「この8年間プーチンは国民を洗脳してきた」...政府系メディアに乱入した女性が捜査官相手に吐いた反戦抗議の「納得の理由」
「NO WAR 戦争をやめろ、プロパガンダを信じるな」…ウクライナ戦争勃発後モスクワの政府系テレビ局のニュース番組に乱入し、反戦ポスターを掲げたロシア人女性、マリーナ・オフシャンニコワ。その日を境に彼女はロシア当局に徹底的に追い回され、近親者を含む国内多数派からの糾弾の対象となり、危険と隣り合わせの中ジャーナリズムの戦いに身を投じることになった。
ロシアを代表するテレビ局のニュースディレクターとして何不自由ない生活を送っていた彼女が、人生の全てを投げ出して抗議行動に走った理由は一体何だったのか。
長年政府系メディアでプロパガンダに加担せざるを得なかったオフシャンニコワが目の当たりにしてきたロシアメディアの「リアル」と、決死の国外脱出へ至るその後の戦いを、『2022年のモスクワで、反戦を訴える』(マリーナ・オフシャンニコワ著)より抜粋してお届けする。
『2022年のモスクワで、反戦を訴える』連載第3回
『「プロパガンダを信じるな」…ロシア政府系メディアに乱入して「プーチンの野望」を全国民に暴露した女性が語る「衝撃の顛末」』より続く
薄暗い路地で
弁護士と面会したいなら自分たちと一緒に別の場所に来るように、と言われた。言い争っても無駄だ。テレビセンターの裏口から出て警察車両に乗り込んだ。右手の窓越しにオスタンキノのテレビ塔がカラフルな照明を浴びていた。左手には高層ビル群が高くそびえていた。
「どこへ連れて行くんです?」と用心深く聞いた。同行者たちは黙っていた。クルマは暗い路地に入り、しばらくすると外部から見えないように高い塀で目隠しされた灰色の2階建ての建物のところでブレーキをかけた。正面の白い看板には赤い字で〈全ロシア・エキスポセンター警察署〉と書かれていた。
「この並木道は何度も歩いたけど、エキスポセンターの公園に警察署があるとは思ってもみなかった」わたしは言った。
建物に入った。当直の他は人っ子一人いなかった。
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「弁護士はどこ?」書類が山のように積んである小さい部屋を見まわしてきいた。答えはなかった。捜査官はドアをしっかり閉め、穏やかな声で、自分は過激派対策センターの者だと説明し始めた。
「これは取り調べですか?せめて息子に電話させてください。息子は心配しています。いつもなら、もうだいぶ前に家に着いている時刻ですから」
「これは取り調べじゃありません。友好的に話をしたいだけです」
友達に対するような微笑みを浮かべて過激派対策センターの男は言った。
男の問い
「ほら、何もメモしてないでしょう。なんであんなことをしたのか知りたいだけなんです。誰に頼まれたんです?」
「わたしの良心です。わたしは大人ですから決断はすべて自分で下します。もう一度言いますが、これはわたしの個人的な選択です。これ以上黙っていることはできません。この20年、プーチンはロシアの独立系メディアを全部潰しました。NTVの解体に始まってテレビ局ドーシチ、ラジオ局モスクワ・エコーを潰し、いまではロシアには反対派メディアは残っていません。
テレビ局はすべて国家の手の中です。マイダンの後、ウクライナはクレムリンの一番の敵になりました。国営メディアは8年間、あらゆる手立てを使ってウクライナ人を人でなし扱いして、ロシア人の間にウクライナ人への激しい憎悪をかきたてたのです。
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ウクライナとその住民について何か言う時には、いつも『ナショナリスト』『バンデラの追随者』『右派セクター支持者』『アゾフ大隊』という言葉を使い、独立国家の大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーをオンエアで『道化師』『コメディアン』『麻薬中毒者』呼ばわりしてきました。支配下に置くメディアの手を借りながら、黒を白と言いくるめるゲッベルスの手法を使って、クレムリンは国民を洗脳してきました。
大衆の意識を変えることを許したのは、この虚偽の情報なのです。夜も昼も絶え間ないプロパガンダの流れが、あらゆるチャンネルを通して大衆に注ぎ込まれています。何百万ものロシア人が、残酷な死刑執行人の集団になってしまったのも驚くことではありません」
早口に息つく間もなくまくし立てた。怒りがふつふつと心のなかで膨らんでいった。
欺瞞だらけのメディア
「わたし自身はもう10年もテレビを見ていません。わたしの同僚たちも同じです。クレムリンのプロパガンダを信じているのは、あまり教育を受けていない地方の人びとで、おもに一度も外国に行ったことのないお年寄りばかりです。ロシアに住む人の77パーセントは外国旅行用パスポートさえ持っていません。統計では、ヨーロッパやアメリカに行ったことのあるロシア国民はわずか5パーセントです。国民の大多数がプーチンを信じて、西側は敵ばかりだと考えたとしても驚くことではありません。あなたはヨーロッパに行ったことがありますか?」わたしは捜査官にきいた。
捜査官は黙って肩をすくめ、わたしの一方的なおしゃべりを聞いていた。
「8年前に第一チャンネルを辞めなかったのが悔やまれます。でも国際ニュース部で仕事をしていたのが救いでした。プロパガンダを書く必要もなく、CNNやスカイニュース、ロイター、APを見ていられたし、スカイプで政治評論家や学者や欧米の特派員と話ができましたから。しかし現実に起きているあらゆることと、わたしたちが報道で伝えていることの違いへの違和感は年々大きくなっていきました。
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何もかも捨てて仕事を辞めていく同僚を羨ましく思いました。わたしにはそんなことはできませんでした。大変な思いで離婚をし、2人の子供がいるし、建てかけの家もあるし、年老いた母もいる、クルマのローンもある、他にもたくさん問題を抱えていましたから。わたしは弱く、テレビ局を辞める強さがなかったのです。一週間働いて次の週は非番というニュース部門のシフトも好都合でした。子供を育て、旅行に行ったり、スポーツをしたり友人と会うには理想的でした。でも戦争の最初の日に、これは袋小路だ、とわかったのです」
すでに時計の針は朝の5時を指していた。窓の外は日の出前の静けさだ。
「疲れました。51条(黙秘権を認める憲法の条文)によれば自分に不利な証言はしなくていいはずです。席を外させてください」
『ロシア政府系メディアの生放送に「あなたはだまされている」と乱入した女性がロシア保安当局に受けた「尋問」…その衝撃の内容とは』へ続く