「電気回路のなかに宇宙を創造する」とは一体…日本から登場した「意外なアプローチ」が世界の注目を集めるワケ
かつて、「永遠に思えるブラックホールもやがて質量を失い、最後には蒸発するだろう」とホーキングは予言し、物理学界に衝撃を走らせた。ただ、その観測は長いあいだ困難を極めていた。その新たな可能性を切り拓くのが、「人工ブラックホール」を用いた検証である。
本連載では、その研究の最前線で世界的な注目を集める物理学者の2人、片山春菜氏(広島大学助教)と畠中憲之氏(広島大学教授)にその意義を解説してもらおう。
photo by iStock
日本で提唱された「画期的な研究手法」
電気回路上で擬似的なブラックホールを実現するためには、どうしたらいいでしょうか。
擬似的にブラックホールを作るときのポイントは、「場所によって流速が変わるような滝の流れ」を用意することでした。電気回路では、水を流すわけにはいきません。場所によって変わる流れを作るのは、電気回路を伝わる「電磁波」です。電気回路中を電磁波がどのように伝わるのでしょうか。
電気回路の基本構造は、電気の世界を表すコンデンサCと磁気の世界を表すコイルLを組み合わせたLC回路です(下図)。
LC回路
LC回路は、コイルLとコンデンサCで構成されます。電気回路の基本構造です。「コンデンサ」は電荷を蓄える働きを持ち、その蓄えやすさを表すパラメータは「静電容量」と呼ばれます。一方、「コイル」は電流の変化を嫌う性格をしています。
どのくらい電流の変化に抵抗するかを表すパラメータが「インダクタンス」です。LC回路では、コンデンサで蓄えられた電子が対極側に移動する時に電流が流れます。全ての電子が対極側に移動した後に、コイルは電流を余計に流します。これにより、帯電の極性が反対になります。この現象が繰り返されます。
これを「電気振動」といいます。
電気回路から「宇宙の謎」に迫る
基本回路をつなぎ合わせた回路は「伝送線路」と呼ばれ、電気振動は、電磁波という「波」としてその中を一方向に伝わっていきます(下図)。
つまり、図中の矢印のように伝送線路中を電場が変化し、それに伴って磁場が変化するので、電磁波が伝送線路内を伝播していくことになります。その速度はコイルのインダクタンスL、コンデンサの静電容量C、基本構造の長さaによって決められます。
伝送線路
ところで、電気回路における擬似的なブラックホールでは、流路におけるブラックホールと少しだけ状況が違っています。電磁波が鯉の役割、参照波が水流の役割を果たし、「川の流速」が空間的に変わるのではなく一定で、「鯉の泳ぐ能力」が空間的に変化します(下図)。
回路擬似的ブラックホール
回路擬似的ブラックホール
空間依存性が「川」と「鯉」で逆になり、オリジナルのアイデアと立場が変わることに注意してください。鯉に対応する回路中を伝播する電磁波の速度は、回路を特徴付けるインダクタンスLと静電容量Cで決まります。したがって、このどちらかが空間的に変われば、電磁波(鯉)が空間的に伝播する能力が変化することになります。
電気回路では、ブラックホール形成には定常流が必要でした。その役割を「ソリトン」と呼ばれる安定に伝播する波を用いました(下図)。
ソリトン
ソリトン
波を伝える媒質には「非線形性」と「分散性」があります。非線形性は、波を突っ立たせます。非線形性が大きい場合、葛飾北斎の大波の絵のように、突っ立ちすぎて崩れてしまうことになります。
一方、分散効果は波を広げます。通常、どちらかの効果だけが強いと、波はすぐに崩れてしまいます。しかし、ちょうど二つの効果が釣り合ったとき、波は崩れることなくソリトンと呼ばれる安定に伝播する波が形成されます。
したがって、「鯉の滝登り」モデルにおいて、ソリトンが一定で流れる水流に対応し、電磁波が鯉の役割を担います。そして、ソリトンはまた同時にその存在によって、場所によって鯉が泳げる能力を変化させ、鯉が自由に泳げなくなる領域ができます。これが、私たちの提案した擬似的ブラックホールです。
「万物の理論」への大きな一歩
電気回路を用いたホーキング輻射の研究はまだ産声をあげたばかりです。まだ確立していかなければならない概念や技術がたくさんあります。
しかし、超伝導デバイスを用いた量子コンピュータ開発の急速な進展をみると、ホーキング輻射が近い将来観測されるという期待は大きいです。
ホーキング輻射が観測されれば、そこで得られた知見を量子宇宙論へフィードバックし、「万物の理論」構築への大きな一歩となるに違いありません。なにより今回我々は、宇宙で起きる現象を身近にする方法を手に入れました。
この方法を用いることで、宇宙で起きる未解明な現象を検証できます。たとえば、初期宇宙では、宇宙インフレーションとして知られているような急激な宇宙膨張があったとされています。その膨張の様子を私たちの電気回路で再現することはすでに手中に入っています。
その他、ブラックホールを入口とすると出口であるホワイトホールが自然と形成される電気回路では、それらが結合したワームホールが構成され、それを通した時間旅行なども考えられるかもしれません。
photo by iStock
今後、電気回路を舞台にした「回路量子重力理論」の構築が目下の目標です。そして、そこで開発された技術は、最先端量子情報技術として社会に還元できればと願っています。
空間を表す「宇」と時間を表す「宙」が「宇宙」となったように、「量子」と「宇宙」があわさった「量子宇宙」という言葉が広まる日も、そう遠くはないかもしれません。
* * *
ブラックホールの蒸発、ホーキングの予言、電気回路のなかに作り出された宇宙……本連載では、宇宙のナゾの解明に挑む「物理学の最前線」を紹介している。