朝ドラ『虎に翼』の快進撃が止まらない。奥深い脚本、寅子たち登場人物の性格設定、置かれた立場が迫真性を産む
登場人物の置かれた複雑な立場
朝ドラことNHK連続テレビ小説『虎に翼』の快進撃が続いている。吉田恵理香氏(36)が書く脚本の奥深さが大きな理由なのは説明するまでもない。
【写真】まさか、この2人が…相続争いは紛糾
脚本の深さは登場人物の性格設定、置かれた立場にも表れている。通り一辺ではない。その分、迫真性が生まれている。
主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)の明律大法学部の同級生・崔香淑(ハ・ヨンス)も置かれた立場は単純ではない。香淑は大戦の戦況が悪化した第28回(1938年)に母国の朝鮮へ帰ったが、第53回(1948年)から再登場している。司法省(現・法務省)での寅子の上司・汐見圭(平埜生成)の妻となっていた。
ところが香淑は寅子との再会を喜ばない。目すら合わそうとせず、寅子が「ヒャンちゃん」と本名で呼んだところ、「その名前で呼ばないで」と露骨に嫌がった。今は香子という日本名を名乗っているという。その後も心を開こうとしない。
香淑は本名を捨てただけでなく、明律大時代の過去も忘れたのだろか。いや、それは違う。第57回(1949年)にはっきりした。
巻き込むのを避けたい
汐見は最高裁判所家庭局長の多岐川幸四郎(滝藤賢一)に連れられて、轟法律事務所を訪れた。やはり明律大の同級生である弁護士・轟太一(戸塚純貴)、助手・山田よね(土居志央梨)がやっている。戦災孤児たちの拠り所だった。
汐見はよねと会うなり、「よねさん、あなたが・・・」と声を上げた。よねは「あん?」と相変わらず無愛想だったが、汐見はうれしそうだった。香淑が明律大時代を美しい思い出として汐見に語っているからにほかならない。寅子たちを嫌っているわけではないのだ。
では、どうして寅子たちを遠ざけようとしているのか。世間には朝鮮人への偏見があるからだ。それについては第54回(1948年)に多岐川がこう口にしている。
香淑について寅子が多岐川に対し、「私に出来ることはないのでしょうか?」と問うたところ、多岐川は「この国にしみついている香子ちゃんに対する偏見を佐田くんに糺す力はあるのか!」と一蹴した。簡単な話ではないのである。
朝鮮人と近しい日本人も偏見の目を向けられたという現実がある。悲しいことだが、香淑は寅子らまで自分の苦境に巻き込むのを避けたいのではないか。
もっとも、この朝ドラのテーマは男女差別や民族差別、貧富の差による差別などを禁じた憲法第14条の「法の下の平等」だ。このままで終わるはずがない。
大庭梅子の家庭の相続問題
第61回(1949年)から再登場した同級生・大庭梅子(平岩紙)も置かれた立場が複雑だった。この物語に梅子が帰ってきたのは夫で弁護士の徹男(飯田基祐)が亡くなり、遺産相続問題が浮上したから。寅子が東京家庭裁判所の特例判事補として調停を担当することになった。
(『虎に翼』/(c)NHK)
在学中から3人の息子がいた梅子の存在は寅子たちにとって実姉のようだった。梅子は家庭では徹男に虐げられていたものの、寅子たちにはやさしく接していた。
寅子の父親・猪爪直言(岡部たかし)が共亜事件で逮捕されたのに弁護士が見つからずに困っていた第20回(1935年)には、梅子が徹男に土下座して弁護を頼んだ。「お願いします」。冷酷な徹男はこれを一蹴した。それなのに自分の死の後始末が寅子に託されるのだから、皮肉なものである。
3人の息子と姑、愛人の要求はそれぞれ違っており、梅子は苦しむ。
しかも、信頼していた三男の光三郎(本田響矢)は徹男の愛人・元山すみれ(武田梨奈)といつの間にか交際しており、愕然とさせられた。第64回(1949年)に分かった。
新たな幸福を目指して
もっとも、梅子は悲しまず、それどころか高笑いを浮かべ、大庭家から去って行く。「ごきげんよう!」。相続権も放棄し、家から出て行った。
どうして梅子は強くなれたのか。それは同じ第64回の寅子によるラジオでのスピーチを聴いたことが背景にある。女性向け情報番組に出演した寅子は「私はご婦人方をかよわいとは思っていません」と力を込めたあと、憲法と民法の改正によって女性の境遇は変わったと説いた。
「やっと戦うことが出来る、報われる、誰かの犠牲にならずに済むようになった。女性たちが自ら幸せを掴み取ってほしいと思います」
梅子は自分も新たな幸福を掴み取らなくてはならないと考えたのだ。
よねと轟、寅子との再会
大庭家から梅子が出ていく際、よねが居合わせた。轟とともに梅子から相続問題の代理人を任されていたからだ。
(『虎に翼』/(c)NHK)
梅子が家族から離れるとき、よねはうれしそうに笑った。無論、揉め事を嘲笑したのではない。第35回(1941年)のよねの言葉を思い出す。
寅子が社会的地位を得るために佐田優三(仲野太賀)との結婚を決めたときだった。よねは「逃げ道を手に入れると人間弱くなるもんだぞ」と説いた。今度は梅子が退路を断ったから、よねは祝福する意味もあって笑ったのだ。
第56回(1949年)に寅子と再会したよねも置かれた立場と人間性は単純ではない。まず、誰よりも勉強熱心で、弱者救済という崇高な理念がありながら、弁護士資格はない。『ブラック・ジャック』を彷彿させる。
よねと寅子が再会したのは轟法律事務所。寅子から「(轟と)2人はここで弁護士を?」と問われたよねは「資格がないのに、どう弁護士になる」と冷たく答えた。2人は寅子が妊娠によって弁護士を辞めた第39回(1942年)から絶交している。
よねの本当の気持ち
よねは寅子の結婚や妊娠に腹を立てているわけではないだろう。よねは父親に売り飛ばされそうになった過去があり、天涯孤独の身だった。やっと寅子という同志が出来たと思ったら、自分は妊娠について相談されなかった。ショックを受けたのだ。
それは第60回(1949年)にはっきりした。よねは自分と寅子の関係を「ほんの一時、重なったこともあったが、所詮あたしたちは歩いている道が違う」と言い放つ。さらに「いつ、いなくなるか分からん奴の言葉は届かない」とも言った。
傷ついた寅子が去ったあと、2人の会話を陰で聞いていた轟が「やっとお前の気持ちを理解した」と言う。そして、こう続けた。
「佐田が去ったとき、おまえは心の底から傷ついた。だから怖いんだな、また関わるのが」
家族のいないよねは心を許した友人との別れを恐れている。
一筋縄ではいかない穂高重親
寅子の恩師で明律大教授の穂高重親(小林薫)は複雑極まりない。なにしろ腰痛の仮病まで使う人なのだから、一筋縄ではいかない。しかし、その本質がようやく見えてきた。先々のことを見据え、憎まれ役を買って出ている。
寅子が妊娠を隠して弁護士活動を続け、倒れてしまった直後の第39回(1942年)も憎まれた。穂高は寅子の勤務先だった雲野法律事務所に妊娠を明かし、寅子を半ば強引に辞職させてしまったのだから。
しかし、穂高は「弁護士の資格は持っているのだから、仕事への復帰はいつだってできる」と説くことも忘れなかった。穂高は女性が出産と育児を終えた後も、希望するなら働くべきだと考えていたのだ。
第49回(1947年)と同50回(同)での穂高はもっと強引だった。司法省入りしていた寅子に対し、家庭教師に転職することを勧める。
「この道に君を引きずり込み、不幸にしてしまったのは私だ」
寅子は憤怒する。当然だ。
法曹界の希望の光に
「先生は何も分かっていらっしゃらない」
もっとも、すべて穂高の芝居に違いない。この時点まで寅子は「謙虚になった」「大人しくなった」と言われていた。それでは寅子ではなくなってしまうと考えたのだろう。
穂高の真意の一端が明らかになったのは第56回(1949年)。寅子に対し東京家裁判事補の辞令を渡される直前、最高裁判所人事課長の桂場等一郎(松山ケンイチ)と最高裁長官・星朋彦(平田満)の間で、こんなやり取りがあった。
「長官、彼女が例の・・・」
「穂高先生の希望の光だね」
寅子は何のことやら分からず、ポカンとしていた。穂高は寅子が法曹界を変えると信じている。光なのだ。
文責◎高堀冬彦(放送コラムニスト)