唐十郎さん死去に麿赤児さん「唐との出会いは私の人生の最大にして最深の劇的出来事」…悼む声次々
「紅テント」前で唐十郎さんへの思いを語る久保井研さん(5日午前、東京都新宿区の花園神社で)=後藤嘉信撮影
現代演劇に変革をもたらした劇作家・演出家・役者の唐十郎さんが84歳で死去して一夜明けた5日、親族や演劇人、ファンからは悼む声が上がった。
この日は唐さんが座長を務めた「劇団唐組」の代表作「泥人魚」の東京公演初日。青空の広がった東京都新宿区の花園神社境内には紅(あか)テントが立ち、座長代行の久保井研さん(61)が取材に応じた。
唐さんが亡くなった4日夜、久保井さんが病院に駆けつけると、唐さんは「気持ちよく寝ているようなお顔だった」という。
2012年に転倒して頭部を強打し、演劇活動が困難になった後も、公演を見に来ていたという。「芝居を見て涙と鼻水でいっぱいになった顔も何度も見た。それほど芝居好きな人だった」と振り返る。劇団は今後も活動を続ける。「紅テントは唐さんの分身のようなもの。ここでしかできない芝居をたくさんの人に見てほしい」と気丈に話した。
観劇に訪れた劇団東京乾電池の俳優・諫早幸作さん(29)は「唐さんの舞台は、せりふの言い回しや舞台での“居方”が参考になる。唐さんは俳優としても憧れの存在だった」と話した。長年公演に通い続けているという関東学院大名誉教授の吉原高志さん(71)は、「唐組では終演後に飲みながら劇団員と話ができる。唐さんとも何度も話したが、言葉が戯曲のせりふのよう。本当の天才だと思った。寂しいです」と惜しんだ。
長男で俳優の大鶴義丹さん(56)は出演舞台の終了後、都内のホールで取材に応じた。4日夜は公演初日だった。「役者は親の死に目に会えないと言いますけど、芝居を貫徹しないといけないということを、死をもって教えてくれた。最期まで粋な演出だった」と話した。
唐さんが演じた役に大鶴さんが挑んだこともある。「(その際には)『俺にはなかなかかなわないぞ』ってうれしそうに言ってくる。応援の気持ちもあるのかもしれないですけど、厳しい父でした」としのんだ。
「状況劇場」で活躍した舞踏家の麿赤児さん(81)のコメント「1960年代に駆け抜けた時間がドドドッと脳裏に蘇(よみがえ)った。唐との出会いは私の人生の最大にして最深の劇的出来事。ゆっくり眠ってくれ、何また会えるさ!」