NHK23年ぶりベアの背景に〝改革疲れ〟 3年ごとに新会長、新旧執行部の平行線も続く
NHKの稲葉延雄会長(右)と前会長の前田晃伸氏。背景はNHK放送センター
受信料を昨年10月に1割値下げしたNHKが今秋、23年ぶりに基本給を月額平均6500円底上げするベースアップ(ベア)を行う。NHKの労働組合、日放労が「NHKを離れる若年層が増えている」と待遇改善を求め、経営側がそれに応えた格好だ。赤字予算が当面続く状況下で、今回踏み切るベア。組合側の要求の背景には、3年ごとに登場する「新会長」の下で繰り返される「改革」への疲れが、職員に広がる様子が垣間見える。
「実感として離職率高い」
産経新聞がベアを報じた4月17日、定例記者会見で稲葉延雄会長は、日本社会全体で若手の離職が問題になっているという認識を前提に「あくまで同業他社などとの格差を縮めるため。NHKの若年層の離職率が取り立てて高いという数字は、実は出ていない」と主張した。日放労は機関紙で「(若年層の離職を)解決する一手として賃金改善は欠かせないと、ことあるごとに経営に訴えてきた」とし、産経新聞の取材に「実感として離職率は高い」と指摘する。
この問題は、ここ数年の話ではない。令和2年1月から昨年1月まで3年間会長を務めた前田晃伸氏(元みずほフィナンシャルグループ会長)は、産経新聞の取材に「自分が就任したときは、若手がどんどん辞めていくことが問題になっていた。若い人が希望を持てる人事制度にしたかった」と、自身が取り組んだ改革について振り返る。
前田氏によると、記者やアナウンサー、制作などで分けて人材を取り合う形になっていた制度を一括採用に改め、配属から2年後に専門性に応じた道に進み、「それまでの縦一線ではなく、横に動くのも自由な設定にした」という。
さらに縦一線の人事では明確化されていなかった人事評価の基準を、本人に開示できるよう明確化した。また、東京採用の職員と給与格差があった地域職員の処遇を改善。専門性を認定するテストを導入したが、これは「ベテランが若い人に自分の昔からの専門性を振り回すから、若い人は『ついていけない』と嫌になる。一方で、昔はなかったデジタルなどは知らないので評価しない」という悪弊にメスを入れるためだった。ほかにも局長の公募制度を設けたり、役員の評価基準を担当業務だけでなく、全体を考えているかどうかを問うものに改めたりしたという。
ただ、元幹部は前田改革について「放送の中身が分からないから、人事に手を付けてぐちゃぐちゃになった」と手厳しい。後継の稲葉氏も昨年1月の着任会見で、前田氏の仕事について「かなり大胆な改革なので、若干のほころびやマイナス面が生じているかもしれない」と距離を置き、「私の役割は改革の検証と発展」と表明した。
それから1年半近くが経ち、若手職員の一人は「前田改革と呼ばれた人事制度は、稲葉会長下で元に戻った。何がなんだか分からない」と明かす。
日放労は稲葉体制下の施策について「インターネット業務必須化の議論が進む最中、なぜデジタル職員の位置づけを変えることにしたのか」「人材管理の枠組みが変わることによって、昔のような〝強すぎるタテ割り〟の組織に戻るのでは」などと懸念を示している。
「稟議事案」巡り対立
NHKでは平成20年着任の福地茂雄氏以来、6人連続で外部から会長が招かれ、総務省などから「改革」を期待された上で、1期での退任が続いている。
現執行部が旧執行部と距離を置いているのは、人事制度ばかりではない。
NHKでは昨年7月、認められていないBS番組のネット配信に向けた設備費用など9億円を令和5年度予算に計上していたことを「放送法違反の恐れがあった」と問題視し、当時会長だった前田氏の退職金を10%減額、当時の役員6人を稲葉氏が厳重注意する事実上の処分を行った。
前田氏と一部理事の稟議だけで行われたこの決定を、NHKは「稟議事案」と呼んでいる。総務省の有識者会議「公共放送ワーキンググループ」に提出した資料によると、昨年11月から理事会と稟議のプロセスで法令担当部局による適法性チェックを義務付けるなど、「稟議事案」の再発防止策を実施している。
この稟議事案を巡って今年1月、新旧執行部の対立が国民の目にさらされた。令和6年度からの中期経営計画に対するパブリックコメントが昨年10~11月に募集され、前田氏が稟議事案について「『冤罪デッチ上げ事件』だ」などと反論、それが公開されたためだ。
前田氏は「承認された予算の範囲で、新しいサービスの提供をする為の準備、先行投資をすることは、放送法でも何ら制約規制のあるものではありません。経営判断で行えるのは当然です」と主張。人事制度改革についても「密室評価から、かなり透明性の高い制度に変えてきました」とし、「新体制となり、改革派の職員は、次々と姿を消す事態」「経営改革は止り、古い体制を維持する方向にカジを切った」と現執行部を批判した。
稲葉氏は公開後の会見で「(前田氏の)改革を否定しているわけではないので、残念」とコメント。前田氏は産経新聞の取材に「設備投資は経営判断で行える」と正当性を主張しており、新旧執行部の平行線の状態は解消していない。
大転換を前に問われる稲葉改革
総務省放送政策課はBS予算問題について「受信料を財源としているNHKは一般的な企業ではない。設備投資を含め、(BS番組の配信をするために必要な手続きには)総務相の認可が必要だった」との見解を示しており、現執行部の立場はこれを踏まえている。
一方、NHKの最高意思決定機関である経営委員会の委員長職務代行者を務めた上村達男早稲田大名誉教授はこの問題について、「NHKの放送や個々の経営判断に政府が介入してはならないとする放送法の理念上、NHKが経営事項について総務省にいちいち全てお伺いを立てなければならないと思い込む状況がありえない」と指摘する。また、「前田氏は放送法違反をしたわけではない。それなのに退職金の減額という財産権の侵害を行うのは驚きだ。違反がない以上、処分には根拠がない」とも述べ、昨夏の「処分」に疑問を示す。
前会長がパブコメで現執行部を批判するという異例の事態について、職員の一人は「とても怒っているし、どうしたんだと思った」と内部の動揺を明かす。「自分の意見を広く表明できるし、SNSと違って無視はできないので、なるほどな、とは思った」としつつ、「怒りは理解できるが、分が悪いのでは」とも付け加える。
今国会で審議されている改正放送法が成立すれば、NHKは今後、ネット配信の必須業務化、テレビを持たない人からの受信料徴収という大転換に臨む。その渦中で実施される23年ぶりのベアは、「予算の範囲内で最大限の回答」(経営側)とされている。「稲葉改革」は日放労が指摘する「若手の職離れ」をとどめる着地点を見いだせるのか。また、受信料支払いを放送法で義務付けられた国民が納得する公共放送の姿を示せるのか。注がれる視線は優しくはない。(NHK取材班)