東京の下町で「なんてことない路地」を写した写真を消せない理由
スマホの画像フォルダを見返すたびに、思わずスクロールの手を止めてじっと見入ってしまう写真がある。やや上方のアングルから、なんてことない住宅街の裏路地を撮った写真だ。 東京の下町にありがちな狭くて入り組んだ路地には何軒かのアパートがお互いを押しのけ合うように並んでいて、画像の左端には、猫よけのペットボトルに囲まれた電信柱と通行人が見切れている。思い出深いとか情緒があるとか、決してそういう類の写真ではないのだけれど、私はその写真をどうしても消去することができない。
というのもそれは、数年前に引っ越しを検討していた物件の窓から撮った写真なのだ。不動産サイトで当たりをつけ内見した、いくつかの賃貸マンションのなかにその物件はあった。もう1件のマンションと最後まで迷い、帰宅してから見比べるために室内の写真を何枚か撮ったのだが、ついでにベランダからの景観も撮っておくか、と軽い気持ちで残しておいたのがその写真だった。
結局私は迷った末にもう1件のほうのマンションに住むことを決めた。すると、決めた途端に、“もしかしたら自分が住むかもしれなかった家”から見た、“もしかしたら自分が日常的に見るはずだったかもしれない景色”が、ふしぎな存在感をともなって私の前に立ち上がってきた。もう二度と入らないであろう部屋から撮った道路の写真が手元にあるのはなんかおもしろい気がするな、と私は思い、その写真に妙な愛着を覚え、スマホのフォルダから消せなくなって4年が 経(た) つ。
写真はイメージです
そんなふうに、他人から見たらなんら面白みのない写真に愛着が湧くということはときどきある。先日SNSを見ていたら、何年か前に亡くなった身内が実家周辺のGoogleマップのストリートビューに偶然にも写り込んでいた、という人の投稿が目に止まった。
たしかにそういうことはあるだろうなと好奇心が湧いて、数年前までひとり暮らしをしていた家の周辺をなんの気なしにGoogleマップで見てみる。マップ上をあてもなく移動していて、前の家から200メートルほど進んだ路地の隅でいちごちゃんの姿を見つけたとき、私は思わず声を上げた。
いちごちゃんというのは以前住んでいたその街で、近隣住民たちに 可愛(かわい) がられていた地域猫だ。商店街の十字路に設置されたトタン製のベンチにいちごちゃんはよく我が物顔で寝そべっていて、ベンチの向かいにある 煙草(たばこ) 屋さんと八百屋さんの店主が代わる代わる餌をやるものだから、飼い猫のように立派に太っていた。毛並みもよいのでてっきりまだ若い猫かと思っていたら、こいつはもう25歳になるよ、と煙草屋さんの店主が言うのでほんとうに驚いたものだった。
私が引っ越しでその街を離れることを決めたのと時を同じくして、いちごちゃんはあまり近所に姿を見せなくなってしまった。引っ越してからもときどき、前に住んでいた街に用事があると、いちごちゃんがよくいた十字路まで足を延ばすようにしていたのだけれど、それ以来彼女を見かけることは一度もなかった。
ずいぶん年老いた猫だったわけだし、もしかしたら死んでしまったのかもしれないなと私は内心で思っていた。だから、Googleマップのストリートビュー上にいちごちゃんの姿を見つけ、その日付がつい最近のものであることを確認したとき、驚きとうれしさのあまり声を上げずにはいられなかったのだ。煙草屋さんの話していた年齢がもしもほんとうなら、いちごちゃんはことしで27歳になる。
そういえば、じつは冒頭の写真の話には続きがある。ある晩、都心で取材の仕事があった帰りに、初めて入る飲み屋でお酒を飲んでいたら、カウンター席に座ったお客さん何人かと世間話をする流れになった。
そのなかの一人の方が「いま、私は○○に住んでいるんですが」と言うので、自分がそのふたつ隣の駅に住んでいることを伝えると、偶然ですね、と話が盛り上がる。そういえば引っ越しを検討していたとき、まさに○○駅エリアも候補だったんですよ、××通りの商店街のあたりの家とすごく迷って――と私が伝えると、相手の方は「えっ」と短い叫び声を上げた。
よくよく話を聞けば、なんと彼女は、私が引っ越しを最後まで検討していたあのマンションの真隣のマンションに住んでいると言う。そんな偶然があるのかと私も心底驚き、スマホのフォルダを遡って内見のときに撮った写真を見せると、その方は「うわ、うちの窓から見える景色とほぼ完全一致してますよこれ」と手を 叩(たた) いて笑った。
その後、その方とは年が近かったこともあって親しくなった。もう二度と見られない景色だと思うから、内見時に撮ったこの写真に妙な愛着を感じているんです、と話したら面白がってくれて、よかったら私の部屋の窓からの景色を見ていきますか?と提案してくれたのだけれど、ありがたいと思いつつもそれは断ってしまった。身勝手だけれど、あの写真に写っている路地をもう一度肉眼で見てしまうのは、なにか違うような気がしたのだった。
でも、こっちのあたりもすごくいいエリアですよ、と見せてもらった写真に写っていた、その方の住む家の近所の喫茶店はたしかにすごくいい雰囲気で、彼女と私がその店で出会う未来もあったのかもしれない、と私はすこしだけ想像した。(エッセイスト 生湯葉シホ)