子供好きだった坂田利夫さん、単身でも「人の輪作っていた」…みとりの場に立ち会った間寛平さん
共演が多かった寛平さん(左)と坂田さん=吉本興業提供
昨年12月に82歳で亡くなったお笑いタレントの坂田利夫さんは生涯独身で、読売新聞のコーナー「シングルスタイル」が関西の夕刊で始まった際にご登場いただいたこともあった。親交が深かったタレントの間寛平さん(74)夫婦は、晩年の坂田さんをよく訪ねていた。みとりの場にも立ち会ったという寛平さんに、坂田さんとのこと、単身で老いを迎えることについて聞いた。(上原三和)
■坂田さんは「パパ」、僕は「お父さん」
――家族同然の生活が長かったと聞きました。
「僕が駆け出し、坂田さんも若手の頃、劇場の近くのラブホテルが定宿でした。僕が29歳で結婚してマンションを借りた時、『わしの分も借りてくれ。借り方わからへんねん』って(笑)。手続きはうちの嫁が全部して、うちが5階、坂田さんが7階。夜はほぼ毎日うちに食事をしに来る生活が11、12年続いたかな。娘は坂田さんを『パパ』、僕を『お父さん』と呼ぶくらいでした」
――坂田さんから、ひとりでいる不安を聞いたことは。
「弱音は口に出さんかったけど、本当は結婚したかったんじゃないかな。でも仕事上『アホの坂田です』『嫁ほしい~』とかネタをやってると、このまま(ひとりで)通さなあかんという考え方になっていったかと思うんです」
「僕が、いや、うちの嫁が一番知ってるのかな。信頼してもらってたから、色々と話してはくれました」
■口に出さなくても分かる「お兄さん寂しいだろう」
――体が弱ってきたのは、いつごろからでしょうか。
「73歳のときかな、転んで脚の骨を折って入院したころからです」
――一度は復帰されましたが……。
「ずっとひとり暮らしなのにガスも使えないし、寝室のベッドでなくソファで寝るような人。妹さんも近くに住んでいるけれどご自身の家のこともあるから頻繁に行くのは大変。僕たち夫婦が会う頻度が増えていきました。週1、2回かな。ご飯作って持っていっても、あまり食べなくて心配でした」
「会えば楽しいけれど仕事もあるからこちらは帰らないといけない。すると寂しそうな顔をする。そういう表情は年をとって見るようになったね。口に出さなくても分かる。すると嫁が『お兄さん寂しいだろう』って泣くんですよ」
――自分の生活もある中で、通い続けられたのは。
「若い頃から世話になって、一緒に生活をしてきたから少しのことでも気になる。でも、続けられたのは嫁の優しさがあったからです。遊びに行こう、ご飯食べよう、とか、いつも言ってました。身の回りのこととかも。そうやって形にすると相手に伝わります。帰る時に寂しい顔をされるとつらいけれど、じゃあ次は何を、と考えられる」
――距離感が難しいと感じたことはないんですか。
「全然。性格もあるんかな。僕、明るくはないけどすぐ甘えちゃうから、すぐ人と友だちになれる。坂田さんも人なつっこいから、世話してくれる人も出てくるんでしょうね」
■『ひとりは、ひとりや』って思ったらあきません
――家族だと、世話をするのが重くなることもあります。そういう立場ではないから互いに重荷にならず過ごせた、ということでしょうか。
「そうだと思います。友だちは、大切にしたほうがいい。僕は今74歳で、最近、高校時代の野球部の仲間とゴルフに行くことがあります。働き盛りの時には関係が薄くなったけど、最近またつながってきた。顔見知りに『いざとなったら頼む』『子どもは独立したし迷惑かけたくないから』ぐらい冗談交じりにでも話しておいたらいいかもしれない」
「声をかけて存在を知ってもらうことが大切なんじゃないかな。僕は東京にも住まいがありますが、そこでもお隣さんや近所の子どもに声をかけます。ご時世で難しい部分もあるけれどそれは仕方ない。いつもそうしていれば、『あそこのおばちゃん最近顔見ないけど』とか気づくきっかけにもなるよね」
――自分のことを伝える。
「『ひとりは、ひとりや』って思ったらあきません。どんどん落ち込んでいく。家から出てひなたぼっこするとか、公園のベンチにただ座っているとかでもいいし。坂田さん、子ども好きだったんですよ。よく声もかけていた。だからかな、近くの喫茶店の人とか近所の方とか、すぐに気にしてもらえる人の輪を作っていた。ひとりじゃないよ、声をかけ合ってね、と思います」
――坂田さんと寛平さんご夫婦のような関係にまではなれなくても、家族ではない同士が支え合うヒントをいただいた気がします。
「似たようなパターンはこれからめっちゃ増えるでしょうね。なんだかんだ言うても、完全にひとりだと寂しくなると思うんですよ。坂田さんにもそんな気持ちがあったんじゃないかなと思ってます」
さかた・としお 1941年、大阪府生まれ。64年にデビューし、67年吉本新喜劇の劇団員仲間、前田五郎さんと漫才コンビ「コメディNo.1」を結成。アホのキャラクターを演じきる芸で愛され、代表的なギャグに「あ~りが~とさ~ん」「あ、よいとせのこらせ」など。2016年大阪市市民表彰。
はざま・かんぺい 1949年、高知県生まれ。70年、吉本新喜劇でデビュー。タレントとしても幅広く活躍する。代表的なギャグに「ア~メマ」「止まると死ぬんじゃ」など。特技はマラソンで、大阪マラソンの「アンバサダー」を務めるなど競技振興にも尽力する。2022年、新喜劇のゼネラルマネジャーに就任。
■[あとがき]信頼と愛情で「近い他人」に
いざというときの助け合いは「遠くの親類より近くの他人」というけれど、ここまで近い他人になったのは、長年の付き合いで生まれた信頼と愛情があったからだろう。
一人で年を重ね、先々訪れるかもしれない孤独が怖くなってきたら、自分から「何かあったら助けてね」と声を出す。周りも「ひとりではないよ」と声を出す。勇気がいりそうにも思えるが、寛平さんの話を聞いていたら、自分にも何かできそうな気がしてきた。(上原)