落語家1000人 半分女性なら「面白い」 グループLINEの師弟関係「昔と違うかな」 話の肖像画 落語家・桂文枝<2>
落語家の桂文枝さん=東京都千代田区大手町(酒巻俊介撮影)
《昭和41(1966)年に三代目桂小文枝(こぶんし)(後に五代目文枝)に入門したとき、上方(かみがた)落語協会の落語家の数は、20人ほどしかいなかった。今やそれが250人以上。東京(落語協会、落語芸術協会、立川(たてかわ)流など)の落語家を合わせると、約1000人を数えるというから、激増ぶりが目立つ》
そうですねぇ、確かに落語家の数は増えました。上方落語で言うと、僕らの上で、いわゆる「四天王」(※六代目笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく)、桂米朝(べいちょう)、三代目桂春団治(はるだんじ)、小文枝)の師匠方ががんばってこられた。その次に、(笑福亭)仁鶴(にかく)さん、(桂)枝雀(しじゃく)さん、僕らが出てきて、「これは面白いわ」っていう感覚が若い人たちに広がっていったんです。さらにいろんな落語家が出てきて売れて、今や落語が「若い人たちがやりたい、あこがれの芸のひとつ」になっているんじゃないでしょうかね。
昔は、テレビのゴールデンタイムで「お笑い」の番組なんてほとんどなかったんです。それが1980年前後から『花王名人劇場』(※フジテレビ系、漫才ブームのきっかけになり、三枝時代の文枝さんもよく出演)ができて、今や『M―1グランプリ』(※テレビ朝日系で平成13年~)のような番組がたくさんある。それで若い漫才師が随分、増えたでしょう。
落語家もテレビやラジオにたくさん出るようになった。安易ですけど、「自分の名前を世に出すために落語家になる」というのが、ひとつの手段になっているんでしょうね。それでもまだまだ、漫才の裾野の広さには及ばないし、寄席(天満天神繁昌亭(てんまてんじんはんじょうてい)など)ができて〝平等に〟「出番」を与えられるようになったこともあって、勉強や努力が足りない若手の落語家もいるとは思いますけど…。
《女性の落語家も東西で50人以上、東京では女性真打(しんう)ち(※上方落語協会に真打ち制度はない)も出ている。蝶花楼桃花(ちょうかろうももか)、桂二葉(によう)らメディアの売れっ子となった女性落語家も》
ほんと、女性も増えましたね。昔は(上方でも)、1人か2人くらい、数えられるほどでしたけど…。東京では真打ちもたくさん出ている。大変だったと思うけど、よくがんばられたなぁ、と思いますねぇ。これから女性落語家は、もっともっと増えるでしょう。僕個人の意見を言わせてもらえば、(落語家の)男女の比率が半分半分くらいになったら、「面白いなぁ」と思っていますけど。
《落語の伝統的な師弟制度についてもひと言》
落語家になる場合、誰かの師匠に入門して、弟子にしてもらうというのが今も基本です。かつては漫才もそうでしたが、今や師匠につかず、養成学校(※ダウンタウンや中川家らを輩出したNSCなど)に通ってデビューするケースも多い。歌舞伎や文楽などの古典芸能でも師弟関係ではなく、養成機関(※国立劇場養成所など)から出てくる人がいます。落語もいずれそうなるかもしれません。
落語家の師弟関係? 昔は師匠の家に住み込む内弟子が普通でした。今も入門して3年間くらいは「修業期間」とされているけれど、その期間が終わったら「もう(関係も)終わり」と割り切って考える若い人もおりますね。そういう意味じゃ師弟関係の雰囲気も、ちょっと昔とは違うかな。師匠や一門のことを思う気持ちがないわけじゃないけど、まずは「自分のことで精いっぱいですわ」という感じなのかなぁ?
昔は、何か行事があると、師匠の家に一門で集まって、酒盛りをすることが多かったけれど、今や、ウチの一門では代わりにグループLINEで結束を保ってます(苦笑)。(聞き手 喜多由浩)