昭和はヤバい時代だった…?63歳大企業社員がこれほど「不適切な働き方」でも同じ会社で40年勤められたワケ
1000万円あった年収は最終的には70%近くカットされ、家では妻に頭が上がらない……。定年後、再雇用契約で働く63歳・男性会社員の酒井さん(仮名、以下同)を紹介した記事はおかげさまで大きな反響があり、読者の方からは「共感」のコメントが多数寄せられた(参考記事:定年前は「年収1000万円」あったけど…72歳まで家のローンを返すはめになった63歳大企業社員の後悔)。
そんな酒井さんは、かつては「昭和の企業戦士」としてモーレツに働いていたという。令和の時代からすると「不適切」にも思える当時の「働き方のリアル」について、赤裸々に語ってもらった。
聞き手:佐藤大輝(33歳・逃げ切れない世代)
同じ会社で40年間も働けた理由
――同じ会社で40年間、頑張り続けることができた理由を聞かせてください。
生活のため家族のためというのが一番の理由ですが、私が働いていたほとんどの期間、社会全体に「転職」という空気感がなかったんです。新卒入社した会社に骨をうずめるのが常識でした。ウチの会社だと、3年以内の離職率は5%も届いていなかったんじゃないかな? 純血の社員が基本で、中途入社組はほとんどいなかった。転職することがキャリアアップではなく、むしろ「負け組」みたいに扱われていたんです。だから、転職のイメージがまったく湧かなかったんですよね。
――今の時代とは全然違うんですね。
たまに良い話も聞こえてきましたけどね。ウチの会社(食品メーカー)から外資の生命保険に転職したら、年収が50万円くらい上がったぞ、みたいな。
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だけど今の時代みたいに転職サイトがあるわけでも、なんならスマホすらない。人から人への噂話程度の情報なので、他社の昇給や賞与、残業時間の実態はわからない。だったら先輩たちの姿、いわゆる「レール」の見えている、今の会社にいた方が安全かなって。
新しい環境に飛び込む「勇気」がなかったことも否定しません。誰もやってないから、やっぱり恐かったんですよ。そもそも朝から晩まで働いていたので、それどころじゃない。残業は月平均で60時間くらい、多いときは80時間オーバー。もちろんと言うか、残業代は出ません。事務所で徹夜することもありました。私の同僚は「もし俺たちが今の時代で働いてたら、2000万円以上は残業代が貰えてるぞ」なんて野暮な計算をしてました。
――今の時代は恵まれてると思いますか?
労働時間的には恵まれてるでしょうね。ただ、精神的にはちょっと辛いかも……。私たちの時代は「労働時間」って概念がないんですよ。何時間かけてもいいから、仕事を完遂させればそれでオッケー。だけど今の子は「この時間までに仕事を終わらせてください」「時間内で結果を出してください」みたいな縛りがある。仕事へのプレッシャーは、今の時代の方が大変なんじゃないかな。
「働き方」はこう変化した
――どのあたりで「働き方」って変化したんですかね?
バブル崩壊は大きな分岐点でしたけど、たぶんその前後くらいから「過労死」がクローズアップされるようになったんです。だんだんと社会全体で労働時間(残業時間)を意識するように変わってきて、だけどこの時はまだ「目標」くらいの感覚だった。必ずやらなくてはならないと徹底するようになったのは、10年くらい前からだったと記憶してます。
――時代って変わるんですね。
ビックリするくらい変化しますよ。10年後や20年後なんて、企業単位でも国家単位でも、どうなるかわからない。雪印も山一證券も、まさか潰れるなんて誰も思わなかった。だからこそ、リスクを背負って他社へ転職するより、今の会社にいた方がローリスクだと考えていた部分はあります。私の働いていた会社は東証一部上場企業だったので、いざという時は、転職の潰しが効くと言いますか……。
とはいえ日々の生活で精一杯で、それどころじゃなかったんですけどね。「やばい、山一證券が潰れた」「でも目の前の仕事に集中しなきゃ」「通勤片道1時間はキツイな」「長期休暇は家族サービスしないと嫁さんに怒られるぞ」「子供たちの塾代どうしよう」みたいな感じで、バタバタと自転車操業している間に、40年間が過ぎていました。
ヤバい時代に支えてくれた「戦友」たち
――令和と昭和で、他にも違いってありましたか?
昭和の時代はね、会社員の中に「鬱」という概念がなかったと言ってもいいかもしれません。少なくとも私の周りでは「元気がない」で処理されてましたね。
私の同期社員の話なんですけど、会社の最寄り駅に近づくと吐き気を催すようになり、毎朝駅のトイレで吐いてたそうなんです。それで、限界のときは会社に「休みます」って電話してくるんですけど……だらしない、根性がない、気合がない、やる気がない。社内では散々に言われてました。今の時代なら高確率で「鬱」って診断されるじゃないですか。もしかしたら労災だったかもしれない。その同期は最終的には辞めていきましたが、もし時代が違っていたら結果は変わっていたかもしれません。
――ヤバイ時代ですね。
もちろん体調不良に対して、みんな心配はしてるんですよ。だけど、それと仕事の責任感は別物として扱われました。実は私自身、今振り返ると30歳くらいの頃、鬱症状が出ていたと思います。仕事の人間関係とか、スピード感とか、責任などで疲れちゃって……。ずっと暗い顔で下を向いてたらしく、職場の同僚から心配されてました。家の中でもぼーっと過ごしてたそうです。
――そんな状態でも働き続けたんですね。
仲間に恵まれたので、何とか踏ん張ることができました。職場の同僚で3人くらい、心の底から悩みを打ち明けられる「戦友」がいます。彼らが、支えてくれた。飲みの場は愚痴の場でした。お互い若い頃の苦労を知っているので、今でも関係は良好です。つい先日「酒井のおかげで無事、定年を迎えることができました。ありがとう」と書かれたメッセージが届いた時は、本当に嬉しかった。
妻にも感謝です。家を守ってくれたので。ただし仕事ばかりに力を注いだ結果、妻には頭が上がらなくなりましたが……。
――とても勉強になりました。
後編記事〈「もっと定年後を考えとけばよかった…」再雇用で働く63歳大企業社員がいま後悔する「人生を会社に捧げたツケ」〉では引き続き酒井さんに、長いサラリーマンライフを振り返った時、いったいどのような「想い」を抱いてるのか、疑問をぶつけます。