受験生と歩んだ70年、あの「赤本」が全面刷新 新デザインを公開した出版社長の胸の内
リニューアルする「赤本」のデザイン見本を手にする世界思想社教学社の上原寿明社長。手前は新旧の「赤本」でかつては赤色ではないものもあった=京都市左京区(渡辺恭晃撮影)
受験生のバイブルと呼ばれる通称「赤本」が創刊70年を迎え、発行する世界思想社教学社(京都市)がリニューアルした令和7(2025)年版の新デザイン案を公開した。5月に刊行される。同社によると、発売当初は青色や黄色もあったが、「赤色が定着してからは最大のデザイン変更になる」という。なぜ今、赤本を変えるのか。そのねらいを上原寿明社長(68)に尋ねた。
「障壁」のイメージ
リニューアルされた表紙デザインは、メインカラーの赤色はそのままに、帯の部分などにパステルカラーを織り交ぜた柔らかい配色。大学名は書体に余白を感じさせる少し細いものになった。従来は幾何学模様だったが、直線的なデザインから曲線を多用したものに変わった。
丸みを帯びたデザインに刷新された最新版の赤本(世界思想社教学社提供)
リニューアルのきっかけは、「受験生にとってみれば、赤本は乗り越えなくてはならない障壁のようなイメージを持たれていますよ」という若手社員の一言だった。
「えっ、そうなのか」。長年にわたり、受験戦争を共に闘う相棒のようなつもりで出版してきたという上原社長にとっては衝撃だったという。
刷新のねらいについて上原社長は「真面目で硬い、厳しいといったイメージを払拭し、親しみのあるソフトなものにしたかった」と語る。編集部マネージャーの中本多恵さん(40)も「受験生に寄り添い、サポートする存在だと思ってもらいたい」と期待する。
インタビューに応じる世界思想社教学社の上原寿明社長(渡辺恭晃撮影)
初めて「赤本」と自称
今回の刷新のもうひとつの特徴は、シリーズ名に初めて「赤本」の言葉を冠し「大学入試シリーズ」の名称を「大学赤本シリーズ」に変更したことだ。
赤本という名は、表紙の色にちなんで受験生や関係者らの間で広がった通称名。一方、「俗受けをねらった低級な安い本」(広辞苑)という意味もあり、会社側としては「そんなイメージを持たれては困る」という思いもあったそうだ。上原社長は「創業者は当初、赤本という呼び名に困惑していたらしい。私も少し抵抗感があった」と打ち明ける。
だが数年前、社長の考えを改めるできごとがあった。令和元年に京都大で行われた式典で、京大教授が「赤本はひとつの文化」という趣旨の発言をしたのだ。それを聞いた上原社長は「ネガティブなイメージをぬぐえないでいたが、お墨付きをもらえたようでうれしかった」という。
同社にはこれまでにも「赤本手帳」など「赤本」を冠した派生商品はあったが、肝心の本家の正式名称にはなっていなかった。だが、社長の決断もあって、今回のリニューアルから、表紙に「赤本」という言葉を登場させることになった。
最初の3冊は
赤本が最初に刊行されたのは昭和30年度。京都大▽大阪大・神戸大(合本)▽同志社大・立命館大(合本)-の地元有名大3冊からのスタートだった。
といっても、この頃は表紙の色は必ずしも赤で統一されていたわけではなく、大学によって黄色や青色もあった。
同社に残る一番古い赤本は昭和32(1957)年版の京都大学の過去問題集。表紙は赤いが「昔の技術では鮮やかな赤の発色が難しく赤というよりえんじ色に近い。当時、それほど色にこだわりはなかったようです」と上原社長。
35(1960)年版には東京大が初登場。40(1965)年版では128大学130点、60年(1985)年版は234大学425点と数を増やし、昨年版は378大学555点を出版している。
上原社長は「競争倍率が発生する大学は全て取り上げて出版する、という気概でやってきた。この網羅性こそがうちの強み」と話す。
表紙の色が統一されたのは昭和40(1965)年版からだが、このときは、だいだい色だった。「書店に並べたときに目につく」という理由からで、当時のキャッチコピーは「オレンジ色のパスポート」だった。
上原社長は「創業者もこれほどのロングセラーになるとは想像もしていなかったのでは。時代が変わってもずっと愛され続ける存在でありたい」と話していた。(木ノ下めぐみ)