弟・DAIGOはもういない。いつか両親もいなくなる。50歳で結婚、漫画家・影木栄貴。ある夜突然、とてつもない寂しさに号泣。44歳で婚活を決意した
国勢調査によると、日本人の生涯未婚率は2020年で男性約28%、女性で約18%。この「生涯未婚率」の基準とされているのが《50歳時の未婚率》です。そんな境界線の50歳で結婚を決めたのが、タレントDAIGOさんの姉で、内閣総理大臣の故竹下登氏の孫として知られる人気漫画家・影木栄貴さん。
結婚は本当に必要なのか?全力で日々頑張り楽しんでいる女性が一度ならず何度も考える疑問に、影木さんが出した答えとは。50歳にして結婚、おひとり様をやめるまでの道のりを赤裸々に書いた初エッセイ本『50婚 影木、おひとり様やめるってよ』から、弟・DAIGOさんとの関係と、影木さんに婚活を決意させたきっかけを紹介します。
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【漫画】「じゃ、つきあう?」旦那さんとの出会いは…
DAIGOロス
私が一人暮らしをしていたり、祖母の家に住んでいたりしたころ、DAIGO はしょっちゅう私の部屋に遊びに来ていました。まだDAIGOがブレイクする前のことで、時間はあるけどお金はないっていうとき。
何をするってわけでもなく、ゴロゴロしたり、ゲームをしたり、話を聞いてくれたり。私は耳かきが大好きで、「1万円払うから耳かきさせてくれ」とDAIGOにお願いして、《耳かきバイト》という名のおこづかいをあげたりしたものです(笑)。
DAIGOの耳垢はカサカサタイプでたくさん溜まっていて、本当に素晴らしい耳だったんですよ! 私はそれが楽しくてたまらなくて、奥まで攻めようとするから痛かったみたい。後々、ミュージシャンにとって耳は大事だからと、耳かきはやらせてもらえなくなりました(泣)。
あとは、DAIGOも私と同じく夜行性だったので、「焼肉行かない?」「寿司行かない?」「TSUTAYA行かない?」という誘いの電話もしょっちゅうかかってきて、「いいよ」と言うと車で迎えに来てくれる。
食事は全部私のおごりだし、TSUTAYAに行くと「お姉ちゃん、俺これ」ってCDを持ってくるから買ってあげる。
どこに行くにも私は財布係だったけど、夜中の寂しい時間帯に声をかけてくれる存在がいるのは、ちょっと救いだった気がします。少なくとも私にとっては、母と違った角度から精神的に支えてくれた存在だと思っています。ウサギのルビたんが虹の橋を渡った早朝、動物病院に駆けつけてくれたのもDAIGOでした。
ちなみに、私も金銭面だけではなく、DAIGOを支えていました。
DAIGOが音楽を始めたころ、DAIGOが自分で書いたという歌詞を見てみると、「頑張ろう」「恋をしよう」「夢を目指そう」などというテーマの大渋滞(笑)。「歌詞っていうのはね、起承転結が必要で、メッセージは1曲に一つにしなさい」と一から教えたのは、今となっては懐かしい思い出。
DAIGO☆STARDUSTとしてデビューが決まったときは、共に喜んだものです。そしてBREAKERZとして再デビューしたDAIGOを私の代わりにテレビ出演させて、ブレイクのきっかけを作ったのはご存知のとおり。
私がルームシェアをしていたときは、さすがにその家に来ることはあまりなかったけど、よく長電話をしていました。その時期、東日本大震災が起こってふさぎ込んでいた私が元気になったのは、DAIGOのおかげもあったかな。
震災後、私は余震のせいでずっと酔っているような状態になっていたのと、原発のことであることないこと噂が飛び交っていたので、怖くて家から出られませんでした。そんな時期、DAIGOが友達を連れて様子を見に来てくれたんです。
ちょうどそのとき地震が起こったんだけど、DAIGOは「お! 余震だ。……よし収まった! 大丈夫だよ〜」といつもと変わらない様子で励ましてくれて。
ちょこちょこ雑談電話もくれたり、彼の明るさはちょっとだけ私の日常を取り戻してくれました。
実家に戻ってからは、DAIGOはもう忙しくなっていて、家にいたりいなかったりしたけど、たまに帰ってきては「『あまちゃん』一緒に見ようぜ」と言われて深夜に一緒に見たり、「お姉ちゃん、お茶飲みたいんだけど」と言うDAIGOにお茶を入れてあげたりしていました。
そういえば、そのころDAIGOはめちゃくちゃ甘やかされていました(笑)。
両親は、朝ごはんと一緒にサプリとお茶を用意しておいてあげたり、みかんの皮をむいておいてあげたり、朝何度も起こしてあげたり。まあDAIGOがすごく忙しくなっていたからなんですけど。
でも、DAIGOが元気にテレビに出ているのを見るのが両親の生きがいなんだなと思ったので、そっとしておきましたけどね。
そんなある日、DAIGOは北川景子さんと出会います。連絡先を交換した日、DAIGOがウキウキして帰ってきたのは今でも覚えている(笑)。
景子ちゃんと付き合うようになると、DAIGOは家にも連れてくるようになりました。北川景子が家に来るって、そりゃあ私も舞い上がりますよ(笑)。初めて連れてきた日に、私は「末永く弟をよろしくお願いします」って景子ちゃんに伝えたけど、まさか現実になるなんてそのときは思わなかったなあ。
景子ちゃんとは意外に気が合うところがあって、例えば家族の誕生日を大事にするところとか、占い好きなところとか、実はオタク気質なところとか。
だから、DAIGOが景子ちゃんと付き合うようになってからは、以前より家族のバースデーセレモニーをちゃんとするようになったかな。景子ちゃんが来てくれたことで、うちの家族の仲もますますよくなっていったような気がします。
そんなわけでDAIGOと景子ちゃんが結婚して、家族になってくれたのは本当に嬉しかった。しかも景子ちゃんは、私がBL作家だと知って、BLを勉強してくれたらしいよ。優しい。
しかし、DAIGOが家を出て、景子ちゃんと一緒に暮らすようになって数ヶ月。ある夜突然、とてつもない寂しさが襲ってきて、私は部屋で号泣しました。
もう夜中に一緒に出かけることもない。長電話もできない。この不安を聞いてもらうこともできない。いつも一緒にいた人がいない。
私は完全にDAIGOロスに陥っていました。
『50婚 影木、おひとり様やめるってよ』(著:影木栄貴/KADOKAWA)
親は先にいなくなる
DAIGOが家を出た寂しさとしばらく戦っていた私ですが、ある現実にも気づきます。
いつか両親もいなくなる。
実家に戻ってからは、あまりの居心地のよさに「実家最高! もう絶対出ない!」と踊り狂っていました。確かにこのまま両親がいてくれたら、一生このまま一人で生きていってもよかった。でも、普通に考えたら順番的に両親は先にいなくなるのです。
父は何度も病に倒れ、余命数年みたいなところから10年以上生きているスーパー人間ですけど、不老不死なんてことはあり得ない。今、料理や洗濯などを全部やって私を支えてくれている(←)母だって、永遠に私のお世話をしてくれるわけじゃない。
この幸せはいつまでも続くものじゃないと、DAIGOがいなくなったことによって初めて体感的にわかったんです。
自律神経で倒れたときは死ぬほど苦しかったけど、両親がそばにいてくれたから救われました。あのとき仮に一人だったら……というのは、今考えてもゾッとします。
若くて元気なうちは想像できないかもしれないけど、ある程度の年齢になったら、それなりに体調不良は起こります。元気なまま年をとれたらいいけど、元気なまま年をとるシミュレーションをしてはいけないと思うんです。
私は体調不良になってしまったので、このまま両親がいなくなったら、きっと不安になってますます体調は悪化する。そして一人暮らしが大の苦手。
そんな私だからこそ、人生を共にするパートナーの存在は必要不可欠だということに、ようやく気づいたのです。
体調不良、DAIGOの結婚、親がいなくなったら一人ぼっち。この3つの要因は、44歳の私を完全に婚活の道へとシフトさせることになるのです。
※本稿は、『50婚 影木、おひとり様やめるってよ』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。