「プロパガンダを信じるな」…ロシア政府系メディアに乱入して「プーチンの野望」を全国民に暴露した女性が語る「衝撃の顛末」
「NO WAR 戦争をやめろ、プロパガンダを信じるな」…ウクライナ戦争勃発後モスクワの政府系テレビ局のニュース番組に乱入し、反戦ポスターを掲げたロシア人女性、マリーナ・オフシャンニコワ。その日を境に彼女はロシア当局に徹底的に追い回され、近親者を含む国内多数派からの糾弾の対象となり、危険と隣り合わせの中ジャーナリズムの戦いに身を投じることになった。
ロシアを代表するテレビ局のニュースディレクターとして何不自由ない生活を送っていた彼女が、人生の全てを投げ出して抗議行動に走った理由は一体何だったのか。
長年政府系メディアでプロパガンダに加担せざるを得なかったオフシャンニコワが目の当たりにしてきたロシアメディアの「リアル」と、決死の国外脱出へ至るその後の戦いを、『2022年のモスクワで、反戦を訴える』(マリーナ・オフシャンニコワ著)より抜粋してお届けする。
『2022年のモスクワで、反戦を訴える』連載第2回
『ウクライナ戦争を伝えるロシア政府系のニュースで「あなたたちは騙されている」と乱入した女性…その時、一体何が起きていたのか「本人が直接告白」』より続く
警察の目を盗んで
2人の警察官がピタリと脇についたまま、わたしはテレビセンターの長い廊下を歩いて行った。ちょうどこの頃、わたしの反戦抗議の映像は世界の主要なテレビで流れていた。何百人もがSNSに感謝の言葉を書いてくれた。あとで聞いたところだと、テレビ局のあるオスタンキノにはモスクワ中から記者や弁護士が駆けつけていた。その中には感謝のしるしとしてわたしに渡そうと、白い薔薇の花束を持った男性もいたそうだ。
テレビセンターの一階にある警察分署に入った。中は大騒ぎだった。ひっきりなしに電話が鳴っていた。私服警官が次々とやってきた。だが、誰もわたしには注意を払っていなかった。チャンスだった。一刻も無駄にはできない。見つからないようにバッグから携帯を取り出し、SNSを開き、自宅で録画しておいたビデオメッセージを投稿した。
「ウクライナでいま起きていることは犯罪です。ロシアは侵略国です。この犯罪の責任はただ一人の人物にあります。ウラジーミル・プーチンです。
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わたしの父親はウクライナ人、母親はロシア人です。2人は敵同士になったことはありません。わたしが身に着けているロシア、ウクライナ両国旗の色のネックレスは、2つの兄弟民族が和解するために、ロシアがこのきょうだい殺しの戦争を即刻中止しなければならないという象徴です。
残念ながら、わたしは第一チャンネルでこの数年働いてきました。クレムリンのプロパガンダに従事してきました。いま、わたしはそれを恥じています。テレビ画面からウソを流してきたことを恥じています。ロシア人をゾンビ化してきたことを恥じています。
元同僚からのメッセージ
すべてが始まった2014年、わたしたちは沈黙していました。クレムリンがアレクセイ・ナヴァリヌイに毒を使ったときも集会に出ませんでした。わたしたちはこの非人間的体制を黙って見ているだけでした。いま全世界がわたしたちに背を向けています。この先、10世代を経ようとも、子孫たちはこの兄弟殺しの戦争の汚名を拭い去ることはできないでしょう。
思慮深く賢明なロシア人であるわれわれ、わたしたちの力だけがこの狂気を止めることができるのです。集会に参加しましょう。何も恐れずに。わたしたちを一人残らず刑務所に叩き込むことはできないのですから」
動画の読み込みに時間がかかった。まわりを見まわした。警備員の一人がじっとこちらを見ているのに気づいた。本能的に体が縮こまった。
「マリーナ、大丈夫? 弁護士はいるの?」
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元同僚からのメッセージが携帯の画面に表示された。プーチンがドンバスでの戦争を始めた時、ロシア国営テレビを辞め、反体制派ミハイル・ホドルコフスキーのチームに入った女性だ。彼女に動画を送った。
「マリーナ、どこにいるんだ?」
第一チャンネルのワシントン特派員だったイーゴリ・リスキンからのメッセージだ。リスキンはもうだいぶ前から家族と一緒にアメリカに住んでいる。
尋問
「オスタンキノの警察署」
急いで書いた。万が一の時のためにリスキンにも動画を送った。
「携帯をさっさと切りなさい!」
男の声が聞こえた。目を上げると黒いファイルを脇に抱えた背の低い男がいた。
「なんであんなことをやったんだ。一人でやったのか。それとも手助けした者がいるのか?」
洗いざらい真実を話した。一人でやった。わたしがオンエアに出ていこうと考えたことは誰も知らない。戦争が始まった時、わたしは激しく動揺した。食事も水も喉を通らず、眠ることもできなかった。モスクワ中心部のマネージ広場に行った。でも警察が抗議者を根こそぎ捕まえて警察車両に押し込んでいるのを目撃した。その時わたしは、わたしならもっと効果的な抗議ができるはずだと考えた。
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休みの日に近所の文房具店にクルマを飛ばし、厚紙とマーカーを買い、家に帰って食卓の上でスローガンを書いた。その後すぐにビデオメッセージを録画した。最初はニュースルームの中にとどまろうと思っていた。でも直前に考えを変え、MCの後ろに立とうと決めた。『ヴレーミャ』の時間帯にスタジオの警備が交代したからだ。
一日中警備についていた2メートルもあるゴリラのような男の警察官が、可愛い少女のような警察官に代わり、その人は携帯にのめり込んだ。これはチャンスだと思った。こんなことはできっこないと90パーセント思っていた。スタジオに駆け込むなんて無理だ、最後の瞬間に膝が震えるか、チーフディレクターがわたしをフレームの外に出すだろう、と。
プーチンのための戦争
警察署には次から次へと人が来た。さまざまな治安機関の係官だったが、皆同じ質問をした。
「なぜスローガンは英語だったのか?」
「英語で書いたのは、西側の人たちに、ロシア人が戦争に反対していることを示すためです。ロシア人はこんな戦争を望んでいません。この戦争を必要としているのは一人、ウラジーミル・プーチンだけです。権力を握っていたいからです。プロパガンダによってゾンビ化されているロシア人には、できるだけ簡単に『あなたたちはここで騙されている!』とロシア語で書いたのです。このプロパガンダに乗らず、オルタナティブな情報源を探してもらいたいと思ったのです。比較し、分析してもらいたかったのです」
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わたしは一瞬黙った。壁の時計の針は深夜を指そうとしていた。捜査官たちは報告書に何か熱心に書き込んでいた。
わたしは「弁護士を呼びたいので電話をさせてください」と要求した。
『「この8年間プーチンは国民を洗脳してきた」…政府系メディアに乱入した女性が捜査官相手に吐いた反戦抗議の「納得の理由」』へ続く