吉田茂の受諾演説に誇り 首相には宰相の威厳が… 書く書く鹿じか
4月28日は72年前、対日講和の平和条約が発効し、連合国軍による占領統治が終わって日本が主権を回復した日である。大型連休に埋もれてしまっているが、「独立記念日」としてもっと周知されていい。
昭和26(1951)年9月8日、米サンフランシスコで、連合国48カ国と日本との間で講和条約が調印された。首席全権の吉田茂首相は、用意されたペンではなく、ポケットから自分のペンを出してサインした。そして和紙に毛筆で書かれた受諾演説を日本語で読み上げた。長さ30メートルもの巻紙で、現地のメディアは「トイレットペーパーのようだ」と報じた。
演説の草稿は当初、英文で書かれていたが、側近の白洲次郎が「独立の演説を相手の言葉でするばかがどこの世界にいるんだ!」と一喝して、日本語に書き直させたとされる。白洲自身は「なぜ日本語で演説したかという理由については、こまかいところは知らない」(「講和会議に随行して」から)と言っており、吉田の英語があまり上手ではなかったからという説もある。ただ、20分にも及んだ日本語の演説は、戦後の再出発にあたって日本人に誇りを取り戻させてくれた。
岸田文雄首相が先月、国賓待遇で米国を訪問した。米議会での演説や公式晩餐会のスピーチは、英語で「日本の国会では、これほど素敵な拍手を受けることはない」などとジョークを連発して笑いを誘った。さらにバイデン大統領のリムジンに同乗した際、ツーショットを自撮りしてご機嫌だった。
ケチをつけるつもりはないが、ちょっとミーハー的で、前出の吉田茂のような宰相の威厳が感じられない。このところ国内では不祥事続きで、苦虫を噛み潰したような表情だったから、日本を離れて羽を伸ばし、得意の外交で失地を回復した気分だったのだろう。
目論見(もくろみ)通り、訪米の成果が評価されて、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査では、内閣支持率が26・9%で前月より3・7ポイント上がった。だが、気になる数字がある。「政権交代を期待」が52・8%で、「自民党中心の政権継続」の40・1%を上回ったのだ。
有権者は自民党に愛想が尽きている。案の定、3つの衆院補欠選挙は不戦敗もあって1つも勝てなかった。それでも、立憲民主党を中心とした野党に政権を委ねるのは不安だ。かつての民主党政権の悪夢がいまだに消えないし、この国をどう舵取りするのか見えない。
「ワンマン」と称され、短気で癇癪(かんしゃく)持ちのイメージが強かった吉田茂だが、こんな言葉も残している。 「忍耐がどんな難問にも解決策になる」
岸田首相もジタバタせずに風向きが変わるのを待ってはどうか。もちろん自民党は裸一貫になっての出直しが必要だが。(元特別記者 鹿間孝一)