栗山英樹が大谷翔平にした「2回の説教」。二刀流ができると「信じ切った」理由
「こちらが信じてあげなければ、何も生まれませんから――」
野球日本代表「侍ジャパン」の監督として昨年『2023 WORLD BASEBALL CLASSIC』(WBC)を制し、現在は北海道日本ハムファイターズCBOを務める栗山英樹さん(62)はインタビューでこう語った。
最新著書『信じ切る力 生き方で運をコントロールする50の心がけ』(講談社)は、信じることの大切さが丁寧に綴られた一冊だ。そこにはWBCのときのエピソードに始まり、ヤクルトスワローズに入団してからのこと、病気との闘い、引退をして、スポーツキャスター・解説者を経て、北海道日本ハムファイターズの監督になったことなどの経験に加え、いますぐ真似のできる実践的な心がけがまとめられている。
その信念にたどり着いたプロセスをジャーナリストの島沢優子さんが栗山さんにインタビュー。前編では、ヤクルト時代に「信じてもらう」ことを教えてくれた恩人ともいえるヤクルトの二軍監督だった内藤博文さんとの思い出についてお伝えした。
内藤さんとの出会いはターニングポイントだったのではないか、アスリートを誰かと比較する相対評価ではなく、前日よりその選手が成長しているというような絶対評価が必要だと感じたのではないかとの島沢さんの問いに、栗山さんはこのように続けた。
「勝つために、選手を上手い順に上から9人や10人を鍛えればいい。上手くなりそうな選手だけを教えればいいというのは相対評価ですよね。もしかしたら効率がいいのかもしれないけれど、僕はそういうのは嫌なんです。なぜかというと、僕がダメだったから。最下層にいた選手だったからなんでしょうね。
もうひとつは、主力と言われる選手たち以外のプレーヤーの心持ちがチームの士気を分けることを忘れてはいけない。彼らが『オレには関係ないよ』となったら勝てないことを知っているからです。本当に強いチームは、主力以外の選手たちが必死になる姿、その力が一番大事なんです」
後編では、こうして「絶対評価」を大切にしてきた理由、そして大谷翔平選手の二刀流を心から信じてきた理由を改めて聞く。
撮影/杉山和行
小6の春休みに聞いた「父の言葉」
栗山氏の言葉はこう言い換えることができる。指導者は時間とエネルギーを全員に砕くこと。それこそが、勝利するためのマネジメントなのだ、と。それには「あの選手は、この選手に比べると出番はないだろう」などと勝手に判断してはいけない。
「活躍の場が与えられていない選手たちのモチベーションを極力下げない。それが重要です。個の力を引き出すほうが先か、チームの優勝とか勝利が先かみたいなことをよく尋ねられますが、その二つは一致するはずだと僕は思っています。それぞれの人間性さえ向上させられたら、必ずチームは勝ちます」(栗山英樹さん・以下同)
内藤さんともうひとり、栗山さんを信じてくれたのが父親の正彦さん(故人)だった。栗山さんへの期待は大ききかったためか、非常に厳しかったという。
「父親(の存在)は大きかったですね。愛情500%ぐらい詰まっていたと思います。小学6年生から中学1年になる春休み、両親が家を買うか買わないか、みたいな話をしているのをこっそり聞いたことがあるんです。父が『家を買っちゃったら、子どもに思い切り食べさせてやれなくなるかもしれない。それは子どものためにはならない』と言ってました。結局買わなかったのですが、むちゃくちゃ親の愛情を感じましたね。高校、大学と親父は多分僕に期待してたと思いますけど、結果は出なかった。今生きてたら喜んでくれたかなと思います」
栗山さんが42歳の年、正彦さんは亡くなった。すごく怖い人だった。その影響で「僕はこんな性格になった」と明かす。父は反面教師だった。
「僕はあんまりガーッと言いません。親父にやられて嫌だったからです。ただ、恨んでもいない。それは今考えると親父の愛情だなと思ったりもします。僕は僕のやり方があるので。そういう意味で、僕は人に恵まれたと思うんですよ。いろんな人からいろんなことが学べました」
大谷翔平選手の二刀流を「やめろという感覚」はなかった
日ハム時代から大谷翔平の二刀流を信じて疑わなかった。周囲が「無理だ」「ありえない」「前例がない」と騒いでも耳を貸さなかった。その源泉は、実際に見ているのは自分なのだという自信に映る。
「要するに、現場にしか答えはないっていうことです。翔平は高校2年生のときに初めてピッチングを見ました。2年の夏でしたね。もちろん打撃も。そこからすでに二刀流をやめろという感覚はありませんでした。
投手と打者、どちらかをやめる選択さえ浮かばなかった。例えば今の選手で言えば、佐々木朗希にピッチャーをやめろ、村上宗隆にバッターをやめろって言ってるようなものです。当時から『周りの人たちはちゃんと見てんのかな?』みたいな感じです。二刀流をやめないではなく、どちらもやめさせられないでしょ?四番とエースに野球やめろって言いますか?そういうことなんです」
撮影/杉山和行
大谷がプロになって12年目を迎えた。メジャー行きの際、「アメリカに行ったら、もう(二刀流は)やらないだろう」という見方が大半を占めたが、栗山さんは一環して「当然二刀流でしょ」と意見を曲げなかった。
「一度もなかったです。僕は信じていた。何より彼は頭がいいというか賢かった」
エンゼルスへの入団を決め、日本ハムファイターズのラストセレモニーでの栗山監督と大谷選手。栗山監督の「二刀流計画書」がなかったら、大谷選手は1年目からMLBに行っていた可能性が高いだろうし、そうだったら今回のWBCにはなっていなかっただろう Photo by Getty Images
2回だけ説教をした理由
2回だけ説教したことがある。2年目に投手としての成績は良好だったが、打撃が振るわなかった。そこで「何とかしろ」と打ち方についてアドバイスした。
「でも、基本的に人の話は聞くタイプではない(笑)。彼の持論は『人はみんな違うから人に言われたことをやるとうまくいかないことが多い』というもの。だからといって勉強しないわけじゃない。そこが素晴らしい。だから僕と翔平の会話って、めちゃめちゃ言葉が少なかった。僕が何を求めているのかをわかっていたので言葉を尽くす必要がなかったんですね」
あくまで自分で追及していく。ただ、そのほうが本物になりやすいのも確かだろう。もうひとつの説教は、ある年のオフに筋肉をつけすぎたときだ。
「筋肉を大きくしすぎると体の動きが制限される可能性があるんです。しなやかな腕の振りがなくなる可能性の怖さがあったので『それ、計算してやったのか?』みたいなことを言いました。でも、全然計算してたみたいで(笑)」
言葉を尽くさない濃密な関係性。構築できたのも、栗山さんの「信じ切る力」があったからこそだろう。
撮影/杉山和行
しかし多くのスポーツ指導の現場では、今もなお監督やコーチが相対評価で動いてしまうことも少なくない。そこから変わるにはどうしたらいいのだろう。栗山さんは「怒ることも必要だと思うし、無理やりやらせる指導をすべて否定するつもりはないけれど」と前提したうえでこのように語った。
「その選手のためになるのかならないか、それ一点なんです。その基準値でマルかバツかしかない。その選手のためになるかというのは、その選手の人生にプラスになるかならないかですよね。普通は自分で考えて自分で行動できなければ応用力がつかないって誰でもわかるはずなんだけれど、いま無理やりやらせた方が結果がすぐ出ることが多いじゃないですか、スポーツって。
でも、“どこに起点を置くか”ということが広がっていけば、変わっていける可能性があると思います。過去の歴史を見ても、どうしても苦しくなる時に短期的にものを考えて失敗していることがある。だから僕はいつも長期で長期で長期でものを考えようと、いつも自分に言い聞かせているんです。彼らの人生に対してどうアプローチするかを、僕は常に考えています」
大谷選手は「この選手のためになるか」を栗山さんが本気で考え、信じた選手たちのひとりだ。そしてその結果は、いま私たちの多くが目にしている。
2024年2月27日のオープン戦ではさっそく2ランホームランで沸かせ、4月21日にはMLB通算176本塁打を打ち、松井秀喜さんの日本人選手HR記録も抜いた大谷選手。大谷選手は栗山氏が「この選手の人生がよくなるように」と考えた選手の一人だ Photo by Getty Images
『信じ切る力 生き方で運をコントロールする50の心がけ』
WBC世界一の根源となったのは何だったのか。信じ切るということ、ダメな自分を信じる、相手を信じる、神様を信じる――50のこころがけを具体的に綴った一冊。