真空では「考えられないこと」が当たり前のように起きている…量子色力学から見た「トリッキーすぎる世界」
138億年前、点にも満たない極小のエネルギーの塊からこの宇宙は誕生した。そこから物質、地球、生命が生まれ、私たちの存在に至る。しかし、ふと冷静になって考えると、誰も見たことがない「宇宙の起源」をどのように解明するというのか、という疑問がわかないだろうか?
本連載では、第一線の研究者たちが基礎から最先端までを徹底的に解説した『宇宙と物質の起源』より、宇宙の大いなる謎解きにご案内しよう。
*本記事は、高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所・編『宇宙と物質の起源「見えない世界」を理解する』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。
何もない真空で起こっていること
クォークに働く強い力。その基礎理論は「量子色力学」と呼ばれています。
量子色力学は、電磁気力の理論と非常に似たものですが、電荷に相当する「色荷」が3種類(3色)あるところが、大きく異なります。そのために電磁気力を伝える光子に相当するグルーオンはそれ自身が色荷をもち、強い力を伝える役割を担うだけでなく、クォークと同じように、それ自身が力の源にもなるのです。すると、どうなるでしょう。
クォークには強い力が働きます。力を伝達するグルーオンにもやはり強い力が働き、その力を伝達する別のグルーオンにも……、という具合に力が雪だるま式に増えていきます。
つまり、遠くで働く力は、やがて無限に強くなります。これこそが、強い力が「強い」理由で、クォークが単独で存在できない理由でもあります。ただし、「無限に」強い力というのはあり得ません。そこでは何かおかしなことが起こっているはずです。
雪だるま式に力が強くなる量子色力学では、通常では考えられないことが起こります。強くなった力の影響を受けるのは、クォークだけではありません。普通は何もないと考えられる真空も大きな影響を受けるのです。どういうことでしょう。
ミクロの世界の基本原理である量子論では、粒子などが存在しない真空から粒子と反粒子の対生成が起こってもよい、ということがわかります。エネルギー保存の法則を破るから駄目だと思われるかもしれませんが、ごく短い時間のうちに対消滅により再び消えてしまえば、量子力学の不確定性関係の許す範囲内で可能なのです。
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こうして真空からいつの間にか対生成で生まれたクォークは、やはり色荷をもっているので、例によって雪だるま式に強い力が働き、力を伝える役割のグルーオンを次々と生み出します。再び対消滅するまでの間に、こうしたややこしいことが起こっているのです。
何もないと思っていた真空では、クォークの対生成・対消滅に引き続いてグルーオンが次々と湧き出ては消えるのを繰り返している。真空にはクォークと反クォーク、それにグルーオンが埋まっている、と言ってもよいのです。
真空中の「クォーク」に何が起きているのか?
真空が何もない空間ではなく、クォーク・反クォーク、グルーオンで満たされた空間だとしたら、何が起きるのでしょう。そこにクォークが1個飛び込んできたとします。このクォークは、真空中に埋まった反クォークと対消滅を起こします。ただし、そのままではエネルギーが保存されないので、同時に真空中からクォークをたたき出すことになります。
クォークが真空中で玉突き衝突を起こしたと思ってください。玉突き衝突はクォークが進むにつれて次々と起きます。全体としては1個のクォークが走っているように見えるかもしれませんが、実際は多数の玉突きの結果ということになります。
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クォークにとって、この真空中を進むのは一苦労です。簡単には進めず、常にある種の抵抗を感じながら進むことになります。このことは、「クォークが質量を獲得した」と表現してもよいですね。本来は光速で飛ぶはずのクォークが減速される。その度合いが質量として現れるためです。得られる質量の大きさは、真空中に埋まったクォーク・反クォークの密度によります。この質量は、およそ陽子・中性子の質量の3分の1程度です。そのクォークが3個集まると、陽子・中性子の質量になっているのです。
物質の質量のほとんどは陽子・中性子に帰せられる、といま述べました。そして、陽子・中性子の質量は、量子色力学の性質にしたがって真空に埋まったクォーク・反クォークに起源をもつと。物質の質量の起源を突き詰めていくと、真空に行きつきます。驚くべきことではありませんか。しかも、話はこれで終わりではありません。わずかであるとはいえ、電子にも質量があるのでした。その電子の質量は、どこからきているのでしょう。
その話をする前に、そもそも、なぜわれわれは質量の起源を気にしているのでしょう。電子には、ある値の質量がある。そういうものなのだ。そう考えてはいけないのでしょうか。実際、ある時期までは、それで問題ありませんでした。「パリティ対称性の破れ」が見つかるまでは。
「パリティ対称性の破れ」とは…?
素粒子物理における数々の発見の中で最も驚くべきものは、おそらく1957年の「パリティ対称性の破れ」の発見でしょう。日本語では「鏡映対称性の破れ」と呼ばれます。
磁場の中で右回りに回転する粒子と左回りに回転する粒子に働く物理法則は異なります。単純に考えると、右回りと左回りは互いに鏡に映した世界なので、すべての左右をひっくり返せば同じことが起こりそうに思えます。しかし、自然はそうなっていないらしいのです。
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その後の発展によってわかったことは、自然界の4つの力の1つである「弱い力」が、右回りと左回りを区別していることでした。弱い力は、原子核のベータ崩壊(原子核が電子とニュートリノを放出して種類を変える反応)を引き起こす力として知られています。
重力や電磁気力は、右と左を入れ替えても法則は変わりません。私たちの日常でパリティ対称性の破れを感じられないのは、弱い力が日常的な距離のスケールでは弱すぎて実感できないためです。弱い力が顔を出す原子核や陽子・中性子のスケールにまでズームすることで、初めて違いが見えてきたのです。
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さらに「宇宙と物質の起源」シリーズの連載記事では、最新研究にもとづくスリリングな宇宙論をお届けする。