團伊玖磨の幻の交響曲、文庫本に構想メモ…音源のみだった管弦楽曲の自筆譜も確認
團の書き込みがある詩集「邪宗門」の文庫本。2小節ほどの長さの旋律などが見える=安川純撮影
戦後日本を代表する作曲家の團伊玖磨(だんいくま)が、亡くなる直前まで取り組み、“幻”とも言われる交響曲の構想のメモ書きや、音源しか残っていなかった管弦楽曲の自筆譜などが、没後20年余りを経て初めて確認された。大作曲家の創作過程を知る上で貴重な資料で、生誕100年の今年、デジタルアーカイブ(電子保存資料)として公開される見通しだ。
調査したのは、團の音楽を研究する音楽評論家の西耕一さん(47)ら。團の次男で建築家の團紀彦さん(68)から、神奈川県横須賀市の自宅書斎に残っていた楽譜など約2000点の資料を託されていた。
團は最晩年、敬愛する北原白秋の詩集「邪宗門」を題材に、自身7番目の交響曲を作曲していたが、訪問先の中国で急逝。遺品に「邪宗門」の文庫本があった。独唱曲に想定していた詩の章には、2小節ほどの短い旋律や独唱歌手とみられる人物名のほか、イタリア語で全員合奏を意味する「Tutti」などと書き込まれ、構想を練っていたことがわかる。さらに「邪宗門秘曲」とタイトルが書かれた白紙の五線譜もあった。
また、管弦楽曲の自筆譜は、「Arabian Dance(アラビアンダンス)」と名付けられていた。團が構成したTBSラジオの特別音楽番組(1958年)で使用された曲の一つとみられる。西洋音楽の伝統を守りつつ独自の音楽表現を模索した團は1956年、ドキュメンタリー映画の音楽監督として、東大のイラン・イラク発掘調査団に同行。現地の音楽を調査し、帰国後、壮大な管弦楽組曲「アラビア紀行」(58年)などを発表しており、それらに連なる曲と考えられる。
これらの資料は、今秋インターネット上での公開を予定。紀彦さんは「父の音楽は様々な方々とのつながりの中で生み出されてきた。作曲過程を知ってもらい、多くの人に親しんでもらいたい」と話している。
◆團伊玖磨=1924~2001年。東京都出身。オペラ「夕鶴」や交響曲から、童謡「ぞうさん」、「ラジオ体操第2」まで幅広い作品で知られる。1999年に文化功労者。随筆「パイプのけむり」で読売文学賞。