはもちろんグッドだけれど、2人一緒なら、グッドを超えてグレートになる』と。彼はそれを理解して、ポールが滞在していたニューオリンズに行くつもりになっていました。そこでポールは次のアルバム(「ヴィーナス・アンド・マース」)の制作プロジェクトを進めていました」
ただ、ほどなくしてジョンはダコタハウスに戻り、「すべては変わりました」。もっとも物語はそこで終わったわけではないという点にも注目したい。映画の終幕、映しだされる「現在」の足取りも心動かす。
見た後は、濃密な18か月間を「失われた週末」と呼ぶのはちょっと居心地が悪く思える。そう伝えると、メイ・パンはほほえみながら、こう言った。
「だから(英語での原題は)『The Lost Weekend:A Love Story』なのよ」。要するに、「失われた週末」は「ある愛の物語」でもある。
◇「ジョン・レノン 失われた週末」=2022年/アメリカ/上映時間:94分/字幕:松浦美奈、字幕監修:藤本国彦/配給:ミモザフィルムズ=5月10日から、東京・角川シネマ有楽町、シネクイント、新宿シネマカリテ、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開