「うわあああ」何度も悲鳴を上げ…「不発弾」だけではない硫黄島の「意外な危険なもの」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。
民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が8刷決定と話題だ。
普段ノンフィクションを読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
硫黄島に物見遊山に来る人たち
遺骨収集団に参加した遺族の中には、最後まで十分な対話ができなかった人も数人いた。遺族の一人が理由を教えてくれた。彼が話したのは、遺骨収集団にボランティアが大勢参加できた約10年前のことだった。
「ボランティアの中には、いかにも物見遊山で硫黄島に来た、という人たちが少なからずいたんです。慰霊が目的ではなく、珍しい風景を見たいから来たという人たち。今回のボランティアの人たちだって、もしかしたらそういう人かもしれない、という思いを抱いてしまうんですよ」
収集団員の中には、別の理由で一度、僕との会話を避けた男性もいた。ボランティアとして長年、参加し続けている男性だった。遺族ではないが、多くの遺骨が残されたままの現状に対する問題意識が強い人だった。
これも5日目のことだ。遺骨収集団員は毎朝、自衛隊の庁舎が並ぶ地区にある宿舎の前からマイクロバスに乗り、作業現場に向かう。バスを降りた直後のタイミングで、僕がその男性に話しかけると、返答はなかった。今、話しかけるな、という表情だった。対話を拒否された。
男性は休憩時間に、拒否した理由についてこう話した。
「私はね、バスを降りた瞬間から、ずっと下を向いて歩いているんですよ。この島はどこに遺骨があってもおかしくない島なんですよ。私はまだ遺骨は見つけていないけど、これまでに銃弾2発を見つけましたよ」
常に遺骨を捜そうという強い意志を知り、無視されたのだと立腹した自分を恥じた。男性は遺骨収集への参加を続けるために、会社勤めをやめて自営業を始めたとも話した。この男性以外のボランティアとも対話したが、皆、遺骨収集に役立ちたいという強い思いを持った人たちばかりで、物見遊山で来たという印象の人は一人もいなかった。
危険な生き物との遭遇
遺骨収集団は高齢者が主体なのだから、危険な作業はないはずだ。硫黄島上陸前のそんな先入観を打ち消したのは、続々と出土した不発弾だけではない。大きなムカデと遭遇し「うわあああ」と悲鳴を上げたことは1回や2回ではなかった。通算したら数十回に上るかもしれない。
僕は、クモは怖くない。人間に危害を与えないからだ。しかし、硫黄島のムカデは違う。人間に咬みつき、激痛を与えるとされる。遺骨収集団が作業現場で長袖長ズボンの作業服の着用を求められるのは、ムカデ対策のためだと聞いた。
捜索現場で作業していると、たいてい一度は遭遇した。ムカデはつがいの場合が多いと聞いた。1匹出てきたということは、もう1匹近くにいるということだ。だから、1匹出てきたら、その後は緊張が続いた。
あるとき僕が土を掘っていると、後ろにいた団員が「あ! 酒井さん! ムカデが背中に!」と叫んだ。僕はパニック状態になり、上着を脱ぎ捨てた。服の中に入ったのか、それとも僕が驚いて跳ね上がったときに地面に落ちたのか。ムカデは見つからない。
「大きかったですか」と聞くと「いや小さい」と言われ、僕は「なんだあ」と落ち着いて再び上着を着た。硫黄島には大小のムカデがいる。見た目の気持ち悪さはどちらも一緒だが、小さいムカデはもはや見慣れていた。本土では見たこともない大きなゴキブリにも慣れた。
不発弾と同様、非日常的な体験はやがて日常になる。感覚はまひする。午前と午後のほぼ定刻に飛来した爆撃機を、硫黄島守備隊の兵士たちは「定期便」と呼んでいたという。殺されかねない空襲をそのように呼称した兵士たちも同じように危機感が薄れていったのだろうか。