「西方城跡」国の史跡へ 「大谷の奇岩群」は重文景観に
栃木県栃木市の「西方城跡」の山頂部=白鳥昇一氏撮影、同市教育委員会提供
栃木県栃木市の「西方城跡」が国の史跡に指定されることになった。国の文化審議会が6月24日、文部科学相に答申した。県内の国史跡指定は39件目。また、宇都宮市の「大谷の奇岩群と採石産業の文化的景観」も、県内初となる重要文化的景観にするよう答申された。
宇都宮市の「大谷の奇岩群と採石産業の文化的景観」=同市提供
西方城は、宇都宮氏の一族だった西方氏が15世紀後半に築いた山城。宇都宮氏の廃絶後は結城秀康領となり、関ケ原の戦い後は西方藩1万5千石の本城として藤田信吉が領有したが、1615年に西方藩が廃藩となると同時に廃城となった。
城主の交代や北関東の政治的緊張と連動して山城の規模や構造も大きく変遷し、当該期の城館の形態と変遷や築城技術を知る上で重要と評価された。
大川秀子市長は「合併後、初めての国指定となり、大変喜ばしい。これまで以上に保存と活用に尽力していく」とコメントした。
大谷の奇岩群と採石産業の文化的景観は、浸食や採石によって形成された奇岩群や観光利用が進む採石場跡、寺社など大谷石を中心に形成された「自然と石をほる人々の営みが共生する景観」。近世に農家の副業として始められた採石を近代以降に地場産業とし、発展してきたことを伝えている。(上嶋紀雄)