初任給を引き上げた結果、既存社員が次々と退職…「給与の逆転」を防ぐために会社がやるべきこと
少子化による人手不足の影響で、初任給を引き上げる企業が相次いでいる。その一方で、「既存社員の給与は現状のまま」という企業も少なくなく、社員のモチベーション低下や離職が問題になっている。
一例として、〈28歳主任が絶句…「反抗的な新入社員」の初任給が自分より高いことが発覚「会社辞めちゃおうかな」〉では、チルド食品を製造する甲社で4月から主任になったA中さん(28歳、仮名=以下同)の事例を紹介。彼が指導係として担当した新入社員のC山さんの初任給が、自分よりも高くショックを受けたのだった。
引き続き事例もふまえ、社会保険労務士の木村政美氏が解説する。
中小企業にも広がる初任給の引き上げ
昨今、新卒の初任給を引き上げる企業が増えている。初任給を決める際参考にするもののひとつに、春闘と新入社員の初任給調査の統計結果がある。
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連合(日本労働組合総連合会)が発表した2024年春闘における平均賃上げ率は5.25%(3月21日第2回集計時点)で、30年ぶりの高い伸びを記録した2023年同期の賃上げ率3.76%を大幅に上回った。
また、労務行政研究所が発表している「2023年度新入社員の初任給調査」(東証プライム上場企業157社の速報集計)によると、学歴別初任給は大学卒22万5686円、大学院卒修士24万3953円、短大卒19万5227円、高校卒18万3388円。
また、初任給を全学歴引き上げた企業は70.7%で、2022年度速報集計時の41.8%から28.9ポイント上昇した。
産業別では、製造業の引き上げ割合は83.3%、非製造業は56.2%で、製造業の引き上げ割合が高い。2024年の統計結果はまだ出ていないが、前年度より高い初任給になることが予想される(2024年4月現在)。
初任給を引き上げる傾向は、大企業だけでなく中小企業にも広がっている。
中小企業の場合は上記結果を踏まえつつも、同業他社が提示している初任給を参考にして自社の経営方針や経営状態等を勘案して決定することが多い。例えば甲社のように新卒者の獲得を優先する場合、平均値以上の初任給を提示することもある。
初任給を引き上げる「大きな要因」
会社で既存社員のベースアップが行われた場合、それに伴って初任給もアップするが、初任給を引き上げる大きな要因のひとつに「若手人材を獲得したい」ことがある。
日本の人口は毎年減少しているが、特に急激な少子化の影響で若年層の労働力が不足している。政府は人口割合が高い60歳以上の労働力活用を推進しているが、企業を存続させるためには、若年層の人材確保が不可欠である。
現在、新卒者の就活は学生の売り手市場であり、企業は優秀な人材の確保策として相対的に高い初任給を提示するようになった。
また、新卒者を採用する場合、総合職とするのが一般的だが、すでに専門的なスキルを持っていたり、特定の専門分野で潜在能力が高い学生を、「高度専門職」として採用する企業もあるし、グローバル企業などは優秀な外国人留学生を採用するケースが増えている。
高度専門職、外国人留学生などの初任給は、職務(ジョブ)によって決定することが多い。ジョブ型賃金制度は、年齢や勤続年数に関係なく、職務内容と難易度によって給与が決まる制度で、年齢や勤務年数を基準にする年功賃金制度に比べて相対的に初任給が高くなる。
引き上げる際に留意すること
甲社のように新卒社員の獲得に力を入れた結果、大卒者5名を採用できたのはいいものの、処遇に不満を持った若手のリーダー格である社員達に退職届を突き付けられる事態になった。
初任給を賃上げし、既存社員の給与額と逆転した場合、対策を講じなければ仕事へのモチベーションの低下を招き、最悪の場合転職もありうる。
若手人材の確保のために新卒社員の獲得は重要ではあるが、人材の定着もまた重要である。その意味で、会社の戦力として成長した社員を失うことは新規人材を獲得できなかった以上にダメージが大きい。
そこで留意することは「初任給を引き上げる場合、給与制度を見直し、既存社員の給与も引き上げること」である。
例えば甲社の例だと、大卒の初任給が30万円なので、大卒で入社2年目以降の社員の給与額が30万円以上になるように調整する。入社6年目のA中さんの給与は現在26万円だが、職務や勤続年数などを考慮すると、30万円+αに設定する必要がある。
給与制度の見直し方
新卒社員の初任給に合わせて既存社員の給与を引き上げる場合、永続的に人件費の増額に繋がるので、対処できるだけの資金を準備しなければならない。
しかし中小企業の中には賃上げの必要性は理解しているものの、業績が改善しない、永続的な人件費アップに耐えられない等の理由で踏み切れない場合もある。
ただ、日本商工会議所が発表した中小企業の賃上げ動向(全国の商工会議所会員2508社)によると、2023年度に賃上げを実施した企業の割合(予定も含む)は62.3%で、2022年度の調査時より11.4ポイント増加している。今年度も賃上げの傾向は続くだろうから、何らかの方策を打つ必要に迫られるだろう。
ひとつの方法として、人件費の増大を防ぐことが難しくても、人件費全体の配分割合を変えることによって増加額を小さくすることは可能であり、実際多くの企業が賃金体系や退職金制度について現状にマッチした内容に変更したり、見直しを進めている。
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(1)年功制賃金制度の見直し
年功序列による賃金制度は、勤務年数や年齢によって基本給が決まるので、新卒者の初任給は低くなる。初任給を賃上げすれば、それに伴い既存若手社員の給与も賃上げすることになるので人件費は膨らむ。
年功賃金制度を残す場合、いきなり初任給を高くすることで経営を圧迫するケースもあるので、慎重に対処するとともに、定期昇給の幅を狭める、ある一定の年齢まで達した場合定期昇給を廃止する、役職定年制の導入など給与体系の変更も検討したい。
(2)ジョブ型賃金制度の導入
ジョブ型賃金制度を導入すると、新卒者及び優秀な若手社員の給与を上げ、中高年層では管理職や優秀な社員とその他の社員に給与の格差をつけることが可能で、中高年層の人件費を若年層に回すことができる。
人材の流出を防ぐためにとるべき策とは
(3)賞与、退職金の算定方法を見直す
例えば基本給を引き上げるかわりに賞与額を下げるなどの方法がある。社員にとっては、年収は同じでも業績により額に変動がある賞与よりも変動がない基本給の賃上げの方が安定するメリットがある。
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退職金は、年功による算出方法を業績や職務による評価も加味した方法に変更することにより金額が抑えられる。
(4)入社一時金等の支給
入社時もしくは入社一定期間後に一時金を支給するもので、特に運輸業など人手不足が深刻な企業が採用している。一時金の額は雇用情勢に応じて変更が可能で、初任給の賃上げに比べると、永続的な人件費の増大は抑制される。
A中さんの気になるその後
D谷さんの話を聞いたA中さんは、C山さんより自分の職務や能力が下に見られている気がしてやる気をなくしたが、会社を退職するまでの勇気はなかった。C山さんの指導以外、仕事内容に不満はなかったし、職場の人間関係も良かったからだ。
社長に退職届を出した4名の指導係のうち3名が甲社長の説得もかなわず4月末日付で退職することになった。
これ以上社員の退職を避けたかった甲社長は、考えた挙句5月上旬の午後、新入社員を除く正社員を全員会議室に呼んだ。
その場で新入社員の初任給を30万円にした理由を説明し、このままだと若手社員の給与額と逆転してしまうので、給与制度の見直しを行い、来年度以降逆転しないようにすること、ただし今年度分は見直しが間に合わないので、12月のボーナスで差額調整することを約束した。
隣り合って座っていたA中さんとD谷さん、他の社員達も納得した表情を浮かべた。
「やっぱり俺、会社続けるよ。一緒にここでがんばろうぜ」
A中さんの言葉にD谷さんは頷いた。