80代母が歩けなくなって発覚した「介護のきょうだい格差」。”担い手は娘”の現実
GWに実家に帰郷した人も多いだろう。久々に会う親に「なんだか歳を取ったな」と感じたり、「そろそろ介護のことも考えないといけないのかも」と現実を直視した人もいるかもしれない。
しかしながら、多くの家庭では、ある日突然「親の介護」の問題に直面する。準備は大事とわかっていても、「近いうちに考えねば」と思いつつ先延ばしになってしまう。フリー編集者でライターの佐々木美和さん(47歳)もそんな風に思っていたという。ところが自体は急変した。
「1年半前の秋、80歳の母から『歩けないの、痛くて一人じゃ生活できない』と涙声で電話がかかってきました。物事をかなり大きく言うタイプの母なので、また大げさに言って……と思いながら、翌日慌実家に帰ると、玄関前の廊下にペタンと座っている母がいて青ざめました」
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突然、佐々木さんにやってきた介護問題。しかも、「介護」と一口で言っても、「厄介な問題は想像していたものと違っていた。一番心が削られたのは、『介護のきょうだい格差』でした」と佐々木さんは話す。『介護のきょうだい格差』とは一体どういうことなのか。佐々木さんは自らに起きた問題は自分以外にも起きているのか、今介護中の同世代にもリサーチを重ねたという。今回は、佐々木さん自身の体験を前後編で寄稿していただいた。
突然、激痛で歩けなくなった母
母は、左足を動かすだけで激痛としびれや嫌みがあって、起きても寝ていても痛いと訴えた。時間をかければトイレに行くことはできるが、痛みがひどいときには間に合わず、お漏らしをしてしまったこともあったと泣いた。
近所の整形外科に通ってみたものの「年齢的にそういった症状は出ても仕方ない」と言うばかりで痛みを抑える薬を数種類渡されたという。薬はかなりの量だ。検索をすると、鎮痛剤ばかり……。こんなに飲んで大丈夫なんだっけ? と心配になる量だ。しかし、複数飲んでも痛みは消えないという。
10年前に父が他界し、それから母は都心から車で1時間半以上かかる埼玉県の小さな町で一人暮らしをしている。介護認定では「要支援1」だが、80歳という年齢には見えないほど元気で、今まで大きな病気もほとんどしたことはなかった。そんな母の元気さに「まだまだ大丈夫」と正直タカをくくっていた部分もあった。
「美和だけが頼りなのよ、私をひとりにしないでよ……」と泣きながら、私の腕を掴む母に、大丈夫というよりも正直「ドキッ」とした。なぜなら、私と母は子どもの頃から折り合いが悪かったからだ。4つ上の東大卒の兄とは、小学生の頃から常に比較され、成績が伸び悩む私に「自分の家系は頭がいいはずなのに」「なんでこんな子ができちゃったのかしら」と母は口癖のように言い続けた。結婚するときも相手の学歴が気に入らないとひどく反対され、結婚後しばらくの間まったく連絡を取らない時期もあった。その後、私は離婚をしたが、そのときの母の誇らしい顔は今も覚えている。「私の言うことを聞かないから」と笑ったのだ。母は「口に毒がある人」で、そのたびに心が傷ついてしまう。そんなこともあって「必要以上近寄らない・接しない」でバランスを保っていたのだ。
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介護!? そのバランスが崩れてしまうのか……。そして、母のケアは誰がするのか? え!? 私? あり得ない! すぐに地方都市で暮らす兄にLINEをした。
「ママが歩けなくなってしまい、これからのことを相談したいです」
しかし、兄からは「今、北海道に出張中なので、3日後には自宅に戻るので連絡します」となんともノンキな返信がきたのだ。
突然の介護開始、仕事をどれだけ休める?
「介護はできるだけプロに任せた方がいい」
介護について検索すると、そういった意見を散見する。私自身、母のことに直面するまでは、「自分もいざとなったらプロにお任せしよう。母とは折り合いも悪いのだから私が担うなんてあり得ない」と思っていた。
しかし、現実はそんなに簡単ではなかった。母の場合、介護が始まったというよりもこの時点では、体の調子が悪いところが発覚し、それが何であるのかを見極め、治療できるのであれば治療し、治療できないのであれば介護をどうしていくのか考えねばならない、という段階だ。歩けない理由は何なのか? 母が通っている整形外科の薬の量に不安を感じたこともあり、口コミサイトで別の病院を探し、そこに予約を入れ受診することにした。
さらに、包括センターに連絡し、母のケアマネージャーに現状を話すと、明らかに要支援1の症状ではないから、「介護申請の差し戻し」を申告した方がいいと言われ、市役所に相談に行く。介護申請の差し戻しで、介護度を変えることは可能だが、再認定されるまでには時間もかかる。現段階では民間の有料サービスにサポートしてもらうしかないが、お金にうるさい母は補助が付かないサービスは受けたくないと言う。しばらくは自力で頑張るしかないのだろうか……。市役所に行った後、必要な備品の買い物などを済ませ、結局、2日間仕事を休むことになった。
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来週は別の整形外科に母を連れて行かねばならない。私はこのとき、新しい媒体の仕事をスタートしたばかりで、大きな企画を担当していた。ただですら休めない状況なのに、連日休むなんてありえない……。納期までに仕事ができないのであればその仕事を降りるしかないのだ。収入さえも途絶えてしまう。とりあえず、兄からの連絡を待つことにした。
しかし、兄からの返事はあっさりしたものだった。
「今の時期は忙しくて動けません」
兄は、地方都市の大手メーカーで研究職についている。
「いやいや、私も動けないのは同じだから。私だって仕事は休めない。お兄ちゃんは逆に大手メーカーなのだから介護休暇もあるはず。申請出してください」というと、
「うちの部署では誰も申請したことがないなぁ、申請が通るかどうかわからないしなぁ……」
「あんたは馬鹿なの!?」と叫びたい気持ちを我慢し、「誰も申請したことがないなら、上司として部下のためにも、最初の一人になって、ぜひ申請してみてください。明日会社で聞いてみてくださいね」と伝え、電話を切った。
兄との認識の温度差
翌日の晩、兄からLINEが来た。
「日程にもよりますが、3~4日間なら休めそうです」
それは介護休暇ではなく、単なる休暇ですよね……。
あまりに兄らしいメッセージに、苦笑するしかなかった。まぁ、私も母の介護がこんなに急に始まるとは思っていなかったわけで、兄が現実を受け止めていないのも仕方ないのかもしれない……。
そこから、2日に1度は実家に顔を出す日々が続いた。仕事をできるだけ早く終えて、車で1時間半かけて実家に行き、母の様子を確認し、掃除、食事の作り置きをして、再び1時間半かけて帰宅する。あまりの眠気に、しばらく実家で暮らすことも考えたが、人見知りする猫のこと、仕事のこと、母との折り合いの悪さを考えたら、無理をしても通いをキープしたほうが、精神衛生的にいいと判断した。
そして翌週、新しい病院に行くと、『急速破壊型股関節症』だということがわかった。そして、医師は「これは相当痛いと思いますよ。まぁ、この年齢だと手術も難しいですからね。痛み止めでケアしていくしかないですね」と言う。
激痛が続くという絶望と、年齢的に歩けなくなり寝たきりになる可能性も今後は高いと聞いて、母は泣いた。そして、「寝たきり」という現実が母にもついにやってきてしまうのか……。どうする介護、10日足らずでも自宅と実家の往復で、ヘトヘトなのにこれから自分はどうなるのだろう。脳天気な兄はどこまでケアしてくれるのか。しかも、あんなに私に対して口から毒を吐いていた母は、口を開けば「美和しかいないの」と弱々しく言う。その言葉が、私に足かせをはめ、苦しめるのだ。
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昔、母のように口うるさく、過干渉で、毒を吐く親との関係性について、取材したことがあった。そのとき取材で「毒親は捨てていいのだ」と学んだ。私もいざとなったらそうしよう、と思ったらなんだか肩から重たい荷が下りた気持ちがした。距離を置いた時期は、ちょうどその頃だった。
でも今、「いざとなったら捨てる」「逃げてもいい」と思っていた母のケアをしている。今からでも、すべてを放棄する、という手段もある……。でも、好きになれないのに、自分から母がつけた足かせが外せない。結局は私に母を捨てる勇気がないのだ。
そして、母の新たな病院の受診日であるにもかかわらず、「母の具合はどうだった?」の連絡は兄からはなかった。
◇後編では、佐々木さんに起こった「介護のきょうだい格差」の現状について引き続き、寄稿いただく。