ウクライナ戦争を伝えるロシア政府系のニュースで「あなたたちは騙されている」と乱入した女性…その時、一体何が起きていたのか「本人が直接告白」
「NO WAR 戦争をやめろ、プロパガンダを信じるな」…ウクライナ戦争勃発後モスクワの政府系テレビ局のニュース番組に乱入し、反戦ポスターを掲げたロシア人女性、マリーナ・オフシャンニコワ。その日を境に彼女はロシア当局に徹底的に追い回され、近親者を含む国内多数派からの糾弾の対象となり、危険と隣り合わせの中ジャーナリズムの戦いに身を投じることになった。
ロシアを代表するテレビ局のニュースディレクターとして何不自由ない生活を送っていた彼女が、人生の全てを投げ出して抗議行動に走った理由は一体何だったのか。
長年政府系メディアでプロパガンダに加担せざるを得なかったオフシャンニコワが目の当たりにしてきたロシアメディアの「リアル」と、決死の国外脱出へ至るその後の戦いを、『2022年のモスクワで、反戦を訴える』(マリーナ・オフシャンニコワ著)より抜粋してお届けする。
『2022年のモスクワで、反戦を訴える』連載第1回
反戦活動の狼煙
「スリー、ツー、ワン……はい、MC!」
副調整室からディレクターが叫んだ。声は緊張していたが、しっかりしている。彼はこんなオンエアを1000回もこなしていた。わたしの目の前はモニターの壁だ。
「こんばんは。『ヴレーミャ』の時間です。エカチェリーナ・アンドレーエワがお伝えします」
Photo by gettyimages
今日の彼女はブラック・ジャケットだ。その下には赤いハートの描かれた白いTシャツを着ている。戦争開始から毎日オンエアで同じようなTシャツを着ている。新しい毎日、新しいTシャツと新しいハート。隠された意味でもあるのかと、みんな謎解きに夢中だ。でも誰も余計な質問はしない。
テレプロンプターの上に文字が走る。アンドレーエワは一つ一つ言葉をはっきりと発音した。
プロパガンダ拡散機と化したテレビ
「今日の主な出来事です。民間人が攻撃を受けました。ウクライナ民族主義者側からの砲撃によって、ドネツクでは子供を含む数十人が死亡しました。マリウポリの包囲が解かれ、市民の集団避難が始まりました。市民はネオナチに事実上人質となっていました。勇敢な戦闘行為に対して11人の軍人にメダルが授与されました。特別軍事作戦での際立った貢献に対するものです」
MCから7メートルほど離れたところには警察官が一人、椅子に座って暇そうに携帯をいじっている。ニュースルームの外にはあと2つ警備ポイントがある。第一チャンネルの自前のセキュリティが3人、黒い制服を着て退屈そうにあたりを見まわしていた。全職員の顔を知っているくせに、どのみち毎回通行証を見せろと言うのだ。テレビセンターの周りには有刺鉄線のついた塀があり、2重の警備線がある。
国際ニュース部の小さな部屋で、わたしは集中しようとしていた。国連安保理ウクライナ問題会合のオンライン中継を聞いていた。わたしの前にはモニターが何台かあって、ロイターやスカイニュース、ユーロビジョンの映像を流していた。
Photo by gettyimages
そこには戦争があった。そこには破壊されたウクライナの町、地に横たわって動かない数々の体、うち続く爆発、それに途切れることのない難民の波といった恐ろしい映像があった。第一チャンネルはこうした映像素材にアクセスする契約をしているので、自由に使うことができる。しかしロシア国防省や連邦保安庁(FSB)からの映像と自局の特派員が撮影したものだけを使っていた。
わたしたちの最大の課題は、パラレルな現実を作り出し、この戦争がドンバス市民の解放作戦であるかのように見せることだった。
生のニュース読みまであと数分という時に内線連絡のベルが鳴った。
「戦争反対!戦争をやめろ!」
「マリーナ……、ネベンジャの演説は編集のやり直しだ。アメリカ人ジャーナリストの殺害に触れた部分を入れるんだ!」
番組のチーフディレクターが大声で叫んだ。
ワシーリイ・ネベンジャはロシアの国連大使だ。ジャーナリストのブレント・ルノーがイルペンで、ロシア側ではなくウクライナ側の弾丸によって殺害された、とネベンジャは表明したばかりだった。これは至急オンエアに乗せる必要がある。膨大な量の情報の中から、反ウクライナの役目を果たすものならなんでも、念には念を入れて引っ張り出すのだ。
編集室に走った。ニュースルームのドアの上に赤いランプが点滅している。オンエア・ゾーンへ立ち入りできるのは特別な電子通行証を持っている者だけだ。わたしの通行証はまさにそれだった。
「ネベンジャをやり直すわよ。この言葉からね。急いで」
編集マンを急き立てた。項目表に目を走らせた。ウクライナの項目はもうすぐ終わってしまう。時間がない。
Photo by gettyimages
わたしは全速力で自分の部屋に飛び込むと白いジャケットをひっつかんだ。その袖のところには紙が丸めて隠してある。ニュースルームに入るとそれを引っ張り出し、一挙にMC台に上がった。数十の照明がわたしの目を射た。
「欧米の制裁の影響緩和について……」
アンドレーエワは淡々とニュースを読んでいた。
「戦争反対!戦争をやめろ!」
わたしは叫び、MCの後ろで大きな紙を広げた。自分の声とは思えなかった。
「あなたたちは騙されている」決死の6秒間
アンドレーエワは悠然とそのままプロンプターを読み続けた。
「政府会議ではアクセスの維持について話し合われ……」
別のカメラの映像がオンエアされているのに気づいた。左のカメラのタリーランプが点いている。つまりオンエアではこの紙はMCの陰になって映っていない。わたしは視聴者が文字を読めるように、左に一歩動いた。
〈NO WAR 戦争をやめろ。プロパガンダを信じるな。ここではあなたたちは騙されている。ロシア人は戦争に反対だ〉
目の端に、モニターに映る自分の姿がチラリと見えたが、すぐに別の映像に切り替わった。これは副調整室でディレクターが気づいて、スタジオ内の出来事を隠すためにVTRリポートを走らせたのだ。わたしの抗議はわずか6秒だけだった。
Photo by gettyimages
膝がガクガクしたまま出口に歩いた。金髪の女性警察官が驚いたように睫毛をパチパチさせ、押し黙ってわたしのほうを見ていた。ニュースルームを抜け、紙は階段の下のコピー機の脇に投げ捨てた。こちらに向かって第一チャンネル報道局の幹部がそろって廊下を歩いてきた。
「きみだな」
これが最初の質問だった。局次長の顔は引きつり、眉は上がっていた。
「はい、わたしです」
このあと彼女は一体どうなってしまうのか。
『「プロパガンダを信じるな」…ロシア政府系メディアに乱入して「プーチンの野望」を全国民に暴露した女性が語る「衝撃の顛末」』へ続く