69歳八ヶ岳でひとり暮らし、人間関係が苦手でADHDの診断も。少ない年金でも幸せに暮らすコツとは?
【写真】外で薪を割るウリウリばあちゃん
八ヶ岳の一軒家に住み、家も食べ物も洋服も手作りで楽しく日々を過ごすウリウリばあちゃんはただいま69歳。ユーチューバーとしても活躍中です。離れて暮らす夫と息子との関係や、豊かに暮らすコツを語ります(構成=篠藤ゆり 撮影=藤澤靖子)
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故郷を思い機織りを始める
私はもともと、山口県の都市部で育った「街っ子」。19歳の時、「私は一人で生きていくんだ!」と一念発起して、上京しました。でも知り合いもいないし、寂しくてねぇ。食べるためにいろいろなバイトをしたけれど、事務仕事はまったくできないし、人間関係も苦手。
当時はADHDという概念がなかったから、「え~っ、私ってこんなにできないんだ」とショックを受けました。でも、そこでめげない。すぐに、私は《一般的》な生き方を目指せなくても、できることはあると思ったの。
器用ではないけれど、クリエイティブなことは好きだったので、縁あって映画会社の衣装部で働くことになりました。その頃、日活ロマンポルノの助監督をやっていた人と知り合って、おつきあいするようになって。ハイ、息子の父親です!
衣装の仕事は楽しかったけれど、映画は大勢の人間がかかわる仕事だから、やっぱり私には向いていなかった。そんな時ふっと頭に浮かんだのが、母の故郷の風景だったんです。
母の実家は中国山地の山奥にある茅葺きの家で、目の前を小川が流れていて、冬は雪で閉ざされる。囲炉裏や五右衛門風呂のある家で機織りをしながら暮らしている自分の姿を想像して、わぁ、かっこいいなと思って。
彼に「田舎で機織りしたい」と言ったら、「富士急沿線のあたりに行けばそういう家が見つかるんじゃない?」とアドバイスをくれました。
それですぐに電車で大月まで行き、たまたま見つけた不動産屋さんで、「囲炉裏と五右衛門風呂がある茅葺きの家、ありませんか?」と聞いたら、あったのよ! それで、すぐに引っ越しました。すごいボロ家だったので、20代の女の子がよく一人で住めるね、と言われたけど。
そのうち子どもができたから、東京の助産院で産むことにしたの。だからその時の2ヵ月くらいが、夫と暮らした最初で最後の時期。すぐに大月に戻って、一人で子育てを始めました。
夫とは正式に結婚はしたけど、一緒に暮らそうとか、別々に暮らそうとか話し合ったわけでもなく、なりゆきで別々に生活するようになったというか。きっと、一緒に暮らしていたら別れていたと思う。
でもね、仲はいいのよ。今住んでいる家も、彼と一緒に考えて建てたものです。節約のため枠組みだけ大工さんに建ててもらって、二人で壁を塗ったりして。彼のほうが多くお金を出してくれました。その後夫は映画会社を辞めてフリーの監督になったんですが、あまり売れなくて。(笑)
そんな両親を見て育ったからか、息子は堅実で、石橋を叩いて渡るタイプ。大学卒業後は大学院に進んで研究者になるのかなぁと思っていたら、さっさと企業に就職しました。家族のなかで、一人だけ異色よね。両親を反面教師にしたのかな。
夫と会うのは年に数回。私が東京で用がある時には彼の家に泊まるし、コロナ前は年に1回、一緒に東南アジアなどに旅行にも行っていました。お正月は家族揃ってこの山の家で過ごすのが恒例。そのくらいの距離が、ちょうどいいみたいです。ちなみに夫も息子も料理が上手だから、三人一緒の時はわが家の男たちが料理をしてくれます。
63歳でユーチューブに出合う
子育てが一段落した47歳から63歳までの約16年間、小淵沢の体験工房で染色を教えていました。原則週4日だけど、観光客が多い季節は土日も夏休みも行かなくちゃいけない。すると、家で梅干しを漬ける暇もなくなっちゃうんです。
現金収入になるから助かっていたけれど、60代半ばになって体力も続かなくなるし、そろそろいいかな、と。そんな時、「そうだ、ユーチューバーになろう!」って思いついたわけです。
こう見えて、30年くらい前からパソコンのMacは使っていたの。だからユーチューブもできるんじゃないかなと思って、2018年1月に、高かったけれど思い切ってiPhoneを購入しました。
シュシュシュッて撮って編集してアップしたところ、それを見た知り合いから「喋り方も下手だし、ちゃんと撮れてないから、なんのことだかわからない」と言われてしまって。
そこで編集の仕方などをスマホで調べて、「こういうふうにするんだぁ」と勉強したんです。ユーチューバーの集まりにも出かけました。さすがに私みたいな年齢の人はいなかった(笑)。それほど役には立たなかったけど、行ったことで「頑張ろう!」と思えたんです。
手作り《ユーチューブ大明神》目指せ登録者数10万人!
お金を貯めて、ビデオカメラや三脚などの機材を少しずつ増やして、自分なりに研究しました。そんなふうにして、「ウリウリばあちゃんの楽しい田舎暮らし」というタイトルで、日々の暮らしを発信するようになったわけです。
配信を始めて1年たった頃、ようやく1000人の登録者を獲得。その後、水原希子さんがテレビ番組で「気になる人」として紹介してくださったおかげで、一夜にして2000人のチャンネル登録者をゲットしました。そして23年、ついに3万人に到達。とはいえ、まだまだユーチューバーとしての収入だけでは生活できないのですけどね。
でも22年、ユーチューブで賞をいただいたの! それが話題になり、23年に本も出すことができました。24年には別の出版社から2冊目の刊行が決まっているので、毎日忙しいけれどすごく楽しい。
もともと文章を書くのも好きで、実は大月で子育てをしていた頃、夜は暇だからチラシの裏にずーっと小説を書いていたんです。新人賞に応募したりしていたけど、ダメでした。巡り巡って、この歳になって本を出せるなんて! ホント、人生、何が起きるかわからないわね。
先の心配より《今》を生きる
振り返ってみると、私はいつも好きなことだけをやってきました。お金はないけど、先のことを不安に思っても仕方がないから、その時々で自分にできることを一生懸命やるしかない。
石にかじりついても、どれだけ恥ずかしい思いをしても貪欲に生きていくつもりです。どうにもならなくなったら、行政に頼ります。一番大切なのは、人に迷惑をかけず「楽しく生きる」こと。先々のことを心配しすぎると、心を病みかねないでしょう。たった一回の人生、それじゃあもったいない!
私は今も、やりたいことがいろいろあります。たとえばパントマイム。映画の仕事をしている時、あるスタッフの方から「絶対向いているよ」と言われて。その頃は機織りの夢があったから聞き流したけれど、今頃になってその言葉が蘇ったんです。
いつかパントマイムをユーチューブの動画で披露できればいいなあと思います。ステップも踏めたほうが楽しそうだから、今一生懸命ダンスの映像を見ながら練習しているんです。
70歳が目の前だけど、まだまだ私には夢がいっぱいある。いつか夢は叶うと思うから、想像するだけでウキウキします。さぁ、今日も楽しくやるぞー!