女性と関係を結んだ「盲目の乞食」の自分語りが持つ意味
女性と関係を結んだ「盲目の乞食」の自分語りが持つ意味
『忘れられた日本人』で知られる民俗学者・宮本常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは?
「宮本の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』が6刷とロングセラーとなっている。
※本記事は畑中章宏『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』から抜粋・編集したものです。
多様な語り口による叙述
『忘れられた日本人』は雑誌『民話』の1958年(昭和33)12月号(第3号)から同誌の休刊号となった1960年(昭和35)9月号(第24号)に連載された「年よりたち」と、その他の雑誌に掲載された文章を単行本にまとめたものである。
この本に収録された諸編は、民俗学の調査研究の報告書、あるいは学術論文として書かれたものではない。しかも各編の叙述のスタイルが、調査・紀行・座談・聞き書き・随筆などさまざまなところが、この本の特色であり、魅力になっている。
「対馬にて」と「村の寄りあい」は、共同体で伝承されてきた村落の合議制度や、民謡、踊りといった民俗芸能の伝承のされ方について紀行文の体裁で描く。
「名倉談義」は、村の発展や労働のあり方を座談形式で考える。「子供をさがす」は、共同体ならではの人のつながりを描いたスケッチ風小品。「女の世間」は、女性たちの共同体と共同体外の社会との関係のもち方を描いた民俗誌、生活誌である。
「土佐源氏」は盲目の「乞食」がモノローグ形式で語る性生活誌、「土佐寺川夜話」は限界集落ともいうべき辺境を訪ねた際の紀行文。
「梶田富五郎翁」、「私の祖父」と二編の「世間師」は老人たちの人生を通して農村・漁村、農民・海民文化を映し出した生活誌。二編からなる「文字をもつ伝承者」は地方に住む在野の民俗学者を訪ね、その人生と業績を記した評伝風紀行文となっている。
こういった多様な形式で記録した村里の話題を、新しい「民話」を模索しながら宮本は書き綴った。学術研究書をめざしていないとはいえ、宮本はなぜこのような多様な形式で民俗を描いたのか。それは民俗学の叙述においては、調査対象やフィールドワークの主題に応じて、それに近づくのに最もふさわしい方法をとるべきだということを、宮本は主張したかったのではないだろうか。
「土佐源氏」とはなにものか?
『忘れられた日本人』に収録された話のなかで最もよく知られているのは、「土佐源氏」だろう。
話の主人公は土佐の山間、伊予との国境に近い檮原村(現・高知県高岡郡梼原町)に住む、年老いた乞食である。夜這いによってこの世に生を享けたこの男は、母親が早くに亡くなったため祖父母の手で育てられた。成長して牛馬の売買・仲介をする「馬喰渡世」の身となり、さまざまな女性と関係を結んだ。そしていまでは乞食に身を落とし、視力を失い、橋の下に住んでいるのだという。
「『おかたさまおかたさま、あんたのように牛を大事にする人は見たことがありません。どだい尻をなめてもええほどきれいにしておられる』というたら、それこそおかしそうに『あんなこといいなさる。どんなにきれいにしても尻がなめられようか』といいなさる。『なめますで、なめますで、牛どうしでもなめますで。すきな女のお尻ならわたしでもなめますで』いうたら、おかたさまはまっかになってあんた向こうをむきなさった」
孤児同然で幼いときに奉公へ出、そのまま馬喰になった男は、「わしは八十年何にもしておらん。人をだますことと、おなご(女)をかまう事ですぎてしまうた」というように、特別な事件や事故にも遭遇せず、貧しいままに時を過ごしてきた。失明してからは妻と暮らし、人からものをめぐんでもらう生活を続けている。
今では目の見えない乞食として橋の下で暮らしている。そんな男が自慢できるのは、身分の高い職業・階層の人の妻たちとの性交渉にまつわる話だった。
「女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持になっていたわってくれるが、男は女の気持になってかわいがる者がめったにないけえのう。とにかく女だけはいたわってあげなされ。かけた情は忘れるもんじゃァない」
宮本はなぜ、歴史や社会の外側にいるような人物から話を聞き、「土佐源氏」の人生を文章にして残そうとしたのか。歴史学では歴史の発展に関与したり、事件や事故の当事者でもなければ記録に残されたりするようなことはない。民俗誌でも民間伝承・民間信仰、あるいは民俗的な技術の継承者の語りが採話のおもな対象だ。
それでは、橋の下の盲目の乞食の自分語りは無意味なものなのだろうか。「土佐源氏」は馬喰という移動を生業とする人の生活史である。遍歴者、漂泊民、社会の周縁にいる人びとも宮本民俗学の対象であり、また主体でもある。宮本は「土佐源氏」をとおして、民俗学の「私たち」にはこうした人びとも含まれることを具体的に示している。
ところで「土佐源氏」は、『日本残酷物語』の第一部『貧しき人々のむれ』に収録された「土佐檮原の乞食」に改稿をほどこしたもので、また宮本が執筆したと思われるポルノグラフィーそのものというべき別ヴァージョンもある。また、この話が聞き書きそのままではなく、話者である乞食の人物像やライフストーリーに宮本の「創作」がもりこまれていることが指摘されている。
では事実と異なる叙述は否定されるべきなのだろうか。『忘れられた日本人』に登場する人びとは、無名でも、固有名詞をもっていても、「民話」というフィルターをとおしているためか、どこかで象徴性をおびている。宮本はリアルな事実に則して、歴史から取りこぼされた経験と記憶を刻印しようとしたのではないかと、私は考えるのだ。