こんな病気が日本にあったのか…嫁ぐ時は「棺おけを背負って」と言われるほど恐れられた「死の貝」
文庫化された「死の貝」
かつて山梨の農民らを悩ませた感染症「日本住血吸虫症」の歴史をたどる小林照幸さん(56)のノンフィクション「死の貝」が、新潮社から文庫で復刊された。1998年の単行本が絶版となった後、インターネット上で「感染症との闘いを伝える圧巻の作品」と再注目されていた。
「その地域に嫁ぐ時には『棺おけを背負って』と言われるほど恐れられた病。日本の医学者たちが、病原体発見から予防、治療法を世界に先駆けて作ったと知り、関心を持った」。大宅壮一ノンフィクション賞の受賞歴もあるベテランの著者、小林さんは振り返る。
日本住血吸虫症は、水田などで寄生虫の卵が孵化(ふか)し、大きさ1センチに満たない貝「ミヤイリガイ」に寄生する。寄生した幼虫が皮膚から侵入し、体内の栄養を吸い取って、繁殖を続ける。山梨県の甲府盆地では古来、農民を中心に悩まされ、江戸時代の文献にも記述があるという。
小林さんは大学生だった当時、患者の写真を見た。腹部が大きく膨れた人や、栄養を吸い取られた低身長の男性もいた。「こんな病気が日本にあったのか」。衝撃を受けて資料を集めた。現地を訪ね、治療法が不明だった感染症の克服に尽くした医師や地元の人々に取材を重ねた。
1881年に地域から原因解明を求める嘆願書が出され、1996年の「終息宣言」まで「医師、行政、地域住民の三位一体の努力があった」という。作中では、貝を殺す「殺貝(さつばい)剤」の研究やコンクリート化事業が進む前、水田に箸を沈め、小指の先ほどの貝をつまんで茶わんに集め、村の広場で焼却するなど農民らの取り組みも克明に記録した。
ミヤイリガイは水がないと生きられないため、山梨県では生産作物を米や麦から果樹へと転換した。「フルーツ王国になるきっかけにもなった」という。
「死の貝」は近年、ほかに新潮文庫に収められている新田次郎「八甲田山死の彷徨(ほうこう)」、吉村昭「羆嵐(くまあらし)」とともに、迫力あるノンフィクションとして見直された。小林さんは「克服の背景には日本人の勤勉さ、優しさが機能したヒューマニズムを感じた。世に語り継いでいきたい」と語る。