ニューカレドニアの暴動、背景に「ニッケル闘争」
【パリ】ニューカレドニアで先週、暴動が広がる前、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、この遠く離れた領土とそこに大量に埋蔵されているニッケルを、クリーンエネルギー移行のための原材料を確保し、電気自動車(EV)製造で中国に対抗するフランスの取り組みの中心に据えることを目指していた。
この計画は、フランスからの独立を目指し、同国に従うことを拒否している現地の強硬な政治運動に直面している。
暴動が発生したのは、ニューカレドニアの非先住民の投票権を拡大し、先住民カナクの影響力を低下させる内容の法案がフランスの議会で可決された後のことだった。独立支持派は、未加工ニッケルの輸出制限を撤廃し、欧州のEV用電池工場向けの出荷を優先するというフランスの提案にも抵抗している。
昨年にニューカレドニアを訪問したマクロン大統領は「ニッケルはニューカレドニアの財産だ」とする一方、「強調したいのは、われわれが大規模な再工業化の取り組みを進めている今、ニッケルはフランスと欧州にとって主要な戦略資源でもあるということだ」と述べていた。
3月にフランスが計画を発表すると、独立派の指導者たちはそれを非難した。独立派政党の創設メンバーの一人であるロナルド・フレール氏は、計画が「ニューカレドニアの資源の支配権を取り戻すための植民地主義的な取り決め」だと述べている。
週末にかけて続いた暴動では、6人が死亡、数百人が負傷した。フランスのジェラルド・ダルマナン内相は19日、ニューカレドニアの政庁所在地ヌメアから空港までの道路の安全を確保するため、警察官600人を配置したことを明らかにした。
この暴動は、インド洋や太平洋で海外領土を活用して中国の影響力に対抗するというフランスの計画にとって打撃となる。フランスはこの計画をインド太平洋戦略と呼んでいる。この広大な地域には、資源量が世界で最大級の鉱床が複数ある。中国企業はインドネシアのニッケル産業に重点的な投資を行い、同国をニッケルの最大生産国に変えると同時に、中国のEV工場向けの主要な供給元にした。
フランスの当局者は独立運動の影響力を弱め、ニューカレドニアを活用する計画で対応してきた。マクロン大統領は「独立に関する問題は何十年も前の問題だ。もし独立が意味するものがここに中国の拠点を設ける未来、ないし他の勢力に依存する未来を選ぶことならば、せいぜい頑張ってほしいとしか言いようがない」と述べた。
ニューカレドニアでは、独立の是非を問う住民投票が3回行われたが、3回とも独立反対派が勝利した。直近の2021年の住民投票では、独立支持の各政党が投票をボイコットした。これらの投票を通じて、ニューカレドニアの現状維持が決まった。ニューカレドニアは現在、広範な自治権と、ニッケル資源の管理権限を認められている。ニッケルは長年にわたり、ニューカレドニア経済に不可欠な活力源となってきた。
ニューカレドニアは、1次ニッケル(ニッケル鉱石と初期加工を経た金属ニッケルが含まれる)の生産量において世界3位を誇る。ニッケルは、世界の大半のEVの動力源となっているリチウムイオン電池を中心とした、クリーンエネルギー技術に不可欠な資源であるため、その需要は過去2年間で急増した。国際エネルギー機関(IEA)によれば、EV用電池向けのニッケル需要は、各国政府が消費者のEV購入を奨励する中で、2030年までに4倍以上に拡大するとみられている。
だが、ニューカレドニアのニッケル産業は現在、困難な状況にある。インドネシアでの生産急増とEV産業の落ち込みを受けてニッケル価格が急落しており、2023年初めの水準を40%近く下回っている。ニューカレドニアのエネルギーコストと労働コストは、インドネシアよりもはるかに高い。また、ニューカレドニアの鉱石のニッケル含有量は減少しつつある。このため、ニューカレドニアの三つのニッケル加工工場は全て赤字に陥っている。
こうした状況がニューカレドニアに暗い影を落としている。スイスの鉱業大手グレンコアが2月、採算の取れないニューカレドニア北部のニッケル鉱山と加工工場の稼働停止を決めたことで、状況はさらに悪化した。グレンコアは、この事業の売却先を探すとしている。
ニッケルは1853年にフランスがニューカレドニアを植民地化した直後に発見され、それ以来1世紀半にわたり、フランスとニューカレドニアとの関係の中心を成してきた。ニッケルはやがて、ニューカレドニア最大の輸出品となった。
フランスは、第2次世界大戦後に残った数少ない自国領の一つである、この貴重な太平洋諸島の支配を続けようと長年努めてきた。ニューカレドニア在住の人類学者でフランス国立開発研究所(IRD)の上級研究員ピエール・イブ・ルムール氏によると、1960年代後半のニッケルブームの際、政府はフランス人のニューカレドニア移住を奨励した。そこには、先住民カナクの影響力を弱める狙いもあったという。
「これは多数を占めるカナクの発言権を弱め、貴重なニッケル鉱床の支配を固めるための意図的な戦略だった」とルムール氏は指摘する。
こうした移住策が火種の一つとなってニューカレドニア全体で独立運動が広がり、1980年代には暴動に発展した。1990年代末には、独立派の指導者らが地元でのニッケル加工工場設立の促進につながる未加工ニッケルの輸出制限をフランスに認めさせることができた。
ニッケル産業は現在、ニューカレドニアの雇用の約4分の1を占めている。
未加工ニッケルの輸出は、マクロン政権が「ニッケル協定」と呼ぶニューカレドニア現地産業への投資計画を巡る摩擦の一因となっている。フランス政府のこの計画は、ニューカレドニアに拠出金を要求するほか、未加工ニッケルを欧州などの市場へ出荷できるようにするものだ。それによって、ニューカレドニアの加工工場に悪影響がもたらされるとの声が地元指導者から聞かれる。
このような背景がある中で、ニューカレドニアの投票権を拡大し、先住民の票が全体に占める割合を実質的に引き下げる方針を政府が決めたことで、抗議運動が起き、その後、暴動に発展した。
フランス農業開発研究国際協力センター(CIRAD)の研究員、ジャン・ミシェル・スーリソー氏は「ニッケル市場が経済環境全体を悪化させ、状況をよりデリケートで緊迫したものにしている」と指摘した。